Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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人生は舞台、人は役者。
 役者は、したくなくても、舞台に上った以上、演技をしなくてはいけない。
 
 普段の生活でも同じことが言えるのではないだろうか。
 
 演技なんてしたくなくても、せざるをえない、人生の状況に個々人は立たされていて、生きていくために、演技をすることがしばしばある。
 しかも、人生そのものが舞台だから、そこで始めてしまった演技は、なかなか撤回することが出来なくて、ずるずると、続けるようになってしまう。 時間がたてばたつほど、脱しにくくなる。
 演技をせざるを得ない場合のみならず、演技を自ら望んで行う場合もあって、事はどんどん複雑になる。 さらに、この「自ら望んで行う演技」といわゆる「自己改革」は同じものかもしれないという懸念もあったりして。

 いつの間にか、演技をしている自分がが本当の自分か、演技をする前の自分が本当の自分か分からなくなる。 そもそも本当の自分って何だろう。 

 こんな経験って、僕だけなのだろうか?
 同様の感じを受けたことがある人、コメントくれたらありがたいです。
Comment
≪この記事へのコメント≫
本当の自分なんて無い。

本当の自分を作ってしまうと、嘘の自分も当然作ってしまうことになる。

いつだって自分は自分だからね。

全てを受け止めればいいだけさ。

演技をしていると感じるのは以前と環境が変わって、そこに適応しようとする時。

プライドを捨てきれない時。

自信がない時。

色々な局面があると思うけど、自分という人間の可能性を見れる良い機会だと楽しもう。

2006/01/07(土) 11:35:37 | URL | リンボー #-[ 編集]
演技する前の自分も演技してる自分も「自分」ですよ。
それは、意識も無意識もすべて自分だという所と同じですね。

そういえば自分のマイミクに役者さんいます。
相当、ディープな人たちですからチェックしてみればいかが。

前、わからんと言ってた踊りー舞踏家さんもいますよ。
2006/01/07(土) 15:15:49 | URL | gyu #-[ 編集]
村上春樹の確かダンス・ダンス・ダンスの主人公もそんな悩みを抱えていたような気がします。

悩んでも仕方ないので、私はさまざまな相手に対する自分のキャパシティのようなつもりで肯定的に捕らえています。
2006/01/07(土) 21:30:14 | URL | チキンワイヤー #SIH3y5y6[ 編集]
 みなさん、コメントありがとうございます。

 別に落ち込んでたりはしてませんよ。 ただ、たまに、すごい不思議に感じるので書いたわけです。

 リンボーさん、
 初コメントですよね? ありがとうございます。 「本当の自分なんて無い」ですか。 確かに、そういった側面がありそうです。 新旧の間でゆらいでいるのが、人間の実存なのかもしれませんね。←この言葉、リンボーさんのコメントに触発されて思いつきました。ありがとうございます。
 
 GYUさん、 
 コメントやら色々本当にありがとうございました。 なるほど、「自分」という精神的存在を定義するときの線の引き方について、色々と考える必要がありそうですね。←これも触発されて思いつきました。

 踊り、、今年こそは理解できる人間になりたい。。

 
 チキンワイヤーさん、
 ここへのコメントは初めてですよね。 ありがとうございます。
 どんな時にでも、ポジティヴな観点を持ち続けること、大切ですよね。←これまたインスパイア。 
 
 
 本当にありがとうございました。
2006/01/07(土) 23:04:44 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
>この「自ら望んで行う演技」といわゆる「自己改革」は同じものかもしれないという懸念もあったりして

このフレーズで「懸念」という言葉を使っているところに、本音が出ている気がする。「本当の自分」への郷愁が感じられるね(違うかな?)

「本当の自分」を非実体的に捉えることのできないあなたのような頑固者への処方箋は………ない笑

「本当の自分」をどう捉えるか、かなぁ問題は。

①たぶん、本当の自分というのはある程度は実体的且つ不変的なもので、その人特有のパーソナリティだからどこかしらでにじみ出る、と考えること。簡単に言えば、「本当の自分/仮面の自分」という二分法から精神的に逃れること。もっとも、これは仮面の自分を比較的自覚的に演じている(手順もそう。じゃないとわざわざこんなエントリー書かんでしょ)という意識を持つ人にとっては説得力が薄い。にじみ出るぐらいでは満足できない、というか「本当の自分」を積極的に表象したいとどこかで思っているはずだからね?(違う?)

②そもそも「本当の自分」なんてあるのか?というリンボーさんのような考え方。「本当の自分」というものを非実体的に捉える考え方。といっても、ネガティブな考え方でも虚無的な考え方でもなんでもなく、むしろ仮面の自分を演じるということで新たな「本当の自分」を創り上げていくことができるという非常にプロセス的な考え方。俺もこのような考えももっているが、「本当の自分」への郷愁にとらわれている人にとっては「わかっちゃいるけど……でもね~」と思わせてしまう感じがする。

てな分け方が大雑把にはできると思う。でも分けてはみたがまとまらず。責任感の強い人ほど努めて「仮面の自分」を演じるのだと思うよ。

俺の考えとしては様々なしがらみの中でも「演じたい自分=本当の自分」の姿を見失わずに、「仮面の自分」を演じるってとこだな、今は。「人は人生の役者のみではない」なんていえるほど強くないし、自分の中での倫理的にも厳しいものもある。だから当面はこの問題は俺の中では思考停止です。あと何年かしたら考える予定です。

まとまってないけど、これは永遠のテーマだね。
2006/01/07(土) 23:21:55 | URL | ちゅう #-[ 編集]
 さすが、長い付き合い。
 ばれてーら。笑

 そして、さすが「現代版ウェルテル」の称号保有者(あれ、言ってるの俺だけ?)。

 演じていること(仮面をかぶっていること)自覚してます。 ただ、元の自分のあり方じゃ、目標を達成できそうには無いから、仮面をかぶるっきゃないんだよね。 かぶってた仮面がいつの間にか皮膚になっていることを願っています。 しかも、俺が尊敬する人格者達も、最初は仮面をかぶっていて、それがいつの間にか皮膚になってたんだと感じてる。
 
 「本当の(?)自分」に対する愛着は、半分半分。 打ち捨てたい感じもするし、反面、とどまっていたらとても安心するかもしれないと言う感じもする。 その意味で、「郷」愁って表現、素晴らしいね。 プロセス的にとらえると言う考え方、すなわち、俺にとっては弁証法的な考え方をすると、どうしても、感情のポジネガは半分半分くらいになる気がする。

 なんか、言葉にしたら難しいけど、美術作品にしたらすごい面白いのが出来る気がしてきた。←本日最高のインスパイア。

 ありがとう。
2006/01/07(土) 23:42:35 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
シェイクスピア
 ゲーテもいいですが シェイクスピアもいいですね
ただ、シェイクスピアは 著作を読むより、演劇の方が
個人的に味わい深いですが・・・
 私は 自分を 客観視して 生きています。
泣くときも 笑うときも 怒るときも 喜ぶときも
それが自然に心の泉から溢れたものでさえ あぁ、
今こんな風に感じて それを 表現している自分が
いる・・・等 思うものです。

 演技してようがいまいが 全部自分ですね。
ある程度 成熟したら そんな全ての自分を客観視
出来るようにしたい と思うまでです。
 
2006/01/08(日) 01:37:57 | URL | I-RIAS #-[ 編集]
 あ、シェイクスピアって分かりましたか。 
 さすがです。

 演劇は、演出家ごとに全然違ったものになるので、本当に面白いですね。
 
 客観視ですか。 僕にコメントを下さった皆さんは、きっちりと客観視が出来ている素晴らしい方々ですね。 

 これからも、貴重なコメントよろしくお願いします。
 
2006/01/08(日) 22:46:25 | URL | Taejunomics管理人 #-[ 編集]
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