Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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パレスチナ、アラブ人、ハマス勝利。
 日本の大阪にルーツを持つ、ナニワ民族がいるる。 ナニワ民族は現在、日本には住んでおらず、世界中に散り散りばらばらになっている。 世界中で差別を受けていたナニワ民族は、自分達の国を日本の国土に作る事を決め、運動を始める・・・ 

 こんな話をきいたらどう思いますか?
 荒唐無稽だと、多くの人が思うでしょう。
 だけど、荒唐無稽な話じゃないんですね。





 社会に大きなインパクトのあるイベントが起こったときには、そのイベントに対して理解を深められる背景知識について可能な限り書きたいと思っている。 それが、専門家でもない僕の出来ること・すべきことだと思っているから。

 パレスチナにおける選挙、なぜハマスが勝利したのか。
 もちろん選挙には偶発的な事情が影響を及ぼしはするが、今回の事は、偶然や、短期的な政策の変化(例えば、ブッシュ政権によるパレスチナに対する温厚な政策)だけでは説明するに十分では無いと思う。

 説明力を加えるために、以下の点について述べて行こうと思う。

1.シオニズムとイスラエルの建国
2.中東戦争
3.パレスチナ人の境遇と運動
4.結びに




1.シオニズムとイスラエルの建国 
 シオニズムとは、ユダヤ人がシオンの地であるパレスチナ/イスラエルに帰り、ユダヤ人国家を建設しようとする思想。 そのシオニズムに基づいたユダヤ人国家建設運動が、シオニズム運動だ。 ちなみにシオンとは、エルサレム市外になる丘の名前で、紀元前約1000年弱の時期のイスラエルを統一した王であった、ダヴィデ王の城や墓がある場所。 

 シオニズム思想・運動の背景には、19世紀に巻き起こった反ユダヤ人運動がある。 代表的なものといえば、やはり、フランスで起こったドレフュス事件を挙げられる。 ユダヤ人であった将校ドレフュスが、スパイ容疑で地獄島と呼ばれる監獄へ入れられることになる。 後にこれは冤罪であったことが明らかになる。
 これら反ユダヤ人運動が渦巻く中で、ユダヤ人が自らの国家を持ちたいと考えるのはいたって自然の事だった。 1897年スイスのバーゼルにおいて第一回シオニスト会議が開かれる。 イスラエル国家独立宣言の中には「イスラエル国家は全ての国から、ディアスポラ(離散した者という意味)のユダヤ人の移民を受け入れる。 ・・・われわれは、世界中のユダヤ人に対して、移民と開発の任務を果たすため、我々の周りに結集するように呼びかける。」 

 さて、想像が湧かないかもしれないので、さっきのたとえ話をもうちょっとエスカレートさせよう。

 日本の大阪にルーツを持つ、ナニワ民族がいるとする。 ナニワ民族は現在、日本には住んでおらず、世界中に散り散りばらばらになっている。 世界中で差別を受けていたナニワ民族は、自分達の国を日本の国土に作る事を決め、運動を始める。
 世界中にいたナニワ民族が、大国の支援を受けて日本に大阪民国を建国。 そして、もともとそこに住んでいた大阪人達を強制的に追い出していく。

 想像もつかない。

 しかし、現実に、その運動が結実し、イスラエル国家が建設されたわけだ。

1947年2月29日の国連総会にて、パレスチナ分割案が承認される。
 当時イギリスの委任統治領であったパレスチナは、
・ユダヤ人国家
・アラブ人国家
・国際管理地区
 の3つに分けられる。 
 分割案では、全体の57%がユダヤ人領とされた。 しかし、アラブ人の割合は当時においてすでに3分の2であり、不公平なものだった。
その後更に、シオニストは、「ダーレット計画」と呼ばれるアラブ人一掃作戦を開始。 1948年5月14日、イスラエル建国の以前である4月10日には、デイル・ヤーシーン村のパレスチナ人村民約250人が虐殺されている。 

 シオニズムそのものが悪いとは思わない。
 抑圧を受けてきた民族が、自分達の国を持ちたがる事をだれが反対できようか。
 問題は、シオニズムの結果、起こった混乱にある。 シオニズムに排他的な側面が無い事は、誰も否定できないと思う。
 今も昔も、シオニズムに反対するユダヤ人はいる。 けれど、それらユダヤ人は自虐的なユダヤ人と呼ばれる場合が少なくないそうだ。




2.中東戦争

 1949年、イスラエルの独立を認めないアラブ諸国が、パレスチナの地に侵攻する。エジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、イラクの連合軍。 第一次中東戦争において、アラブ連合軍は敗北、57%だったユダヤ人領は77%となる。 この領土拡大による追放作戦により、難民となったアラブ人は80万人。 当事、パレスチナのアラブ人は130万人であり、半数以上が難民となったことになる。
 第4次まで続くが常にイスラエルが勝利。 第三次は6日間で終結し、そのとき新たに70万人が難民となる。
 パレスチナに侵攻したアラブ諸国も、その後、難民となったパレスチナ人を煙たがるようになる。 ヨルダン内戦時にパレスチナ解放勢力を追い出すための黒い9月事件が起こり、その結果、PLO(パレスチナ解放機構)の本部ヨルダンを追い出されたことなどが、その端的な例だと思われる。 PLOはヨルダンを追い出され、レバノンへ。 その後、そのレバノンでも内戦が始まる。
  


3.パレスチナ人の境遇と運動
 抑圧のあるところには反抗のあるものだ。
 1957年、パレスチナ解放運動のファタハが結成される。 つい最近まで与党であったファタハだ。
その後、パレスチナ解放機構PLOが創設され、ヨルダンへ本部を置く。
 
 蜂起運動も起こる。 インティファーダとよばれるものがそれだ。 第一次は1987年から93年まで(第二次は2000年から)。 
第一次インティファーダの主な抵抗手段は石だった。 アラブのスカーフを頭に巻きつけた少年少女たちがイスラエル軍に石を投げて抵抗をした。 そのため、第一次インティファーダは石の革命とも呼ばれている。 このインティファーダによって刑務所その他施設に連行されたパレスチナ人は、ガザ地域だけでも8万人に及ぶ。死者1000人、重軽傷は10万人にも及んだ。

 88年11月15日、パレスチナ国民評議会は、パレスチナ独立宣言をする。 宣言には、両国の共存を呼びかけられていた。 しかし、その内容は、パレスチナの地の23%のみを独立国家として認めるという不平等なもの。 もともとパレスチナ人だけの地が、戦後43%になり、その後中東戦争の敗北の度に狭まっている事を考えると、譲歩といわざるを得ない内容である。
 以後、イスラエルにおいて労働党が与党となった翌年の93年、ノルウェーの仲介により、PLOと労働党が秘密交渉を開始する。 その結果、オスロ合意Ⅰ(パレスチナ暫定自治に関する原則宣言)が9月13日に調印。  95年9月28日、パレスチナ拡大自治合意(オスロ合意Ⅱ)が調印される。
 この合意により、ヨルダン川西岸地区の自治区は
・A地区(パレスチナ暫定自治政府が行政権・治安権をともに掌握)
・B地区(パレスチナが行政権を、イスラエルが治安権を掌握)に分類される。 

 しかし、合意の後、イスラエルの首相であったラビン氏が暗殺される。
 僕はこのときの事を強く覚えている。
 なぜなら、中学の頃にお世話になった歴史の先生が、オスロ合意Ⅱがなされた次の日の新聞を僕達に見せて、「君たち、これ、うまくいくと思うかな? 先生は、絶対にうまくいかないと思っている」と話していたからだ。 (その先生のエピソードはこちら。

 この暗殺により、一時期見えかけた和平もあっさりと崩れる。
 その後の事は、これを読んでくれている皆さんの記憶に新しいと思う。

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 2000年7月クリントン大統領の仲介により行われたキャンプ・デービッド交渉も決裂。 
 2000年9月28日には、第二次インティファーダ(アル・アクサ・インティファーダ)が開始。 発端は、イスラム教徒が朝の礼拝をしていたハラム・シャリーフ(イスラム教徒の聖地)に、シャロンが訪問し田時に起こった、イスラム教徒のシャロンの警備隊の間で衝突。 
 
 2001年、リクード党党首のアリエル・シャロンがイスラエルの首相へ。 オスロ合意を無視し、パレスチナ暫定自治区のA地区にイスラエル軍が侵攻開始。 イスラエル軍によって、外出禁止令が頻繁に出され、パレスチナ解放活動家の殺害も相次ぐ。 翌年には、パレスチナ暫定自治区の主要都市に侵攻(守りの盾作戦。なんちゅーネーミングだ。)。 ヨルダン川西岸地区で隔離壁(アパルトヘイト壁)の建設が開始される。
2005年、アメリカ、ロシア、欧州連合、国連の4者でパレスチナ新和平案(ロードマップ)を提唱。
2004年 アラファト死去
2005年、ガザ回廊全域とヨルダン川西地区の一部の入植地の撤退。 撤退のニュースが大きく報道されていた同時期に、東エルサレム地域では引き続きイスラエルによる領土拡大が行われていた。
--------------------------



4.結びに

 戦後、イスラエル国家が建設されてから、パレスチナのアラブ人たちが受けてきた苦痛には、枚挙に暇が無い。 ここでは載せない代わりに、前回のエントリーで、代表的な事件を盛り込んでおいた。

 テロは悪い。
 無実の人が犠牲になる場合が多い。 いや、犠牲になった人に何かしらの咎があったとしても、テロという手段は間違っていると僕は思う。
 のみならず、テロという手段によって、意見が受け入れられる可能性もそんなに高くない。
 
 ただし、テロがなぜ起こるのかについて知る必要がありそうだ。
 何の理由もなしに、人間が自爆テロなどを起こすだろうか? そんなわけがない。

 そして、もう一つ忘れてはならないのは、当たり前の事だけれど、ほとんどのパレスチナ人はテロという行動を起こしていないこと、非暴力的なもの言いを続けていることだ。 日本の報道ではあまり伝えられない事柄でもある。

 
 これまで述べてきた状況において、ハマスが政権をとったこと、その理由を、考えていくべきだと、僕は思う。 よりよい世の中のために。
Comment
≪この記事へのコメント≫
参考情報
こんにちは。興味深く拝読しました。

田中宇(たなか・さかい)さんという
方のメルマガを読んでいます。
イスラエル・パレスチナ問題にも
関係ありそうな記事です。参考まで。
(探せば他にもあると思います)
http://tanakanews.com/f0622israel.htm
http://tanakanews.com/f0705israel.htm

また多分共感してもらえるフラッシュを
後悔しているサイトがあります。
http://www.islamacademy.com/
ここの真ん中くらいReligion of Peace
というコーナーのThis is Islamを
是非見てください(フラッシュが必要です)。
音楽と構成のバランスも良くて秀逸です。

ご参考まで。
2006/02/01(水) 05:39:50 | URL | taka #-[ 編集]
 takaさん、コメントありがとうございます。
 田中さんの本は、今まで数冊読んだことがあります。 国際政治に関する本、興味深いですよね。

 フラッシュ、今から見に行きます。

 貴重なコメント、ありがとうございました。
2006/02/01(水) 12:07:38 | URL | Taejun #-[ 編集]
見てきました。
素晴らしかったです。

僕は、宗教が好きです。
人々の間に行き続けてるって事は、人の心の琴線に触れる何かを持ってきたからなんですよね。
宗教について学びながら、そういった事を知りたいと思っています。
2006/02/01(水) 12:20:37 | URL | Taejun #-[ 編集]
このフラッシュを見ると、優れた
音楽やメディアやエンターテイメントという
ものが、世界を変えることができるかも
しれない、ということを素直に信じることが
できる気がします。

僕は特定の宗教を持ちませんが、
実家が父方が神道、母方がキリスト教
(プロテスタント)、おじが仏教家、
中高はカトリック系、という育ち方を
したので(家には神棚と聖書と仏様が
混在してました)、信仰心だけは抱負に
あるつもりです。米国に来てイスラム文化
やイスラム教の友人に日常的に接する
ようになり、また米国軍のPRや研究費の
使い方、イラク政策など見聞きし、
知らなければならないことが
まだまだあることを感じています。
2006/02/01(水) 19:53:09 | URL | taka #-[ 編集]
 そうですね。
 僕は、世界を歌で救おうとしたジョンレノンの言葉を信じて音楽を始めたのですが、それを思い出しました。

 信仰心とともに寛容の精神が育まれる、素晴らしい環境だと思います。
 また何かあったら、是非コメントくださいね。

2006/02/01(水) 21:52:44 | URL | Taejun #-[ 編集]
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パレスチナ評議会選、ハマスが過半数の76議席獲得とのこと、ある意味予想通りです、
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