Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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ちょっと聞きたいのですが・・・
 お尋ねしたいのですが・・・
 下の考え、ロジカルでしょうか??
 いや、厳密な意味で論理的というよりも、いわゆる「筋の通った考え」でしょうか?

----------------------
 自分が真理だと考え付いたアイディアがある。
 私は今まで、多くの人にそのことを説いてきた。
 賛同者もいるが、そうで無い人もいる。
 このままだと、自分が寿命を全うした後、この考えは残らないのではないだろうか。

 私が死んだ後に、この考えを世に残すためにはどうすればいいか。

 私の考えを、他人をして語らせることだ。
 
 自分の考えを自分が語ることと、他人が語ることには、大きな違いがある。 その話を聞いた人間が感化されるときの性質が違ってくるのだ。

 聖者がいるとする。 
 そんな人の話を聞くとする。
 人によっては、「あの人は聖者だから」と片付けてしまい聞く耳を持たないかもしれない。

 だが、その聖者に感化され、その教えを我が物にした人の話を聞いた場合はどうか。
 「自分も、今語っているあの人のようになれるのかもしれない。 あの人も、もとは平凡な人だったのだから。」
 と、感じるのではないだろうか。
 考えはよりよくひろまるかもしれない。
 
 だから、自分以外のものが、強い信念と共に、私の考えを語ってくれる必要がある。


 そのために、どうすればよいか。

 その人たちに、強い義務感を呼び起こす必要がある。

 
 義務感を最も強く呼び起こす方法は?

 
 自分が、その信条に基づいて、その人たちのために、死ぬことだ。

 私が死ぬことによって、私の考えは、より多くの人にひろまるだろう。 そうして、私がいなくなったあとの世界はよりよいものになるはずだ。
-----------------

 ※もちろん僕には、こんなことをやる気も根性もありません。
Comment
≪この記事へのコメント≫
思いつきですが・・・

これはつまりキリストがやったことですよね。
その他の長く続いている宗教の教祖が
やったことかもしれない。

自分が思うのは「その他の人」に共感や
感情移入を起こさせる仕組みが必須だろうと
いうことです。「なにやってんのあいつ?」
程度の「死」は「他人」に影響を及ぼし
得ない気がするので(たとえ信念に基づいて
「他人」のための死であっても、その人たち
に深く「届く」必要があるわけです)。

より強くは「他人」たちの「使命感」を
喚起する、というか。
キリストの弟子達は彼の死によって、きっと
強くこの使命感を喚起させられたわけです
よね。彼の生き様を後世に伝えなければ、と。
想像ですが。

多くの人やある特定の人にとって
他人事ではなく、身につまされるような
ことについて、私利私欲ではなくむしろ
下々のもの(普通の人たち)のために
自己犠牲をいとわず結果として死に至る。
(多分やりようによっては死ななくても
いいのかな、と書いていて思いました)

それは多くの人に支持されるヒーローや
教祖やカリスマを生む構造の1つのような
気がします。

思い付きでまとまりませんが・・・
2006/02/09(木) 00:14:30 | URL | taka #-[ 編集]
すいません、質問に答えてませんでしたね。

筋が通っているかというと、
歴史がそれを証明しているように
思いますが、同時に足りないものがあるかな、と。
それが自分の感覚では前述した
「共感」「感情移入」を起こす装置であり、
「使命感の喚起」の装置である、という
感じでしょうか。
2006/02/09(木) 00:16:21 | URL | taka #-[ 編集]
全く賛同できない。

この「聖者」からは自己愛しか感じ取れない。

自分の志を残そうというのは人間のエゴでしかない。

「聖者」が愛するのは自身のエゴイズム、自身の理論、自身の理想。

自己愛を否定するのではない。しかし、自己愛を死後にまで引きずるのはいかがなものか?

自己愛から生まれた理論は時に輝いて見える。

執着的なナルシズムの結晶として世に残る場合も少なくない。

しかし、そもそも自己愛的な発想は自己愛的な人間、時に利己的な人間に利用される。

その結果、他を排他し、暴力的な理論と化して世に轟く。為政者に渡れば最悪の結果をもたらす。

理論は人を愛せない。死人も同じ。

人を愛せるのは、生きている者だけ。

愛は生きている。とても繊細なものだ。

2006/02/09(木) 00:32:47 | URL | nyuudou #-[ 編集]
 takaさん、いつもありがとうございます。
 
 >これはつまりキリストがやったことですよね。
その他の長く続いている宗教の教祖が
やったことかもしれない。


 ずばりその通りです。
 件の「人ノート」を作成している途中で、思い当たったもので。。
 
 共感を生む構造、身につまされる心理をもたらす行動、本当に仰るとおりの事を感じています。

 宗教家のそれとは違うとしても、この構造そのものにとても関心があるんです。 僕が将来望んでいることに対して、貴重なインプリケーションを見出せる気がしてるんですよね。


 もう少し、考えを深めてみようと思っています。
 
 これからもよろしくお願いします。
2006/02/09(木) 00:33:25 | URL | Taejun #-[ 編集]
nyuudouさん、お久しぶりです。 読んでてくれてたのですね、有難うございます。

 手厳しいコメントですね。 ですが、理解できるお話です。 特に以下の部分は:

 >しかし、そもそも自己愛的な発想は自己愛的な人間、時に利己的な人間に利用される。

その結果、他を排他し、暴力的な理論と化して世に轟く。為政者に渡れば最悪の結果をもたらす。
  


 さらに質問で申し訳ないのですが、時間があるときにでも答えていただければと思います:
 考えられた真理が「お互いに愛し合う」ということであっても、上のような思考と行動を経る限り、自己愛になってしまうのでしょうか?
2006/02/09(木) 00:41:33 | URL | Taejun #-[ 編集]
一粒の麦もし死なずば
私は理想主義ですが、手段においては現実主義な上に、職業柄疑り深いんで・・・もし、こういう「狙い」の下に自分の命を絶つのであれば、私は、その押しつけがましさゆえに、この人を信用しないだろうなと思います。
乱暴な言い方をすれば、この手法自体は自爆テロと大差ないんじゃないかとすら思うわけです。
私がキリストについて面白いと思うのは、自分の言葉を紙に残したわけでもなく、はたまた、弟子達に伝えろといったわけでもなく・・・もっといえば、自称「弟子」達よりも罪人や娼婦に対して最も理解を示したように見え、また「敵」に対しても寛容だったことです。彼は「自分の発見した真理」が広まらなくては「いけない」と本当に思っていたんだろうか?・・・哀れな衆生が高尚な真理をなかなか理解しないことにいらだっていたんだろうか?
・・・何となく、彼にはそうした「野心」が似合わない気がするんですよね。
本当の真実というものは、あえて残さなくても、誰の中にでもあり、必要なのは、ちょっとしたきっかけで、大仰な自己犠牲や地獄云々の脅しは必要ないんじゃないかと・・・そうした大仰さや自己犠牲が必要だったのは、誰もが持っているものを、あたかも「自分に従わないと得られないもの」のようにしてしまいたかった自称「弟子」達や時の政府や、その後の「教会」だったんじゃないかと・・・
というわけで、私はキリスト「教」は信じていないんですが、聖書の中に残されたいくつかの「言葉」は、自分の中にもそれを見るが故に信じるんですよね。
まとまりのない話で申し訳ありません。
2006/02/09(木) 01:25:11 | URL | 47th #cyygG8p6[ 編集]
よくわかりません・・・・・。
賛同者もいるが、そうで無い人もいる。

 このままだと、自分が寿命を全うした後、この考えは残らないのではないだろうか

この部分に論理の飛躍を感じます。
賛否両論だからといって後世に残らないとはいえません。

>義務感を最も強く呼び起こす方法は?
↓ 
> 自分が、その信条に基づいて、その人たちのために、死ぬことだ。

なんだか、イスラムの自爆テロを思い起こしてしまいます。
人の死とはインパクトがあります。そのインパクトが他人を引き込むわけです。日本も特攻隊を美化することにより、次々と現実感を見失った人たち、それもハイティーンの人たちが出て、死んでいく姿まで自爆テロリストと同じです。
彼らを祭った靖国神社に参拝し続ける小泉首相は知覧で特攻隊の遺品を見て号泣されたそうです。確か、親族に特攻隊員がいるやにも聞いています。
確かに外交政策上は「得策」ではないのかもしれませんが、だからといって慰霊してはいけないとは、とても僕には思えません。
16や18の子供に、「国のために市ね」と言って、本当に殺してしまった悲劇を痛むのは人間の自然な感情のような気がします。

ちなみに、靖国神社は僕の家の近所なので、初詣に行きますし、春になると桜を見に行きます。神社の横の遊就館には兵器とともに、特攻隊員の辞世の短歌が収められており、そのキーワードのトップは「おかあさん」だそうです。

リベラル政党の政治家によると、彼らは「軍国主義の協力者」で、中国共産党によれば靖国神社は「ヒトラーが祭られているのと同じ」だそうです。

ギャップを感じるのですが、国家の犠牲者としても特攻隊を黙殺するのに反対する私は右翼なのでしょうか・・・。

テーマと外れた投稿ですいません。政教分離の記事を先に読んでいるものですから・・・。
2006/02/09(木) 02:14:37 | URL | 田中です #PgXQQ0.I[ 編集]
 47thさん、コメント有難うございます。
 >私はキリスト「教」は信じていないんですが、聖書の中に残されたいくつかの「言葉」は、自分の中にもそれを見るが故に信じるんですよね。
 
 とても共感します。
 キリスト教のみならず他の宗教にも、「自分の中にも見るもの」を見出せるので、僕は宗教に敬意を払おうと思っています。

 
 モーゼの律法の不備を人々に説いた彼が、律法学者ひしめくエルサレムに行けば十中八九死ぬということは、分かっていたと思うんです。
 それなのに行った理由、そして死後キリスト教が普及した理由を考えてみたくて・・・ もちろん、真相を分かる由も無いのですが、限りなくリアルに考えることによって得るものは大きいと思うので、引き続き考えを深めていこうと思っています。

 p.s.47thさんのお話しするキリスト、ドストエフスキーが描くキリストにとても近い感じがしました。 読まれたかと思いますが、もし読んでらっしゃらないのなら、カラマーゾフの兄弟や白痴など、一度読んでみてくださったらと思います。
2006/02/09(木) 13:28:41 | URL | Taejun #-[ 編集]
 田中さん、以前コメントくださった田中さんとは違うかたでしょうか? でしたら、はじめまして。 コメント有難うございます。

 
 論理の飛躍などについては、仰るとおりだと感じます。
 そして、自爆テロみたいというのも、仰るとおりだと思います。 自分でも書きながらそう感じていました。

 上の思考経路は、多分経ていなさそうです。 もっと深く考えていたはずと思われますね。 アドバイスを参考に深めていこうと思います。 


 本論からそれたところですが、僕の感想を述べますね:

 小泉首相が仰っていることも、十分に理解は出来ます。 国、もしくは、自分が属している社会集団のため死んだor殺された人の事を偲ぶのを否定しようとは思いません。 僕も、「きけわだつみのこえ」などを読みながら、涙した一人です。
 
 靖国神社に、異なった背景を持った人々が集まりすぎているため(戦争関連でも、戦争をはじめた人から、幼い特攻兵まで)、問題が複雑になっているという気がします。  
2006/02/09(木) 13:38:54 | URL | Taejun #-[ 編集]
聖書の中では「山上の垂訓」が好きでした。
本物のトリックスターで、既成の価値観で物を見る知識層を笑い、弱いとされている人の中にあるしたたかさを愛し、そして自分の頭と目で物事を見ることを尊いと感じていた人だったんじゃないか・・・上から決められたことへの全面的な信頼を要する宗教的な匂いからは一番縁遠い人だったんじゃないだろうか・・・などと勝手なイメージを抱いてます。
ドストエフスキーも中学高校の頃結構読んでいて「虐げられた人々」はとても好きだったのですが、何故かカラマーゾフは、(多分最初がかたぐるしくて)読み始めては挫折していたんですが、今度チャレンジしてみます^^
2006/02/09(木) 14:07:04 | URL | 47th #cyygG8p6[ 編集]
人間の死に対して幻想や期待を抱きすぎている気がします。
キリストは間違いなく例外です。
精神世界を物質世界が侵食している今日、人間の死というものは、その人の考え方や存在感を数世紀にもわたって保ち続けさせるほどのインパクトを持たないと考えます。
死後の忘却は恐怖です、この地球という星に小さくても引っかき傷くらいの生きた証を残したいと思うこともあります。
しかし、意識して残そうとすれば、時としてそれはただのパフォーマンスになってしまうのかもしれません。
2006/02/09(木) 14:08:45 | URL | MI #-[ 編集]
47thさん、
 確か、ガンジーも山上の垂訓を賞賛していましたね。 また読んでみようと思います。
 今のローマ・カトリックのあり方と、キリストの生涯に何かギャップのようなものを感じるのは僕だけではなさそうな気がしています。 


 >多分最初がかたぐるしくて 
 僕もそれで一回挫折しました^^; 最初の200ページあたりが本当にもう。。 
 
 


MIさん、ロジカルなコメント有難うございます。
 >精神世界を物質世界が侵食している今日、人間の死というものは、その人の考え方や存在感を数世紀にもわたって保ち続けさせるほどのインパクトを持たないと考えます。

 読みながら、なるほど、と感じました。
 確かに現代において、キリストが現れたとしてもそのインパクトは昔ほど大きくならないような気がしますね。

 それと、下心がある犠牲は、パフォーマンスに終わり何も呼び起こさないと言うのも同感します。 下心がある時点で、犠牲とは呼べないものになっているのでしょうね。
2006/02/09(木) 14:55:31 | URL | Taejun #-[ 編集]
宗教とは異なりますが、
皆さんのコメントを読んでいて
鹿児島出身者としては、明治維新の際の
登場人物たちを想起しました。

彼らの目的は「個人の何か」を達成すること
ではなかったと思いますが、自分の生命を
省みなかった点では幕府側も維新側も
非常に自己犠牲的でした。

是非はともかく、今でも鹿児島の高齢者の
いる家庭には西郷さんの肖像画が
かけられていることが多く(あくまで個人的
な印象)、彼らのアイデンティティーの
形成に重要な要素となっています。

僕らやそれ以下の年齢の人にもある程度は
存在感があるのではないでしょうか。
(これもあくまで推測)
個人的には西郷さんよりも坂本竜馬好き
なんですが。。。
坂本竜馬のメンタリティーこそ、
歴史に名を残すとか、国を憂うとか、
自己犠牲とか、そういうものとは別次元の
極個的な欲望から発動したもののように
勝手に理解しています。
しかし結果としてあれだけのドラマと
後世への存在感を体現したわけですよね。

歴史に選ばれてそして捨てられていく、
と司馬遼太郎さんがどこかに書いていたように
思いますが(記憶違いだったらすいません)、
三国志などもそうですが、歴史を見ていくと
そういう感性に打たれますね。

話があさっての方向に行ってしまいました。
ご容赦ください。
2006/02/09(木) 21:39:51 | URL | taka #-[ 編集]
しつこくすいません。
古谷実の漫画「ヒミヅ」読みました?

ある高校生(だった男)の死までの話ですが、
このエントリに関連して
なんかヒントがあるように思います。

もしご存じなかったらお試しあれ。
(決して気分のよい話ではないですが、
おススメメです)
2006/02/09(木) 21:47:46 | URL | taka #-[ 編集]
すいません「ヒミズ」でした。
2006/02/09(木) 21:48:23 | URL | taka #-[ 編集]
 「竜馬が行く」は、小6のときに初めて読みました。 衝撃でした。 吉川栄治の三国志も、小五のころにはじめて読みました。
 
 今になって考えると、これが今の僕を強く形作っているのだと感じています。 これらの本は、今でも読み返しています。

 僕も、維新期の人々の姿にはとても学ぶものが多いと思っています。 政治とかとは離れたところで、坂本竜馬も西郷隆盛も好きです。 多分、この二人は、そのうち人ノート連載に登場するはずです^^


 ヒミズ、探してみます。

 ありがとうございました。
2006/02/09(木) 23:07:45 | URL | Taejun #-[ 編集]
他の宗教からこの観点を眺めて論じてみたい。仏教はどうだろう?釈迦は「覚り」を完成させ、その教えを弟子たちに伝え、そして涅槃に入った。

仏陀は「自分以外のものが、強い信念と共に、私の考えを語ってくれる」ことを喜ばなかった。自分自身も他より請われれば相手に対して自分の教えを論じたが、積極的に布教に励むことはなく、自己の修行にいそしみ、弟子たちにも自己を見つめ、努力によって覚りを開くことを諭した。

さて仏教は現在まで伝わっている。これはどういうことだろう?
2006/02/12(日) 10:58:45 | URL | F.Nakajima #-[ 編集]
 F. Nakajimaさん、
 おっしゃるとおりですね。 
 仏陀は、(現代風に言えば)個人主義(自己を尊重すること)を基本とした、縁起の法を説いたのですよね。 うーむ。
 現在、「人ノート」には仏陀が書かれています。 近いうちにそれも記事にするはずなので、そのときに突っ込み期待しています^^
2006/02/12(日) 12:28:37 | URL | Taejun #-[ 編集]
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