Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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こころとくらし。
 うまくいかなかったときに、原因をどこに探すか。

 精神や思想から探す。
 
 という人は結構いると思うけれど、これだけでは足りないと思う。
 ただ、やる気がなかった、や、気合が足りなかった、もしくはそれらをもうちょっと洗練された表現に移し変えて理由にしてみても、事は大して発展しない。 

 重要なのは、精神のみならず、その精神を生み出した自らの生活や振舞を振り返ってみて、問題解決のための具体的な実践を考えることにあると思う。 
 
 一見関係なさそうに見えつつも、その人の精神と日常の生活というのは、とても密接な関係を持っている。 お互いがお互いに作用しあう。 片方がおかしくなると、多くの場合、他方もおかしくなる。
 精神が偉大とされる人間を見ると、みな、日常の生活も徹底している場合が非常に多い。 マハトマ(「聖なる魂」)と呼ばれた、ガンジーの暮らしを見ればいい。 南アフリカからインドへ戻った彼は、塗炭の苦しみを味わっていたインドの民衆と同じ農業をして、同じ服を着て、同じものを食べた。 回顧録で自信が振り返っているように、彼は元々皆が知るほどには精神の高潔な人間ではなかった(それでも一般的なレベルでは高潔だったとは思うけれど)。 彼のあの偉大な精神は、その日常から培われたものだと思う。


 ちょっと振り返って考えてみたら、僕が今まで育ってきた環境では、すべてにおいて、精神と行いの一致が徹底していた。
 囲碁の道場では常に座禅をさせられたし、サッカー部では声がきっちりと合うまでえんえんとグラウンドを走らされた。 大学での寮生活においても生活に関する規則がしっかり定められていた。 今になってより深くわかる、そのすばらしさ。 あの、無意味と思えもした日常のうちに、僕の未熟な精神は多少なりとも鍛えられていたのだと思う。

 「苦しい時ほど声を出せ」と、常に言い続けられた空手を久しぶりにしてみて、ふと思い出した。 感謝することが多くなった今日この頃です。
Comment
≪この記事へのコメント≫
そうだよね。
人を教える立場になって特にそう思うよ。
生徒たちがやってることに無意味なものなんてない。こっちはそう思うんだけど彼らはなかなかそうは思えないしね(笑)こっちがそう言っても実感することが難しいんだろうね。自分もそうだったし。
まあ大体の人が卒業した後とかに気づくんだろうけど。早く気づけYO!!って叫びたくなる衝動を抑えてる今日このごろです。
2005/12/20(火) 12:10:40 | URL | Richard #-[ 編集]
 特に部活とか、規則とかは、そういうのが多いですよね。
 「無意味なものなんてない」、まったく同感です。 
2005/12/20(火) 22:24:44 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
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