Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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人ノート1:ガンディー-真理と愛を帝国よりも強大にした人。
 望まれてもいないのに、はじめます。 「人ノート」連載。


 ※この「人ノート」は、個人史の記録よりも、その個人から学ぶ事を目的としているので、僕が感じたその人物の長所なりをまとめるのに重点が置かれます。 記録などに関しては、ウィキペディアなどをご参考にしてください。


 第一回は、この人。 ガンディー。


1.略歴
2.ガンディーにとっての神
3.メッセージ力・歴史観・非暴力主義
4.徳のある日々の行い
5.結びに


1.略歴
 まずは、ウィキペディアに掲載されていた略歴から。
南アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後はインドの英国からの独立運動を指揮した。その形は民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力・不服従」を提唱した。この思想(彼自身の造語によりサティヤーグラハすなわち真理の把持と名付けられた)はインドを独立させ、大英帝国を英連邦へと転換させただけでなく、政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。特に彼に倣ったと表明している者にマーティン・ルーサー・キング、ダライ・ラマ14世等がいる。

 より詳しいものを知りたい方は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC こちらをご覧ください。


2.ガンディーにとっての神
 彼にとって神とはどういうものだったのでしょうか?
 インタビューにおいて語っています。 彼にとっての神とは、「真理(それに基づく愛)・智・歓喜の三位一体」だったようです。
 真理はインドではサティヤと呼び、その語源は、「存在すること」だそうです。 そこから、彼はこのように語っています。 「神が真理であると言うより、真理が神なのである。」 
 そして、その真理の探究の結果が愛というものだと彼は考えています。 この愛の考えはアヒンサー(殺さないという仏教の戒律)につながるものだそうです。 全てのものに慈しみを持つからこそ、当然ながら殺さない。 「己に害をなすものをも寛恕する人は、自らも前進すると共に、時には敵対する人をも携えていく。」ということを彼は信じていたようです。 また、彼にとって、慈悲・魂も同じような概念でした。 こう語っているように:「慈悲の心、愛の力は、魂の力、もしくは真理の力と同じです。」
 真理に基づいたところにのみ真実の智があると、ガンディーは考えました。 これは、社会科学における真理について思い悩んでいることがある僕にとってはとても新鮮なものの考え方です。 自らの見解の正しさを問うときに、その根底にあるものが真理(→愛)なのか、どうか、それを考えるべきだとガンディーは説いたのです。
 そして、真智をもったもののみが得ることができる歓喜があるのだと、彼は考えました。 仏教で言うと、
法悦の境地とでもいえるものなのでしょうか。

 以上のように、ガンディーにとっての神とは、真理と愛、それに基づいた智と歓喜の統一体だったようです。 偶像的な神ではなくて、彼の信念の統一体こそが、彼の思う神だったのだと思われます。 


3.メッセージ力・歴史観・非暴力主義
 彼のメッセージ力、歴史観、非暴力主義は、彼の知性(それは彼の神とつながっている)とそれにたいする信念に基づいているのだと、僕は感じています。

 メッセージ力。 ガンディーの言葉は、とても簡潔です。 難しい言葉はめったに使いません。 僕達にとってはなじみの無い言葉なので多少は難しく感じるかもしれませんが、その馴染みの無い言葉の多くは宗教用語であり、当時のインドの民衆は容易に彼の話を理解できたことだと思います。 さらに、たとえ話がとてもわかりやすい。 ものを書くときにも話すときにも、読み手・聞き手と対話をしようとする姿勢が強く感じられるものの話し方をします。  また、彼は、「あなたのメッセージは何ですか」と言う問いに、「私の生涯が私のメッセージである」と答えたそうです。 言葉や文字より、彼の行いそのものが一番強いメッセージだったことに疑いを挟む余地はなさそうです。

 歴史観について。 彼は愛と真理に対する希望をもって歴史を見ていたようです。 彼は、「世界の歴史で愛の勝利が語られていないのは、歴史そのものが支配者によってのみ語られてきたからなのです。」と語っています。 また、このようにも語っています:
 「 多数の行為が誤っており、少数者の行為が正しいことがわかった例は、いくらでも挙げることが出来ます。全ての変革は、もともと、多数者に対して少数者が始めたものです。」
 「自分が正しいと思うことが疑わしくなっても、思い悩まず真摯に努力を重ねてゆけばよいのです。」
 「歴史上かつて起こらなかったことは、今後も一切起こらないだろうと信じるのは、人間の尊厳への不信の証拠です。」
 と、このように、真理と愛に対する信念に基づいた、揺るぎの無い彼の歴史観を見ることが出来ます。

 そして、非暴力主義です。 しばしば、非暴力主義が、消極的な抵抗と取り違えられますが、それは誤りであるとガンディー本人が語っています。
 「非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上も無い勇ましい心をもつ人の武器として思いついたものなのです。」
 
 この非暴力主義には、彼の真理と愛に対する信念と共に、目的と手段は整合的で無いといけないという思想に基づいていると考えられます。 彼が以下のように語っているのですから:
 「彼らが暴力を使ったと言うこと、そして我々にだって同じ行動がとれるというのは、まさにその通りです。けれども、同じような手段を用いたのでは、我々も彼らが得たものと同じものしか得られません。 我々はそんなものを望んではいません。 手段と目的との間にはなんら相関関係は無いと信じられているようですが、それは思い違いも甚だしい。 そうした思い違いをするものだから、宗教的と思われていた人々までが、とんでもない罪を犯してきたのです。」
 ビジネスや政治でも同じことが言えそうですね。 やはり、徳を持ってビジネスを進めた人が最後には成功するのでしょうか。 ちなみに、このような文脈から、社会主義に対して、彼は次のように語っています:
 「社会主義というのは美しい言葉である。社会主義は水晶のように純粋である。したがって、それを成就するには、水晶のように透明な手段が必要である。 不純な手段は、不純な結果に終わる。 ・・・したがって、インドと世界に社会主義を築くことが出来るのは、非暴力を信じる誠実で純粋な心を持つ社会主義者たちだけである。 私の知る限りでは、この社会に本当の社会主義といえる国家は一つも存在しない。」


 4.徳のある日々の行い
 ガンディーにとっては、毎日が己のための修養のようでした。 そのうち、ここでは、仁愛、寛容、謙虚、自制を挙げようと思います。

 まず、仁愛。 これは、皆が知ることかもしれませんが、全てのものに対して仁愛をもって対したのがガンディーでした。 植民地主義者に対しても、相手の人格に対する敬意を常に払っていたことが、様々な対話からうかがい知ることが出来ます。 さらに、彼は人生をかけて不可触民(インドカースト制度の最下層の人々)の撤廃につとめました。 ガンディーは、不可触民たちを、「神の子」とつねに呼んでいました。

2点目、寛容。 この寛容は、彼の仁愛からの当然の帰結だったようです。 彼は、全世界を親類と考え、生きとし生けるものを己の生命のごとく愛するようつとめていました。 上に挙げたように、敵に対しても他宗に対しても寛容の態度をとっていました:
 「私は、どの聖典にも基本的に同一の精神性を見出した。 当時にも今にもどうしても理解できない事柄があっても『自分では理解できないことは誤りである。』と決め付けるのは早計である事を経験から知っていた。」
 「仏陀は何をしたでしょうか、キリストは、そしてムハンマドは何をしたでしょうか? 彼らは自己犠牲と放棄の生涯を生きたのでした。」
 
次に、謙虚。 彼は、人々からの自分に対する賛辞とそれによる高慢をおそれました。 5度ノーベル平和賞候補になったにもかかわらず、すべて辞退しています。 自らに対してつけられたマハートマ(聖なる魂と言う意味)という呼び名についても困惑を見せています:
 「私に与えられたマハートマなどという称号は、私にとってはいっそう価値の無いものである。その称号は、しばしば私を深く苦しめた。 それが私を喜ばせたと言う記憶は無い。」
 これくらい、謙虚な心持でいたいものです。

 最後は、自制です。 質素と言ってもいいかもしれません。 彼は、人間の欲には限りがなく、どこかで歯止めをかける必要を考えていました。 物質的な欲望には限りが無いのですから、それを追求したところで幸せなどはありえないと彼は考えていたようです:
 「それが無いとき、どうやって暮らしていたのかを思い出せばいい。」
 「(現代文明、特に当時の西洋文明に対する批判)文明とは人間に義務の道を指し示す行為の様式です。 義務はすなわち道徳であり、それは人の心と情欲を抑制します。 なぜなら、それらはとどまるところを知らないからです。」
 「不便や病に対し常に処方をしてしまい自業自得を受けないでいると、身体はよくても精神がどんどん蝕まれていきます。」
 「幸福というのは主として心の状態にある事を先祖は知っていました。こうした事を色々考えた上で、我々の祖先は我々に贅沢や快楽を避けるように説いたのです。」
 足る事を知ること。 そこに本当の幸せがあるというのは、真理だと僕も感じています。


5.結びに
 ガンディーが死んだとき、アインシュタインは「後の人々はこのような人間が肉の身体を持って地球の上を歩いていた事を誰も信じないだろう。」と哀悼の意を表しました。 竹の杖以外に何ものも携えずに、真理と愛を帝国よりも強いものにした彼の生涯から、僕たちは多くのものを学べると思います。 本当に人間に必要なものは何なのか、今の世の中において、再び考えてみる必要がありそうです。 

 最後に、映画「ガンディー」で引用された言葉を紹介して終わります。
 
 When I despair, I remember that all through history the way of truth and love has always won. There have been tyrants and murderers, and at once they seem to be invincible, but to the end, they always fall. Think of it.

 絶望するとき、私は全ての歴史を通じて真理と愛の道が常に勝利を収めてきた事を思いだす。 今までも僭主や殺人者達がいて、彼・彼女らは、一時は無敵に見える。 しかし、最後には、滅び去っている。 それを思いなさい。」
Comment
≪この記事へのコメント≫
こんにちわ
ガンジーは、情報戦のうまい人物で、
自らが新聞会社を興し、記事を書き、
情報を駆使して、非暴力という手段に
望みました。ガンジーは結構したたかですよ。
成した行いは非常に素晴らしく、共感できるものも
多くありますが、理想が強すぎて、現実離れな
話をする事もしばじはでした。

ガンジーは、1940年にナチスドイツがイギリスに侵入する直前、イギリス国民にこう言いました。

「持っている武器を下に置いてほしい。武器はあなた方を、ないしは人類を、救う役には立たないのだから。あなた方はヒトラーとムッソリーニを招きいれることになるだろう。あなた方の国、あなた方が自分たちのものと称している国から、かれらは欲しいものを持っていってしまうだろう。もしこの紳士たちがあなた方の故郷を占領したなら、あなた方は立ち退くことになる。もし、かれらが脱出を許さなかったなら、あなた方は男も女も子どもも、虐殺されることになる。しかしあなた方は、かれらに忠誠を尽くすことは拒むだろう」
殺されるがまま 侵略されるがままってのは
人間として賢い姿なのだろうか?そうなる前に
手を打って戦う手法として、外交があるのにね。
外交こそ、戦争を防ぐ未曾有の暴力に対抗する
唯一の武器。愛で、戦争を止められたって話は
今の所聞かないな(知ってたら教えてくださいね。)
ガンジーは、世界に情報戦を拡大して、大英帝国の
横暴を次々暴露して、戦い、その後ろ盾の基に
非暴力という人間の良心に訴える手段を用いた、
大変な策略家です。

熱い魂を持った人だった事は間違いないですね。
ただ、彼は、自分に厳しくする分にはともかく、
他者にも自分の厳しさを押し付ける所があり、
禁欲主義など、真似したくない点も一杯あります 笑

では
 
2006/02/12(日) 14:01:09 | URL | I-RIAS #-[ 編集]
 情報戦、たしかにそういう見方が出来そうですね。 彼の取った非暴力主義は、先頭の論理に沿った戦略としても十分機能したと考えられそうですね。

 ありがとうございました。
2006/02/13(月) 08:03:03 | URL | Taejun #-[ 編集]
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