Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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人ノート②周恩来―世界の人々が慕った大地の子。
 それでは「人ノート」第2段。 今回は、周恩来です。

 ※前回もお断りしましたが、このノートはもっぱら、僕自身の精神や、将来の投資活動に必要とされる眼力その他の向上に資するために作成しているので、学ぶべきと個人的に感じた内容のみを記すことになっています。 結果的に、ポジティヴな見方にバイアスがかかっている可能性があります。 もしテスト対策などに使ったら痛い目を見る可能性は高いので、ご注意を。



1.略歴
2.知性
3.徳
4.肝
5.手腕
6.結びに

1.略歴
例によって、ウィキペディアから略歴を引用させていただきます。

 周 恩来(しゅう おんらい、Chou En-lai、Zhou Enlai, 1898年3月5日 - 1976年1月8日)は、中華人民共和国の政治家。

建国から死去まで中華人民共和国の政務院総理・国務院総理(首相)として在職。毛沢東の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚しなかった。

1972年に田中角栄首相と日中共同声明に調印したことでも知られている。


 ※文化大革命ってなに?と言う方は、こちらをご参照ください。



2.知性
 僕が彼の関連書籍を読み一番強く感じたのは、彼の知性でした。 精悍な顔つきに輝く双眸は、知性を感じさせるに十分な風貌でしたが、実際に、彼は生涯において常に知性に溢れた決断を下してきたと感じています。
 その知性の具体的な内容は4つだと感じました:
 ・博識であること 
 ~相当熱心に勉強をしていた周恩来の博識は、世人皆が知るところだったようです。 総理として外国からの記者の前で会見をするときにも、常に何事も言い淀みなく明確な答えを示すことが出来ました。 また、たとえ話などが含まれ、わかりやすくてメッセージ性に強く簡潔で親しみの持ちやすい話し方だったそうです。
 文章作成能力もとても高かったらしく、直前で作る必要があった原稿など、自らが口頭で話し、それを書記官に記録させることによって原稿文としたことも数多くあったそうです。 それらの原稿文の質もかなり高かったというのは、多くの国の代表が認めるところでした。

 ・大局を読む能力
 ~政治家として最も必要とされるこの能力に秀でているのも彼の特徴でした。 周囲の意見に流されることなく、常に自分の目で政局を見つめていたようです。 例えば、朝鮮戦争の開始当初、ほとんどの人々は、この戦争が1ヶ月程度で終わると考えていましたが、彼はそうは考えていませんでした。 他にも、文化大革命の性質についてもしっかりと理解をしていて、10年に及ぶ文化大革命が始まって間もない頃から、部下達に以下のような話をし続けていました。
 「抗しがたい激流が押し寄せてくる。 もはや押しとめようがない。流れに逆らわずに情勢を良い方向に導くべきである。そうしなければ激流に押し流されてしまう。」
 「問題は、一部悪人がこの機会を利用して大衆運動を操り、大衆運動を分裂させ我々の対外関係を破壊していることだ。 こうした人物は、自体が暴露された段階で始めて発見できるのである。」

 文化大革命の終了、そしてその後を見れば、この意見がいかに正しかったかに感嘆せずにはいられないと思います。



 ・学ぼうとする姿勢
 ~これほどの知性をもちながら、彼は常に「人から学ぶ」という姿勢を崩しませんでした。 誰に対しても、「私は分からない」と言うことができる人でした。 文化大革命期においても、彼は常にこのスタンスを取り続けています。 自分がこの運動の趣旨を分かっていないのではないかと、常に問い続けていたのです。


 ・条理を重んじる姿勢
 ~知性の当然の帰結なのですが、当時の中国においてこれを貫くことがどれだけ難しかったか分かりません。
 彼は、勇壮と無謀を区別できる人でした。 大躍進運動時にも、無謀な指標を掲げる人々に対し、常に反動主義者とレッテルを貼られる事を恐れずに批判し続けてきました。
 文化大革命期には、無知で粗暴な紅衛兵を根気よく説得し続けました。 また、自分の名に迷信がこもっているから改名をしようとしたチベット系の学生の改名を止めもしました。 極左的傾向についても、常に批判し続けてきました。
 特に、文化大革命期に、次々と人々がつるし上げられる状況を見ながら、彼は幾度となくこのように話しています:
 「批判をするにしても、事実を述べ、条理に沿って行うべきだ。」



3.徳
 辛口で有名なキッシンジャーでさえ、周恩来に対しては惜しみのない賞賛を与えました。 周恩来は、その人柄から、味方からのみでなく、本来は敵に属する人からも尊敬を受ける人でした。

 それらは、次の3点に現れていると僕は感じています:

 ・謙虚/自制
 ~彼は常に、自己批判をする事を忘れませんでした。 常に自分に至らないところがないか分析をし続けました。 人前でも、常に己の過ちについて語り続けました。 当時の社会主義の政治において、国のトップが人民の前で己の過ちを話すことは前代未聞の事でした。

 ・人々に対する愛
 ~上で述べた自制心も、この愛に基づいていると考えられます。 彼は常に同僚と人民の事を考え続けていました。 文化大革命時に、つるし上げになっていた同僚達を擁護し、またすでに冤罪で失脚していた同僚達の名誉の回復につとめ続けていました。
 文化大革命時に工場が停止するのを絶対に阻止しようとしたのも彼でした。 その理由は簡単です。 工場がストップすることによって被害を受けるのは、貧しい生活を余儀なくされている人民であり、彼・彼女らが塗炭の苦しみを味わうことを絶対に避けたかったからです。
 癌を患った後ですら、常に人民の事を第一に考えていました。 手術直後に部下にした話が、人民の経済生活向上に対する話だったことなどにもそれが現れています。 癌になっても職務のための徹夜をした夜は数知れません。 「私には死ぬまで国に尽くすと言う言葉しかありえない。」と、彼は常に言い続けていたそうです。


4.胆
 革命闘争を生き残ってきたからか、彼の胆の据わり方は尋常ではなかったようです。 外交の席で躊躇や動揺を見せることはほとんどなかったといわれています。 また、彼と同じ外交の場にたった多くの人々が、その威風堂々とした姿に惚れこんだそうです。

 政治家としての彼の胆の強さを見せてくれたのもまた、文化大革命期だったと思われます。
 彼は、林彪や江青に批判をされても(彼・彼女に批判されると、つるし上げの可能性が高い)常に平然としていました。 このような言葉を残しています:
 
 「私としては、君たちがあらゆる材料を持ち出し私に抗議してもかまわないし、大字報を貼り出してもかまわない。 私は打倒されることを恐れない。数十年革命に携わってきた私としては、自分自身がつまづいたり、逆方向に走り出してしまうことを除けば、恐れることなど何もない。」
 また、同時期、部下達に対して、このように叱咤激励しています:

 「かつて我々が敵と戦っていたときには、誰もが虎穴に深く入り、犠牲を恐れなかった。 今日においてはなおの事、『自分が虎穴に入らねば誰が入るのだ』といった革命精神で、あえて熱湯、熱火に身を投じ、激流に身をさらすことが必要である。 そうすることによって初めて流れに押し流されることのない、主体的地位を築くことが出来るのだ。
…私が地獄に行かねば、誰が地獄に行くのか。 私が苦難に身を投じねば、誰が苦難に身を投じるのか。」




5.手腕
 以上のような煌く知性や人格のみならず、政治手腕においても周恩来のそれは飛びぬけていました。

 大きく言うと、以下の3点が挙げられると思います:

 ・他人をして自分の意見を語らしめる
 ~外交の場や国内の政治問題を解決する際に、彼は幾度となくこの手法を用いています。 自己説得こそが最高の説得であると言うこと、また、当時の政治状況においては、全ての意見を自分の口から言うことに少なからぬ危険があったことなどを、彼は熟知していたようです。
 「あなたはどう思うのか」という問いを、絶妙のタイミングで発し、相手に意見を語らせ、己はただ聞きに徹する。 自分はほとんど言葉を発していないのに、結果として目標を達している。 彼はこの手法を取るにおいて達人だったようです。   文化大革命時も彼はこの手法を頻繁に用いていました。 彼が直接的に文化大革命を批判して失脚することになれば、中国が完全にストップすると言うことを知っていたのでしょう。


 ・対人能力
 ~人を信頼させるに足る能力全般において、彼はとても優れていたようです。 公明正大で、細かい気配りが出来、それでいて神経質ではなく、事実に基づき語り、常に他者の人格を傷つけることはせず、相手を尊重すると言う態度をとり続けました。 
 彼にほれ込んだ人々が多かったことも、この対人能力の高さを示していてくれると思われます。


 ・バランス感覚
 ~政治家にとって最も大切な能力の一つであるバランス感覚においても、彼は非常に優れていました。
 文化大革命時にそのバランス感覚で自分の失脚を免れたのは、その証拠です。 
 また、外交においては、常に大同をもとめ小異を残すやり方を重んじました。 
 多くの人が信じる中、無謬性というものを信じませんでした。 誤りは常に存在するものと考え、極左やその他偏りに反対し続けました。



6.結びに
 中国人民のみならず世界中の数多くの人々から慕われた周恩来は、水のような人だったと僕は感じています。 その心は水のように透明でありながら、清濁を併せ呑むことも出来る。 また、政治の流れを常に把握し、流れに沿いつつも良い方向へ誘導するために最善を尽くした彼から、僕たちは多くの事を学べるのではないかと思います。
 何よりも、彼の生き様は、人間にとって人の尊敬を集めるのに一番重要なものは、その人の政治的思想などではなく、その人のもつ人間的な徳や真心にあるのだという事を確信させてくれました。 常に中国で最も貧しくつらい思いをしていた人民を第一に想っていた周恩来総理が、激動期の現中国を見たらどのように考えるのか、考えずにはいられません。

 中国の医療の発展のため、癌で死に行く自分の身体を解剖することに使い、その遺骨は中国の土にばら撒くことを命じた周恩来が、死の間際に医師達に向けて話した言葉を持って、「人ノート」第二段、周恩来―世界中の人々に慕われた大地の子、を締めようとおもいます。


「私のところには用事はなくなった。 ここで、なにをしているのかね。 他の人たちの面倒を見てあげなさい。 あの人たちには、君たちが、もっと必要なのだ・・・」

Comment
≪この記事へのコメント≫
「私が地獄に行かねば、誰が地獄に行くのか。 私が苦難に身を投じねば、誰が苦難に身を投じるのか。」

この言葉。最高に胸が熱くなる言葉ですよね。自分もこういった考えを持って死ぬまで生きようと考えていましたがいつの間にかそんな考えなど薄れていました。

今置かれている状況に満足はしていませんが、楽な道、容易な方向でしか物事を考えられなくなっていた自分にとってとても刺激的なものでした。
2006/02/21(火) 17:31:18 | URL | 権兵衛 #-[ 編集]
 コメント有難うございます。
 
 人間、高い志操を持つことそのものは簡単で、それを持ち続けることははなはだ難しいのだと感じています。
 
 現実との間で、妥協するようになる事が、「角が取れる」、「バランス感覚がよくなる」と表現されたりしますが、やはり、妥協には違いないんでしょうね。
 
 いつまでも強くありたいと思っています。

 
2006/02/21(火) 23:41:17 | URL | Taejun #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012/01/01(日) 18:34:37 | | #[ 編集]
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