Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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「女性の軍事化」。
  Maneuvers: the International Politics of Militarizing Women's Lives, (University of California Press, 2000).(佐藤文香訳『策略――女性を軍事化する国際政治』岩波書店、2006年)

 が、図書館の新着図書欄に置いてあったので、ぱらぱらと読んでみました。

 周りのブログでは利子率論議が再燃しているのに、浮気モノで恐縮ですが…
 シンシアさんは、3年前に日本にいた時期があって、僕は彼女の講演に参加したこともありました。 その場で発言をして、とてもとてもとても×100恥ずかしい思いをしたのですが、それはまあ今となってはいい思い出です。
 
 その講演に参加している男性はほとんどいなく、僕はとても肩身の狭い(?)思いをしていたのですが、彼女は「あなたみたいな人がいることは大切なんだ」と元気づけてくれました。 一緒に写真を撮ったはずなのですが、それはどこかにいってしまいました。。

 
 
 本の内容を少し。

 「最近の女性を取り巻く出来事の多くが、「女性の軍事化」という側面からつながりを持っている」、と彼女は主張します。 女性の軍事化、というのは、女性を取り巻いている多くのものが、軍事的な価値観に取り込まれていく事をさしているみたいです。 この文脈によって、女性が軍隊に参加すること、権利のために戦う女性像、強姦、などに共通点が見出されることになります。

 普段こういうものを勉強していない人にとっては、「だから???」となるのかもしれませんが、これ、原理的にはとても恐ろしいことなんですよね。

 女性の問題のみならず、ポストコロニアリズムの議論においても、真の解放は、抑圧側を打倒することにあるのではなくて、その構造を抜け出すことにあるんです。 ですが、シンシアによれば、現在、それはとてつもなく難しい状況になってしまっているわけです。異議申し立ての主張が、全て抗すべき相手側の価値観に取り込まれてしまっているんです。  例えば、権利のために運動する女性に対し、「雄雄しく戦う女性」というまさに軍事的(≒男性的)で矛盾した価値観が付与されてしまうんです。 にっちもさっちにもいかない状況です。
 
 
 彼女が鳴らす警鐘は、女性問題のみならず、多くの解放のために努力している人々に共通する問題だと感じるんです。 ちょっと前の例で言うと、支配や抑圧を反対して行われた反植民地運動の結果かち取った独立とその政権が、いつの間にか独裁政権として市民を抑圧・支配してしまっている(すなわち、自分たちが昔敵対した価値観にいつのまにか取り込まれてしまっている)ことなどです。
 


 読み直してみたら、それでも分かりにくそうなのでもっと卑近な例を挙げます。

 のびた君が、暴力を持ってジャイアンをやっつけて、ジャイアンに自分が受けていたのと同じ仕打ちをするとします。

 これ、よくないんですね。 なぜなら、いやだと思っていた相手と同じ事を考え行っているわけだから。 ただやる側とやられる側の立場が変わっただけで、起こっている「暴力による支配」という状況に変化はないわけなんです。

 この例を、「男性による女性支配」という状況に当てはめたら、大分想像がつくのではないかと思います。




 
 それにしても、僕の身の回りには、「微妙」どころでなく、「明白」な女性差別が存在しているわけですが、なんで異議申し立ての動きがこんなに小さいのだろうと、不思議に感じるのは僕だけでしょうか? そう感じていても、僕がそれに積極的に参与するのは何か変な感じもしていて、とても微妙な立場を味わっています。 僕にそんな事を言う権利はないと感じつつも、あえて書いてみます。
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