Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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神話化の論理からの脱却。
 好きな学者の一人に、小熊英二という人がいる。
 その人の本に「単一民族神話の起源」というのがある。
 日本において、単一民族論がどのようにして発生・定着していったのかを豊富な資料と共に説明している。 彼は、過去の神話化の本質は、「他者と向かい合って対応を図る煩わしさと恐れから逃避し、現在に当てはめたい自分の手持ちの類型を歴史として投影すること」と喝破する。

 その本の内容はさておき、その結論部の占めの言葉を引用しよう。

 「求められているのは、神話からの脱却だ。それは、若干の労力を要する。年齢と経験を経るごとに、人間の知識在庫は蓄積され確信を増し、一方で相手と一人一人誠実に対応する体力は低下してゆく。 その関心と疲労の隙間に、神話は忍び込む。 だが、そのことに意識的となり、神話にとらわれる一歩手前で踏みとどまるだけの力は、誰しも持ちあわせていると信じたい。
 異なるものと共存するのに、神話は必要ない。必要なものは、少しばかりの強さと叡智である。」



 厳密な論理的思考をやめるようになると、個別の物事に関連性を無理やりに見出したくなる。 それは時には必要なことなのだけれど、最大限用心して行うべきものだと、僕は考えている。 必要だとしても、帰納的飛躍は、最後の最後に一度きり使うべきものだ。
 
 

 たまにコメントしてくれるすぐr先輩が紹介していた記事を読んだ。
 http://www011.upp.so-net.ne.jp/dennews/chok.htm

 語っている内容こそ、現在のメディアの体勢を占める内容と違うけれど、その議論の進め方は、小熊英二風に言えば、一種の「神話化」に他ならないと思う。 別に、紹介した議論だけでなく、僕達がよく見る、いわゆる『ウヨク』・『サヨク』の言論ともに、「神話化」の論理をどれだけ内包していることか。

 いつまでも、点と点を無理やり線として見たがる衝動を抑えらえる、強い智の力を持ち続けたいものです。
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