Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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いのちとしての偉大さ。
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 いのちとして偉大になりたいと、ときどき思う。 千年を一日のように過ごす大樹のような。 大地にしっかりと根を張り、何事にも動じず、生長するという己の本分を全うし続けるその姿に、何かと感動を覚える。 本当にまれであるが、人間にも、そういう人がいると思う。 そういう人に出会うと、清冽な気持ちにさせられる。 こういう風に生きたいと、思う。

 自分という、いま、ここにいる人間にとって、なによりも大切な事実は、生きているという事のはずだから、なによりも大切な根本問題は、自分が生きているということに対して据えるべきだと思う。 
 知識や、体力や、その他のものは、この根本問題にとっては枝葉に過ぎないのであって、それが顛倒することがあってはならないと思う。 すべては、自分と言ういのちをより良くするために必要なものなのであって、他人を陥れたり、出し抜いたり、打ち負かしたりするためにあるものでは決して無いはずである。 
 なによりも、人間といういのちは人の援けなしには生きていけないのであるから、自分がいのちとしてよく生きるためには、他者にたいしても、同じように気遣わなければいけないと思う。 自分がいのちとしてよく生きるということは、他人もそのように生きることと、密接につながっているのである。

 さて、本題に戻る。
 人を、「いのちとして偉大」だという時には、どういう状態にある人を指していうのだろうか。 
 いきなり根本問題に入るのは難しいので、少し迂回しながら考える。 まず、自分が、人間以外のいのちの偉大さについて感動した場合について、考えてみる。 多分、ここらへんに、答えがあると思うのである。

 -ぺしゃんこに踏み潰されても、次の日には立ち直る雑草。
 -口は退化して何も食べられず、空っぽのお腹の中に、卵だけぎっしりと詰まっている、かげろうの雌。
 -交尾の後に、雌に食われるカマキリの雄。
 -片足を失いながらも、町で野太く生きる野良猫。
 -餓えた子に自らを食べさせる親クモ。
 -天敵に襲われた時に、自らは食べられるとしても、わざとひな鳥と反対方向に飛ぶ親鳥。
 
 こんなところか。 ここから、自分が感動したことについての共通点を探してみる。

 まず一つは、生きるということに対して、とことん真剣であるということ。 生きている限り、最後まで投げ出さない。 
 次に、己が生きると言うことに対しての真剣さが、自分以外のものとの関係の中で成立しているということ。 必死に生きるが、自分の次のいのちのためには、ためらわず、自分をなげうつ。
 
 考えてみると、自分が、人について、いのちとして偉大だと感嘆する場合には、同様に上の事柄を満たしている。 自分が出あって感動を覚える人は、みな、人と人との関係の中で、物事に対して常に真剣である。 楽しむ時も、努める時も、一生懸命である。

 自我を持っている人間は、自分で選択をする自由を持っている。 だから、真剣でない生き方を選ぶことも出来る。 これは、他の動物と大きく異なることかもしれない(人間以外の生物がこのような自我を持たないということを仮定しているが)。 同じ、必死に生きるにしても、人間以外の生き物は、必然的に、必死に生きる。 しかし人間は、意識的に、必死に生きる。 
 そうでない生き方を選ぶことを可能としつつも、意志の力で、自分のいのちに対して、他のいのちとの関係の中で、真剣に生きることを選ぶということに、人だけの、いのちとしての偉大さがあるのではないだろうか。 
 
 ここから、人のいのちの偉大さとは、上のような決定をすることが出来る、精神の偉大さと言い換えられるのかもしれない。
 上の文脈から考えると、この場合の精神の偉大さと言うのは、数ある人生の選択肢について悩みぬき、自分のいのちについて、真摯な生き方を選ぶことが出来る偉大さだと思う。 選択肢の問題について考えれば考えるほど、選択肢は増えるものであるから、悩みはより一層深くなる。 だから、精神の偉大さと、苦悩の深さと言うのは、強い関係を持っているのかもしれない。


 人間社会が出来てからを考えても、自分が存在していなかった時間よりも、存在していた時間の方がはるかに長い。
 死こそ常態で、生は蜃気楼なのかもしれない。 が、そんな泡沫の生をどう生きるか。 死ぬその日まで、自分にとっては、最大のテーマである。
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