Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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こころ。
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 自分は、何を読むにしても、古典的なものを好む。 勘違いされることもあるようであるが、古典的といって、万葉集などをさすわけではない。 いつまでも読み続けられる価値のあるものに対しても、古典と呼ぶのである。
 古典の古典たるゆえんは、己の鏡として作用するところにあると思う。 己の精神の発達に伴い、古典からより深く感じるようになる。

 久しぶりに、古典的日本文学、「こころ」を読む。

 まずは、美しい日本語に見とれる。 言語と言うものは、多くの場合、一人の偉大な文学的天才により急速に発展する場合が多い。 朝鮮におけるチョ・ギチョン、ロシアにおけるプーシキン、ドイツにおけるゲーテ、英国におけるシェイクスピアなどなど。 夏目漱石も、間違いなくそのうちの一人であろう。 「あなたは女の黒髪で縛られたことがありますか」の表現などに、幾度と度肝を抜かれる。

 また、「先生」の自殺した理由について、考える。 「先生」の自殺した理由に、漱石が訴えたかったものがあったと思うからである。 「先生」が手紙で「私」に語っている大部分は、自殺までの文脈であって、理由ではないと思う。 なぜなら、「先生」は、友を裏切り(そうしたと自ら信じ)、死について考え続けながらも、その後生きてきたのであるから。 死について考えながらも、生を引きずり生きてきた「先生」に、自殺のきっかけ、すなわち、理由を与えたものは、次によるのだと思う。 また、これこそが、漱石が読者に投げかけたいものだったのではなかったと、素人ながらに思うのである。
 「あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移からくる人間の相違だからしかたがありません。」
 時勢、すなわち、「先生」が生きた明治、日本に未曾有の変化を与えた明治が、この「こころ」の問題の根底にあるのだということ。 それを、漱石は訴えたかったのではないだろうか。


 こういう小説を読んだ時に感じる、人の世の不条理。 論理や、呪文のような哲学的概念や、モデルを策定するための数式では、解くことができない。 人のこころとは、そういうものなのだ。 それを、いつまでも忘れてはいけないと思う。
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