Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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幸いなるかな、柔和なる者。
 キリストの「山上の垂訓」ではありませんが、強圧的な人よりは、柔和な人のほうが幸いだと思うんです。 特に、トップに立つ人にとっては。

  
 強圧的であることが惹き起こす最大の問題点、それは、他人がその人に対して何も意見を言わなくなってしまうことです。 全ての人がそうだとは言いませんが、やっぱり強圧的な人には自分の意見を話しにくいものだと思うんです。 特に、相手と自分の意見が異なっている場合には。


 批判や反対意見を受けずに人間の精神もものの考え方も発展することは難しい。 超極端な例は、反対意見を言う人間を次々と殺してしまって、ついには甘言を弄する人間しか周りに出来なくなってしまった独裁者達でしょうか。 最後の日まで、現実を直視できなくなってしまう例は、歴史を振り返っても枚挙に暇がありません。


 「リーダーシップをとること」や「決断力に優れ意志を強く持つこと」と、強圧的である事を履き違えている人って結構多いと思うんですよね。 かてて加えて、恐ろしいことに、自分が強圧的になると、周りの人たちが自分に対して「打ち解けて話をしてくれている」と勘違いしがちなんです。 そういうこともあって、この連鎖から抜け出すのは、なかなか困難になったりします。

 
 僕も過去に身に覚えがあることなのでとても用心しているのですが、こういう小さな独裁者は、色んなところにかなりいっぱいいる気がしています。 

 「強圧的であること」と「意志の強いこと」は全くの別物です。 柔和であっても、意志が強い人は多く存在します。 僕が尊敬する人の多くはそういう人だったりします。

 
 そういう物腰が柔らかくても、自分の意見はきっちり通す、かっちょいい大人になりたいものです。

 
 この点について、今のところのお手本は、ガンジーと周恩来と李世民です。 ガンジー、周恩来の伝記と、李世民(昔の中国の皇帝)と臣下の間の問答録の貞観政要は、本当にお奨めです。 


 僕はというと、、、道は遠そうです。
Comment
≪この記事へのコメント≫
周恩来と毛沢東の関係をみているとなかなか考えてしまうものがあるね。

 何がリーダーシップかにもよるんじゃないかな。

 ガンガン前に進んでブレイクスルーの起爆剤になるような力のことをリーダーシップというなら、毛沢東にはあっても周恩来にはなかったと思う。
 確かに、周恩来には「意見を言えるだけの雰囲気(あれだけの人物であったにも関わらず!!!)」はあったと思うけど、それは調整能力ではあってもリーダーシップじゃなかったんじゃないかな。

 あ、でも逆かも、周恩来が持っていた雰囲気というか能力のことをリーダーシップといって、毛沢東がもっていたものはエゴっていうのかも。

 俺が言いたかったことは、冒頭の意味でリーダーシップと言う言葉を使うなら、それはある意味わがままさというが我を通してでもガンガン進んでいく力のことだから、それは手順が言っていたこととは違ってある程度強圧的であるんじゃないか、ってこと。
2006/05/09(火) 01:01:38 | URL | ちう #-[ 編集]
 ちう、コメント有難う。 なるほど、リーダーシップの定義、ちょっと独りよがりだったのかもしれない。 君の言うとおり、リーダーという立場にある人は「強圧的」である事を避けられない場合が多いことに気づきました。
 
 ただ、それでも、本来の性向が「柔和であること」は、いまだに俺が志向するリーダー像ではあります。


 
 ちなみに、俺は、マオさんはあまり好きじゃない。。
2006/05/10(水) 00:12:23 | URL | てじゅん #-[ 編集]
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