Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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読書のススメ。
 僕の成長に本が与えた影響は、はかり知れなく大きかったようだ。

 今でも忘れない。 小学5年生の僕がある日家に帰ると、父は吉川栄治の三国志全八巻をテーブルの上に置いていた。

 「読んでみろ。 読みきったら、図書券五千円分をやろう。」

 図書券とはいえ、小学生にとっては大金。
 不純な動機から、読書はスタートした。

 もともと読書は好きだったけれど、それでも、最初は難しかった。 巻末の語句説明を参照しながら、登下校時に読み続けていた。 董卓が死ぬまでがやまだったか。 その後は、すらすら読めていた記憶がある。
 いつしか、当初の図書券五千円のことも忘れていて、本に夢中になっていた。 登場人物に感情移入し、写真でしか見たこともない中国の大地に想いを馳せながらページを手繰っていた。 本が終わってしまったときには、満足感とともに、言いようのない虚無感を受けたのを覚えている。

 
 6年生になり、「竜馬が行く」を読み始める。
 父の本棚にあったものを勝手に引っ張り出して読み始めた。
 そこでも、竜馬に夢中になる。 竜馬とともに一喜一憂する日々だった。

 
 中学生になると、部活と囲碁の道場が忙しくて本をあまり読まなくなったが、中国の歴史小説だけは読み続けていた。
 一番多く読んだのは、宮城谷正光の小説。 介子推、天空の舟、孟嘗君、張耳、楽毅、、いまだに強く記憶に残っている。


 高校生になると、高校サッカーに全精力を注ぎ込んだ。 朝5時には起きて朝練をして、授業中は「身体を大きくする」という大義名分(?)のもと爆睡、夜は部活後も自主練をして、家に帰ったら一時間以外に就寝、という生活だった。 それでも、高三のころなど、生徒会長を兼任していたので、そのときの問題意識に沿った本は読み続けていた。 キング牧師やガンジー、朝鮮史の本や、辺見庸などのジャーナリストの本を読むようになった。 一番苦しかったとき(多分このとき)、これらの本と、小中学生のころに読んだ本を読み返すことによって、どれだけ助けを得たかわからない。

 
 大学生になった。 
 真剣に、世の中をよくするための学問をしようと決めていた。
 1、2年生のころは、気が狂ったように、哲学と文学の古典を読みふける。
 学校の勉強はまったくそっちのけ。
 そこに、すばらしい真理があるはずだと思い込んでいた。
 不思議なもので、本を読みきって、そこに何が書かれていたのかはあまり覚えていなかった。 その代わりに、その哲学者や文学上の登場人物ならどう考えるのか、といったものの見方考え方が少しは身についていた。 同時に、学者固有のひねくれも(これを直すのに苦労した)。
 本の中にすべての答えがあるわけがないということを思い知る。

 3年生になって、経済学と法律と英語の勉強を始めた。
 文学や歴史・哲学の本は、それでも読み続けていた。



 
 今になって、それらの本によって、今までの自分の人格の少なくない部分が形成されてきたことに気づく。 
 
 あの時、父が、三国志を僕に勧めなかったら今の自分はあっただろうか。 多少は違った僕がいたに違いなさそうだ。 感謝してもしきれない。

 先人には、読書によって修行を積んだ人が多い。 僧侶や武芸者などだ。たとえば、宮本武蔵は、3年間閉じこもって本を読み続けたという。 戦国時代の武将なども、常に古典を持ち歩き、それを読んでいたという。  


 専門書籍を読むことも重要だけれど、時には、そうでない本を読むことの重要性を強く感じるようになった今日この頃です。
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