Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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人ノート③ブッダ:縁起の法を説いた慈悲の人
 僕は、自分の人格をなんとかするため、そして、将来投資活動をするときに必要な人を見る目を養うために、人ノートをつくっています。

 ※「人ノートって何?」という方は、こちらをご参照ください。


 さて、今日は釈迦牟仁です。
 世界三大宗教の一つ、仏教の創始者、ゴーダマ・シッダールタ。
 彼の生涯から、僕が学んだことについて、書いていこうと思います。 ご参考になれば幸いです。

 ※とても主観が入っているので、教理の正しさなどを保証するものではありません。 あくまでも、「僕のブッダ像」ということです。


 1.思想-縁起、無常、無我
 2.教え-中道、八正道、四諦
 3.モチベーション-慈悲と自らの苦しみの経験
 4.結びに

 1.思想-縁起、無常、無我

 インド北方に住んでいたシャカ族の王子、シッダールタは、周囲の反対を振り切って出家します。 
 なぜか?
 彼の頭にとりついてはなれない苦悩があったからです。
 それは、死と老いと病。 
 人間である以上、避けることの出来ないものを目の前にして、シッダールタは思い悩みます。 そして、彼は、長年の修行の末、菩提樹の木の下で悟りを開くことになります。

 その悟りは、「縁起の法」とも呼ばれています。
 縁起とは「世の全てのものはお互いにつながりあっている」という考えです。 自分が死ぬことがあっても、自分は一人ではなく、万物とつながりを持っていて、そのつながりの中で、自分の死を見つめないといけないのだと、彼は考えたのです。 それによって、死や病、老いを恐れることはなくなる、と彼は考えたのです。

 彼は、弟子にこう語っています。

 「比丘(びくと読みます。 弟子という意味)たちよ、縁起とは何であろうか。 生あるによりて老死がある。 すべては相まって存在しているのである。」

 この縁起という考えから導かれるものが、無常という考え方です。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり~」と暗誦してきた私達にとっては、この考えはかなりなじみの深いものでしょう。 
 
 「私のものだと思い込むから人は悩む。 私の所有しているものは常態ではない。 いつか変化してなくなってしまうのだ。」 

 と、説く彼は、一時の財産に固執することの愚かさを説きました。 

 
 そして、世は、そのように無常なものであるのだから、人は無我でないといけない、とブッダは考えます。
 無我と言うのは、3つの事を否定する事を指します。 すなわち、我所(所有物)、我(自意識)、我体を否定することです。 

 と、なんかめちゃめちゃ大変な事を説いていそうですが、実はそうでもなく、その根本的なメッセージは明瞭です。

 それは、「欲望から逃れる術は、それを離れること」以外にはない、という僕たちにも納得できることなのです。 人間の欲望には限りが無く、僕たちは、どこかでラインを引いて、足る事を知り、精神的な幸せを追求しないといけないということに、僕は強く共感しています。

 また、余談ですが、同じ文脈でかれは、貪り、怒り、愚痴を三毒といって、いとうべきものとしています。 これも、自意識や自分の所有を意識しすぎることの産物なのですよね。




 2.教え-中道、八正道、四諦

 上のような思想を根本とした彼の教えは大きく三つ。
 
 一つは、中道です。 これは、極端な利己主義も、極端な利他主義も廃し、その両者にも属さない生き方を人はすべきだという考え方です。 ブッダは、己の修行の経験から、このような利己主義も極端な利他主義も何も生まないと考えたのですね。 ここら辺のバランス感覚が、東アジアの人間にはとてもよく生きていると感じているのは僕だけでしょうか。
 
 また、ブッダは「天上天下唯我独尊」という事を話したといわれています。 これは、ぱっと見、「なんと傲慢な」と思われるかもしれませんが、そうでもなく、もしかしたら、世界で一番早い個人主義の主張なのかもしれません。 天上天下唯我独尊の考えのエッセンスは、「この世に私ほどに尊い存在はない、これは、全ての人間にとっても同様であり、それゆえに人はみな尊重されるべきなのだ」ということなのですから。

 その中道の実践項目として掲げられたのが、八正道です。 八正道、すなわち、正しく見・思い・語り・行い・生き・精進し・念じ・定める事を、かれはその道の実践項目としたのです。
 
 また、その中道の性格を話しているのが、四諦です。 諦とは、悟る、という意味です。 四諦とは:
 ・人生は苦である。 (苦とは、苦悩などをさし、人間が常に苦悩していることをさしています)
 ・そのような苦は、人生において生ずる。
 ・人生において生ずる苦は、人生においてなくすことができる。
 ・だから、人生は、苦の滅尽へと至る道なのだ。

 この四つを悟る事をさしています。 
 

 この確固として、かつ明瞭な悟りをもって、彼は35歳から45年間を説法に費やしました。



 3.モチベーション-慈悲と自らの苦しみの経験

 そんな45年間を教えに費やすことが出来た彼のモチベーションは何だったのでしょう?

 実は、彼は、最初の頃に、説法をするかどうか悩んでいます。 彼が悟りを開いたとて、その「甚深、微妙、精細」な覚りを他に教えることが可能かどうか、わからなかったのです。 (このとき、経典によると、梵天(ブラフマン)が現れたとしています。)

 彼は、(後世の僕たちにはわかっていることですが)、教えを説くことにしました。 その決定をした根本には、彼の慈悲の考えがあったのだと、僕は思います。 慈とは友愛を意味し、悲とは憐れみを意味します。
 自らが味わった苦しみと同様の苦しみを味わっている人がいる。そんな人たちがいる「世間を憐れみ、人民の利益と幸福と安楽のために」自分は教えを説かなければいけない」と彼は決心し、45年の説法に臨んだだのです。

 こういったところも、僕は非常に共感が持てることろです。
 もともと、僕が勉学に打ち込むようになったときの最初の問題意識が、結構似たようなところにあったからかもしれませんね。
 


 4.結びに

 ブッダの教えが、末法の世である現在においても、とても強い生命力を持つのはなぜでしょうか?
  
 あっさりと答えは出ないのですが、ただ一ついえることは、人類が抱えてきた根本的な問題と言うのは、今も昔も大して変わっていないことだと思っています。 人類は大して賢くなっていないのでしょうか? そうかもしれません。 が、やはり未来に希望をもって、前に進んで行きたいですよね。

 最後に、僕がブッダの説教の中で一番好きなものを取り上げて、人ノート第三回、ブッダ-縁起の法を説いた慈悲の人を終えたいと思います。 人間は生まれながらにして貴賎があると説いた僧に対する猛烈な批判の説教です。 個人的には、ブッダ版「山上の垂訓」だったりします。


20060516015759.jpg



 賎しきもの

 怒りを抱くもの、恨みを抱くもの、或いはいつわりの善を行うもの、邪まの見解のあるもの、へつらいの心あるもの、かかる人は賎しきものであると知るがよい。
 たといいかなる生き物であろうとも、生きとし生けるものを害するもの、生きとし生けるものに慈しみ無きもの、かかる人は賎しきものであると知るがよい。
 むらにおいてあるいは林園において他の人々の所有に属する財物を与えられざるに盗るがごときもの、かかる人は賎しきものであると知るがよい。
 己を高く褒めそやし、他人を低くけなし落とし、高慢のために心賎しくなれるもの、かかる人は賎しきものであると知るがよい。
 人はその生まれによって賎しきものであるのではない。
 また、人はその生まれによって聖なるものであるのではない。
 人はその業(行為)によって賎しきものとなるのである。
 また、その業によって、聖なる者となるのである。




Comment
≪この記事へのコメント≫
手塚治虫や以前好きだった宮本輝さんの
小説などにも仏教は大きく影響を
与えていますね。
日本人作家の描くフィクションに、
仏教はごく自然に入り込む素地がある、
ということなのかもしれません。

簡潔にまとめてくれてありがとうございます。
ブッダの「欲」に対する悟り、というか
「原理」のような部分の説明には、
改めて目を開かれる気がしますね。

欲の「使い方」を誤らないように
生きていきたいと改めて思いました。
2006/05/25(木) 10:24:18 | URL | taka #-[ 編集]
 コメント有難うございます。

 
 >欲の「使い方」を誤らないように
  生きていきたいと改めて思いました。


 そうですよね。
 無欲や禁欲は僕にはあまり出来そうにないし、仏陀自身も否定している感じを受けます。 バランスの大切さを感じます。

 「人ノート」、いつもリアクションが少なくて、「人気ないのかなー」と思っていたので、すごく元気付けられました。
 
 今度はもうちょっと早めのペースで書いていこうかと思います。
2006/05/26(金) 00:04:28 | URL | Taejun #-[ 編集]
うーん。一仏教修行者としては突っ込み所満載なんですが、

「教理の正しさなどを保証するものではありません。 あくまでも、「僕のブッダ像」ということです。」と言われても別にかまいません。

但し、 コメントを残すとしたらこの思想は仏教ではなく、ヘレニズム哲学の快楽主義です。まさしくエピクレスの思想そのままであり、仏陀の言ったこととは似て非なるものです。
2006/06/11(日) 23:45:29 | URL | F.Nakajima #-[ 編集]
 お久しぶりです。

 前々から仏教について造詣が深いと感じていたので、「コメントくださるかな?」と思っていました。 感謝します。

 勉強不足で申し訳ないのですが、

 >すとしたらこの思想は仏教ではなく、ヘレニズム哲学の快楽主義です。まさしくエピクレスの思想そのままであり、仏陀の言ったこととは似て非なるものです。


 この点、もう少し説明してくださるとありがたく思います。 お時間があるときにでも、どうぞよろしくお願いします。
2006/06/12(月) 00:06:08 | URL | Taejun #-[ 編集]
日本戦が始まるまで間があるのでw

「快楽主義」については、世間一般の常識とエピクレスの思想との間には相当へだたりがあるので、詳しいことはネットで検索をかけてさわりだけでも理解しておいてください。

で、taejunさんの言っていることはエピクレス思想で、仏教と違うという理由はここにあります。

>人生において生ずる苦は、人生においてなくすことができる。 だから、人生は、苦の滅尽へと至る道なのだ。

「人生」即「苦の滅尽」へ至る道ではないのです。仏教の言葉では「世間法」と言う言葉を使いますが、世間一般の生活・法則・思考では「苦」を逃れることはできない。というのが仏陀の思想です。
「苦の満ちた人生」(自分の人生はは違うよというかもしれませんが、それはtaejunさんの棺が閉じられたときに決まることですから)を苦の滅尽に至る道へ変える法こそ仏教です。では仏教とは何かと問われるかもしれませんが、まあそれは「求めよ。されば与えられん。」ということで真剣に探さなければならないときにしか判らないことなのでここまでにしておきましょう。
2006/06/12(月) 21:08:55 | URL | F.Nakajima #-[ 編集]
 なるほど。 すごく勉強になります。 
 そういえば、ちょっと前に、新宿で托鉢をしていたお坊さんと30分くらい立ち話をしていたのですが、自分の勉強不足を思い知りました。 それでも、語ることによって、多くの方にコメント、アドバイスをいただけて、とてもありがたく思っています。
 今後ともどうぞよろしくお願いします。
 
2006/06/12(月) 21:56:05 | URL | Taejun #-[ 編集]
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2007/10/17(水) 12:46:30 | | #[ 編集]
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