Taejunomics

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自民党の憲法改正草案について考える①
 圧倒的な議席を誇る自民党。 そんな自民党の新憲法草案が発表された。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051029-00000008-maip-pol

 日本国民ではないがこの国に生まれ育った市民として、日本国憲法の理念に基本的に賛同する人間として、平和的生存権の提唱者の弟子として、感じたことを何回かに分けて書いていこうと思う。 

 
 1.憲法改正について
 2.前文について
 3.9条について
 4.その他、気になった条文について。
 


 1.憲法改正について

 現行の憲法では、衆議院と参議院で3分の2以上の賛成を得た後に、国民投票で過半数の賛成を得ることにより、憲法が改正されることになる。 普通の法律よりは改正が難しいのが、日本の憲法の特色で、このような憲法を硬性憲法と言う。

 自民党の案では、憲法の改正条件をより容易なものにするようだが、それは、ここでは、追及しないことにする。


 
 憲法の改正において一番僕が不安を感じるのは、

 「総論賛成、各論反対」ならば、その改正案が通る

 、という点である。 個々の改正案について多少の問題があったとしても、全体として「いいものと考えられる」のならば、その改正案は、衆院・参院の賛成以降の国民投票でも、通ることになる可能性が高い。 

 
 ちょっと簡単な例で考えてみよう。
 
 売れ残りの商品がある。
 このままじゃ誰も買いそうにない。
 どうしたら、この売れ残りをさばけるか(=個別的に賛成を得にくい条文を改正させられるか)?
 
 はい、その通り。 売れ行きの良い商品にくっつけて売ればいい。 もちろん、くっつける売れ残り商品があまりにも目に付くようだと、誰も買いたがらなくなってしまうので、ある程度のバランスをとりながら。

 
 人々の承認を得られやすいような条項たちを目玉にして、それを改正案として提出する。 これにより、多くの有権者たちが気づかない間に、草案作成者たちの隠された意図が通ることになりかねない。 空恐ろしい。 後に詳述するが、ひそかなところで、ちょっと怖い改正条文案があったりしているし。 おっと、最近の衆院選のデジャヴが。。

  
 今日は、のこり、全文の改正案についての所感だけ書いて終わろうと思う。 それも、できるだけ、メディアでは取り上げられそうにないニッチ(オタッキー)な部分を。 

 条文、特に憲法の条文解釈においてポイントは何か? 
 それは、「何が書かれていないのか?」を注意深く見ること。 書かれているものを解釈するのも重要だが、何が書かれていないかをよく考えることにより、理解がより深いものになる。 指導教授に叩き込まれた思考方法である。



 2.前文について
 憲法や多くの国際的な憲章には前文というのがあって、これは、条文の前に書かれているもの。 その法の根本的な理念を述べている。

 0)読んでみての第一印象。 
 内容以前の問題。 文章として、美しくない。 草案だから適当なだけで、正式に国会に提出するときには、もっと格調高い文章になっているのだろうか? 国家の基本法である憲法の前文というのは、国家の理念を反映するような内容のものであるのに、それが、こんな文章でいいのだろうか?


 個々の内容を見ると、
 
 1)最初の文の動詞
 現行:「この憲法を確定する。」
 草案:「憲法を制定する。」

 なぜ、現行憲法において、「確定する」としているのか? ある考え方が理由となっている。 それは、「これら憲法に書かれている理念は、すでに人類共有の価値であって、新たに創造されたものではなく、確認するべき内容のものだ」と言う考え方である。 それを草案では「制定する」としている。 草案起草者たちが何を考えていたのかは分からないが、何か、意図が反映されているのではないか? と思ったりする。

 
 2)歴史観の削除
 現行憲法においては、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることの無いように・・・」という文言が前文に含まれているが、草案において、戦前の事に触れる部分が完全になくなっている。
 普通、憲法の前文には、歴史に関する言及がされるものなのだが、草案ではそれが一切なされていない。 これは、おかしい。


 3)平和的生存権の根拠の削除
 平和的生存権は、現行憲法の前文にある「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という文を、その根拠としている。 前文そのものに権利の根拠を求めることにも争いがあるのだが、草案が通れば、その争いすら生じることが無くなってしまう。  
 あと、後に触れる9条2項の改正草案と連動して、戦力の不保持に関連する前文の内容も無くなっている。 


 4)環境問題、天皇制についての言及
 環境の保全について述べていることは、進歩だと感じられる。 また、現行憲法の前文にはなかった、「象徴天皇制は、これを維持する」という文がふくまれている。


 つづく。
Comment
≪この記事へのコメント≫
憲法とか難しいことはよくわかんないんですけど、
現行憲法9条の戦争放棄の条文を維持
しながら、
「自衛軍」の保持を明記し、集団的自衛権の行使や国際協力で武力行使を容認
することは、なんか矛盾してませんか?
首相権限を強化するってあたりも民主主義を無視してるような・・・。
知識不足なんでよくわかんないんですけど、やっぱり軍国主義に戻ろうとしてるんですか?
2005/10/29(土) 22:20:34 | URL | 敬柱 #-[ 編集]
 敬柱、コメントありがとう。
 高校生なのに、すばらしい問題意識だと思います。
 指摘した点は、いままでの政府の憲法の解釈の仕方と関連した問題でもあるんです。 明日のエントリーで詳しく書くつもりだから、ちょっと待ってておくれ。
2005/10/29(土) 22:39:10 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
>普通、憲法の前文には、歴史に関する言及がされるものなのだが、草案ではそれが一切なされていない。 これは、おかしい。

納得
2005/10/30(日) 13:16:25 | URL | a Go #YqzQT8Bs[ 編集]
 そうですよね。 国際的な憲章でも、大体は歴史観についての言及がされているのですが。
 あと、この「改正案」を見ていると、いよいよ、小泉首相の靖国参拝を否定的に見ざるを得なくなります。
2005/10/31(月) 14:58:52 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
>いよいよ、小泉首相の靖国参拝を否定的に見ざるを得なくなります。

憲法前文の文言と首相個人の宗教行為との間にどのような因果関係があるのでしょうか?

憲法改正案は首相官邸ではなく自民党内での議論でしょう。

それから、首相個人の信教の自由は踏みにじられて当然なのでしょうか?
2006/01/26(木) 13:34:48 | URL | 河田少年 #PgXQQ0.I[ 編集]
 私の知る限り、首相や国会議員などの地位にある人は、一般的に「公人」とされていて、ある程度までは宗教行為などは制限されるべきというのが、憲法学では多数を占めていた記憶があります。

 憲法改正案については、以前のエントリーを見てくださっているのであれば分かるとおり、自民党内の議論です。 舌足らずで申し訳ございません^^;
2006/01/26(木) 14:17:02 | URL | Taejun #-[ 編集]
「公人」なら人権制限は当然なら・・・・
それは「特別権力関係」の復活なんですが。

私の知る限り「公人」の人権制限が問題となるのはプライバシーや報道の自由の論点のはずです。

「選挙で選出される公人は、選挙権を実質的に保証するために自由な報道にさらされなければなりません」この、民主主義・選挙権を対立利益と考えられるから「公共の福祉」による人権制限が認められます。

翻って、公人の信教の自由を規制する対立利益は何でしょうか?中国・韓国政府の要求ですか?これらは人権論ではないと思いますよ。
2006/01/26(木) 16:04:06 | URL | 河田少年 #PgXQQ0.I[ 編集]
>私の知る限り「公人」の人権制限が問題となるのはプライバシーや報道の自由の論点のはずです。

 ちょっと自信がなくなったので、2年ぶりに憲法の教科書を開いてみました^^; 
 どうやら、公人と公務員の概念がごっちゃになっていたみたいです。。 公務員の場合、政治的活動や労働権などが制限されるんでしたね(この場合でも参拝が政治的活動かという問題が生じそうですが)。 勉強不足で申し訳ありません。

 教科書を懐かしさと共にぱらぱらと見ていたら、もっと単純なことで、政教分離の点から首相の参拝は問題になるんでしたね。 
2006/01/26(木) 16:45:59 | URL | Taejun #-[ 編集]
政教分離原則
正直言って難しい問題で、今でも考え込んでしまうのですが・・・。

政教分離原則は信教の自由を保障するための客観的制度のはずですよね・・・。この信教の自由を保障するための制度を、首相の信教の自由を制限する理由にしてしまって良いのでしょうか?

論理矛盾を感じます。

おそらく、神社神道に対する警戒の意味があるのでしょうが。これも「神社への参拝だけは許されない」と・・・・宗派で差別することになり14条違反になりかねません。
2006/01/28(土) 22:41:53 | URL | 河田少年 #PgXQQ0.I[ 編集]
 コメントありがとうございます。
 勉強になるので、これからもよろしくお願いしたいと思っています。 
 
 もうすこし、「論理矛盾」について説明をしてくださると、とても助かります。 時間があるときにでも、よろしくお願いします。
2006/01/29(日) 01:38:41 | URL | Taejun #-[ 編集]
単純です。
政教分離原則は信教の自由をより保障するための制度のはずです。

しかしTaejunさんは、政教分離原則を首相の参拝の自由を規制する根拠として用いて居られる。高裁の判断も同じです。

信教の自由をより保障するための制度が、一個人の信教の自由を規制する根拠とされるのは、矛盾した適用だと感じているのです。
2006/01/30(月) 18:14:32 | URL | 河田少年 #PgXQQ0.I[ 編集]
 よくされている議論なので、すごくありきたりですが。

 政教分離の趣旨は、仰るとおりだと思います。
 
 その趣旨をもっと説明すると、
 政治と宗教を分離することによって、個人の信教の自由を保障するためのもの、
 ということですよね?

 でしたら、国家の政治に強い影響を持つ人は、どうしてもある程度制約を受けざるを得ないのだと思うのです。 別に、趣旨と矛盾しているとも感じないのですが、いかがでしょうか?
2006/01/31(火) 01:00:33 | URL | Taejun #-[ 編集]
もう少し突き詰めて考えますと。
政教分離原則がらみの「違憲判決」といいますと、ご存知のように「玉串料」の支出を伴うもののみでした。

しかし、高裁判断やTaejunさんの立場ですと、「参拝行為」それ自体を違憲として禁止することになります。
すると、外部的行為を伴う宗教行為はほぼ全面的に禁止されます。「ある程度」にしては厳格な規制です。
そこまで厳格な規制をするとなると目的効果基準では足りず、厳格な審査基準で合憲性を審査するべきだと考えざるを得ません。違憲判断の違憲性を論じるのはおかしいかもしれないですが・・・。

次に、伊勢神宮参拝や初詣、墓参りが政教分離原則に反するかまったく問題になっていないのに、靖国神社参拝のみが問題になる部分です。

もし仮に、「靖国神社だけ参拝禁止」だから「ある程度」として許容されるのだとすると、これは特定宗教団体に対する差別になり14条違反だと思います。

逆にお聞きしたいのですが、どうして首相や国務大臣など国政上重要な地位にあるものの外部的宗教行為を全面禁止しなくてはならないのでしょうか?対立利益が何なのか?それが知りたいです。
2006/01/31(火) 21:36:49 | URL | 河田少年 #PgXQQ0.I[ 編集]
 返信が遅れ申し訳ございません。

 まず、私は、エントリーで直接に高裁判決支持とは書いていない事を確認しておきます。 http://stjofonekorea.blog6.fc2.com/blog-entry-249.html の「私見」の部分を見てください。

 さて、それでも、(以前の記事より)

① 小泉首相は過去に
 ・2001年8月
 ・2002年4月
 ・2003年1月
 ・2004年一月
 の計四回、靖国神社を参拝した。 
 秘書官を同行して公用車で訪れ、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳を行う。 献花の代金は私費で払っていた。

 という点と、

②靖国神社の参拝は、一般的な墓参りなどとの場合とは異なり、それの善悪はどうであれ、周辺諸国との摩擦を生じさせるという点で、特殊なものと考えざるを得ない

 と考えると、「ある程度」の制限の枠内に入りうるのではないか、とは考えています。 ただし、僕は、確証を持って「絶対に憲法違反だ」とは言えないと思っていることも付言しておきますね。

 とても勉強になりました。
 はじめに結論ありきの議論ではなく、はじめにロジックありきの議論は大歓迎です。
 これからもよろしくお願いします。
2006/02/01(水) 11:54:32 | URL | Taejun #-[ 編集]
周辺国の摩擦は人権制約の根拠になるのでしょうか?
>私は、エントリーで直接に高裁判決支持とは書いていない事を確認しておきます。

失礼いたしました

>秘書官を同行して公用車で訪れ、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳を行う。

純粋に私的といえないという反論ですね?
ですが、警備の必要から私用車に乗り換えて、一人で参拝するというのは非常に問題があります。

>周辺諸国との摩擦を生じさせるという点で、特殊なものと考えざるを得ない

中国や韓国が苦情を言って来たら、人権制約の根拠にしてよいのでしょうか?
例えば、中国で弾圧されている「法輪功」について、規制するよう日本に求めた場合、信教の自由の制約根拠になりうるのでしょうか?

人権とは、少数者のために存するものですし(首相と一部の政治家の人権だから規制してよいという議論はまずいと思います)、信教の自由は精神的自由権ですから対立利益が必要だと思います。

仮に、政教分離原則で貫くとして、「参拝」程度で特定宗教団体への援助・助長に当たると解した場合には、伊勢神宮や墓参りも違憲の問題になるはずです。

どうにも釈然としないですよ・・。
2006/02/02(木) 16:50:11 | URL | 河田少年 #PgXQQ0.I[ 編集]
 仰ること、まったくもってよく分かります。

 ですが、この問題はある程度グレーな場所に入る部分であるので、解釈の余地は残っていると思うんです。 特に、日本国憲法は国際協調主義を掲げているわけですし、周辺国の反応(この文脈において伊勢神宮や参墓とは区別されると思います)を考慮に入れたからと言って、あきらかに憲法に反するかというと、そうでも無い気がします。

 釈然とされないのも、よく分かりますが。。
2006/02/04(土) 07:13:30 | URL | Taejun #-[ 編集]
僕も・・・・
この問題。公金支出が明らかに「援助」にあたり、政教分離違反になるのはよいと思うのですが。

周辺国の感情というのがどうも・・・。外交上のカードになっている感のある問題ですが、人権論に政治的議論を持ち込んでよいやらすごく疑問ですね。

僕も思ったのですが、法輪功が中国でテロを行い、中国人が感情的になって「日本に取締りを要求」したケースの場合に、果たして信教の自由の制約根拠としてよいのでしょうか?

オウムの宗教法人認定取り消し訴訟によると、認定取り消しによって間接的に礼拝所の所有権喪失等々、支障が出てもそれは間接的規制だから許されるとありました。そんなことよりもテロを行った教団から財産を取り上げて被害者救済に充てるほうが優先ということでしょうか・・・。

最後に、国際協調主義も人権規制の根拠にしていいかは凄く疑問です。

憲法は人権保障の為の大典といわれますが、平和主義も国際協調主義も人権の充足のためにあるのでは?
2006/02/09(木) 01:57:04 | URL | 田中です #uvyC3nQQ[ 編集]
 コメント有難うございます。
 確かに、人権の問題と政治問題をからめることには大きな問題があると思います。 しかし、一方で、政治問題と人権問題が密接に絡みついている場合があるのも事実だと思います。 


 国際協調主義というのは、国内のみならず国外の人々の人権・権利をともに鑑みることにあるのだと感じています。 それならば、国際協調主義が時に国内の人々の権利の制約根拠になりうると考えています。
2006/02/09(木) 13:48:34 | URL | Taejun #-[ 編集]
横レス
失礼ですが・・・。
国際協調主義とは、アジアのごく一部の地域の国家の反日政策に同調するという意味なのでしょうか?
2006/02/27(月) 18:29:31 | URL | バババ #PgXQQ0.I[ 編集]
 バババさん、コメント有難うございます。
 違うと思います。 
 ただ、考慮する必要があるとは感じています。
2006/02/27(月) 22:41:16 | URL | Taejun #-[ 編集]
以前投稿した記憶があるのですが・・・。
久しぶりすぎて地震がありません。
僕もちょっと思ったのですが、憲法は人権保障の大系とされ、人権を保障するための統治機構であり、平和主義のはず。

それなのに、国際協調主義のため人権制限してよいという法解釈はなんか、おかしいような。

アジアのごく一部の国は一カ国を除いて日本より人権保障に劣る非民主国ですから、その要求に応じて人権制限しても良いというのも・・・。

人権の格付けをどう考えているのでしょうか?

平和主義=国際協調主義>人権尊重なのでしょうか?
2006/04/07(金) 15:11:28 | URL | tanaka #PgXQQ0.I[ 編集]
 返信遅れて申し訳ございません。 昔の記事だったので気付かずにいました^^;

 基本的人権の保障が一番の目的だと思います。 そのために、権利の擁護があって、平和主義があって、国際協調主義があると感じています。 

 国際協調主義によって制限できうるものと言うと、権利であって、基本的人権をそのような理由で制限してはいけないと思っています。
2006/04/09(日) 10:29:45 | URL | Taejun #-[ 編集]
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著者: 長谷部 恭男 タイトル: 憲法と平和を問いなおす現在、日本では憲法の改憲論議が熱を帯びています。今回はその憲法(特に9条)について考えてみたい。憲法改正論議の報道を見ていて、素朴に疑問を感じるのは、憲法の文言を変えることによって、現実に何が変わるの
2005/10/29(土) 22:07:18 | 読書の記念碑
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