Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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立居振舞の美しさ。
 受験に備えて、高校生たちが図書館に殺到する季節、
 あなたは、図書館で研究をしていました。
 お昼になったので、荷物をそこに置いて、外に出ます。  
 食事を済ませたのち、ちょっと考え事をしたかったので近所を散歩していました。 

 一時間ほどたち、元の場所に戻っていると紙の切れ端が置いています。 それも、すごい汚い殴り書きで。

 「長時間離れるのなら、荷物を置いていかないでください   迷惑です」



 あなたは、どんな反応をしますか?

-------------------------------



 半年くらい前、立居振舞を正そうと思い立った。
 無用なことで人を怒らせる自分には嫌気がさしていたし、何より、自分の精神的な生活をもっと豊かなものにしたかったから。 かてて加えて、僕が将来する仕事は、人の恨みを買う可能性がただでさえ高いのだから。


 最近になって、立居振舞の根本が少しは分かった気がする。
 
 それは、「相手を思い遣る」ということ。

 すべての立居振舞の美しさは、これに尽きると思う。 
 たどたどしい動作をしない事や、所謂「洗練されていない」事というのは二の次なのだということに、この頃気付いた。 形式的な礼儀を身につけていなくても、思いやりが全身に行き渡った人の立居振舞は美しい。

 
 道端で相手とぶつかったら素直にあやまる。
 誤られて不快になる人なんていないから。

 外でご飯を食べたのなら、お店の人が片付けやすいように食器を纏めておく。
 外に出るときには「ご馳走様でした」、と挨拶。
 誰だって、こう言われたら嬉しいもの。

 コンビニでものを買ったら、店員さんに「ありがとうございます」、と言う。
 こうすると、お互い気持ちがいいもの。

 ゴミやタバコをなげすてない。出来れば拾う。
 地球の環境もそうだけれど、それを掃除している人がいるのだから。
  

 もちろん、時には意見の相違があるだろうし、自己主張をしなければならない時だってある。 「相手を思い遣る」といいながら、そこで引く必要は無いと思う。  けれど、1年単位で考えたら、そうして過ごす時間と言うのは、たいしたことの無い分量でしかないとも思う。 基本スタンスは、思いやりで行きたい。


 今になって、「人の気持ちを考えろ」と僕に毎日言い続けてきた父や、「てじゅん、対局後に碁石を片付ける時は、相手のことも思い遣りなさい」諭していた囲碁の道場の先生の真意が、少しは分かった気がする。




 ・・・それなのに、冒頭の紙の切れ端を見たときの、僕の第一反応は、「カチン」、だった。  そして、その後に、カチンと来た自分が恥ずかしくなる。  「そんな言い方しなくてもいいじゃないか」と言う台詞は、「悪かった」と自分が反省した後に、出てくるべきもの。 思い遣りの行き届いた人ならば、そうするだろう。
 

 道は遠いなあ。
Comment
≪この記事へのコメント≫
ふーむ、難しいですね。

気性というのは人それぞれ違いますし、年齢による経験の差、その人の段階というのもあると思います。

僕も同じく「カチン」ですねw 読んでてそうなりました^^;

「迷惑」というのも非常にその人の主観によるので、別になんとも思わない人もいますし。 却って、そういう殴り書きを放っていく人も狭量だなと思います。 食事時の空席をそのようにしか捉えられないのですから。

謙虚も大事ですが、過度なお人好しでいると、人を思い遣れない人間はやりたい放題をし、迷惑な人間をのさばらせることにもなります。今の中国などを見るとそちらの方が恐ろしく、今日の中国のあり方を招いた責任が、日本の弱腰外交の在り方にあるような気がしてなりません。

成熟した人間関係を築こうと思ったら、相手も近いレベルになければ難しい、と考えています。
2005/12/16(金) 13:43:55 | URL | atsu #-[ 編集]
はじめまして。
私自身も「道は遠いなあ」と感じているタイミングだったのでコメントさせてください。

自分の思考行動パターン範疇での方法で、行為の良し悪しを指摘された場合はけっこうすんなり受け入れられるものですが、
自分の思考行動パターン外の(経験したことのない)方法で、指摘をされた場合は、内容とやかくの前に、まず、たじろいでしまいます。
ましてや「自分は大丈夫」という自負、あるいは油断(またはすっかり常識だと思いこんでいる)があるときは、瞬時に「カチン」になってしまいます。

特に私に余裕がないときに頻発します。あ~ぁ。です。
ど真ん中にいると全然見えなくなっているのですが、時間が経てばじんわり納得出来ることもあります。
たいていはその場限りじゃない方との関わりで起こるので、日々、客観的であれればなあ、と不甲斐なく感じているわけであります。

まあ、程度の差こそあれ、人はそういう特性があるのだと思い遣って、人間関係構築に役立てたいと思っています。

。。。思っているだけですが。むー。
2005/12/16(金) 17:17:08 | URL | へたれうさ被衣姫 #-[ 編集]
 Atsuさん、
 結構前の記事まで目を通していてくれてるのですね。 ありがとうございます^^。

 確かに、行き過ぎると、ただの「弱い善人」となっていまうので、それは避けたいと思っています。 
 主張をするべき時ははっきりと言って、そうでない時は、そよ風のような雰囲気をまとっていたいものです。

 近日中に連絡します。
 楽しみにしてますね。 



 へたれうわさ被衣姫さん、
 初コメントありがとうございます。

 そうですね。 人間は生来、異質なものに対しては受け入れられない性質をある程度もっているみたいです。 だから、予想もしなかった批判を受けたときには、カチンと来る可能性は高いかもしれませんね。
 
 自分をはっきりと持ちながら、かつ、客観的であることって、本当に理想ですよね。 

 客観的に物事を考える天才である鈴木敏文も、そういった考え方は「訓練の賜物」だと言っているようです。 彼でさえそうなのだから、私たちも努力を続けて生きたいと思っています。
2005/12/16(金) 23:36:23 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
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