
「ガイア仮説」というものをご存知だろうか?
漫画、ARMSでも取り上げられている概念だ。
研究プロジェクト「ガイア」を立ち上げた、ジェイムズ・ラヴロック(フリーランスの科学者、74年に王立協会のフェローに選出)によれば、その内容は、以下のようなもの。
我々の惑星を構成している全てのものは、物理的なものであれ、生物的なものであれ、あたかも単一の生きたシステムとみなすことができる。 すなわち、全体を平衡に保つべく、変化や損傷を自らの内部で保証できるような自己調節をする存在とみなすことができる。
宇宙といった大きな単位でなくても、この、「循環システム」という考え方に基づいて物事を考えると、本当に色々なことが見えてくると思う。 これをもとに、次々と起こる疫病などについて考えてみようと思う。
1.自然の循環システムの複雑さ
2.新種の病気の発生と循環システム
3.人間の身体と循環システム
4.循環システムとともに生きる

1.システムの複雑さ
循環するシステムというのは、とても複雑なもので、数多くの要因が交じり合って、一つの結果を生み出している。
たった一つの事柄について、「ああすれば、こうなる」というのは、システムの構築においては殆どありえない。 何らかの波及効果が思わぬところに生じたりする。
1971年まで散布されてきた農薬DDT。 これを散布すれば、害虫がいなくなると考えられていた。 結果はどうなったか。 確かに害虫は一時的にいなくなったが、また、耐性をつけて戻ってきた。 さらに、その農薬が大量に含まれた野菜を食べた人々の健康には重大な被害を及ぼした。 興味のある人は、レイチェル・カーソンの「沈黙の春
人間の世界でも似たようなことがある。 例えば、「あいつを追い出せば、自分たちの組織は良くなる」という類のもの。 組織が悪いのは、その人個人によるのみならず、それ以外の多くの要因によるところが多い。 それを直さない限り、どうしようもない。 また、その、追い出そうとしている人が、他の人々の知らないところで、重要な役割を果たしていることも十分考えられる。
経済に関しては、それ一つでエントリーがいっぱい書けそうだから、割愛。 ちなみに、人間の意識が届かないという意味においては、市場もまた自然と呼べると思う。

2.新種の病気の発生と循環システム
社会的に大きな問題を生じさせる病気は、多くの場合、自然の循環システムに何らかの形で介入したために起こっていると思う。
狂牛病がなぜ生じたか、覚えている人は多いと思う。
牛の骨を砕いて牛に食べさせるという、自然の循環システムに無い食生活を、牛にさせたがために、狂牛病が生じたのだ。 共食いをさせられた牛とそれを育んだ自然からのしっぺ返し。
エイズ。 元々人間の入ることがなかったアフリカの森の奥地に、人が入り、宿主である動物(猿だったっけ)と接触したことが原因。 入ってはいけない地に踏み込んだ人間に対する、自然からの悪夢の贈り物。
そして、現在流行の鳥インフルエンザ。 卵を多く産むために、薬漬けの餌を与え、かつ、24時間中、昼のように明るいライトを、鶏がありえないくらいにびっしりと入った小屋に照らし続けた。 食べられるため「だけ」に生きる命からの報復。
病ではないが、毒のダイオキシン。 やはり、プラスチックなど、自然に分解されない(=自然の循環システムの中に入らない)物を作り出したことが、その要因になっている。
ベトナム戦争時にアメリカが撒いた枯葉剤。 これも、もともと、自然には無い毒。 自然の循環により浄化することが非常に困難な毒。

3.循環と人の身体
人間を自然と対立させるのは間違っていると思う。 人間も自然の一部で、自分自身のうちに自然を持っている。 自然に対置させるべきは、意識。 その意識が届かない領域が、自然たる人間の身体の中にあるということを、僕たちは忘れてはいけないと思う。 ままならないものなのだ。 ここらへんは、養老氏の「一番大事な事
水が変わっただけで、人間の身体は、大きな変化を起こす。 例えば、僕は、日本以外の土地に行くと、水が違うためお腹を下す。
髪の毛はいつも生えては抜けていくし、皮膚は常に新しいものを作り上げている。 爪はどんどんのびるし、骨もどんどん入れ替わっていく。 循環しないもの、変わらないものは何も無い。
循環システムの中に無いものが身体の中に入ると、大変なことが起こる。 戦後ベトナムで撮られた上の写真で、もう十分だろう。

4.循環システムと共に生きる
僕たちがするべきことは、どこかの哲学が主張するように自然を征服したり収奪したりすることでは決してなくて、自然とともに生きることにあると思う。
自然の循環システムの外にあって、それを外から変革しようとするのではなく、自分もその循環システムの中にいるという事を自覚して、内から変革しようとするスタンスが、とても重要だと思う。 自然環境においてもそうだけれど、人間社会の組織においても、同様のこと。
自然に対しても、社会組織に対しても、「外からの介入」を主導する人が多いと感じる。 だから、こんなエントリーを書いてみた。
自然とともに生きる。 それが、自然に生きるということなのだと思う。
ブッダが弟子たちに語ったように。
老子が道について説いたように。
リバプール出身の四人組が「Let it be(あるがままに)」と歌ったように。
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