Taejunomics

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人ノート7:二宮尊徳―自然の遵法者。
 人ノート第7弾。 ちなみに、小学生の頃、歩きながら本を読んでいた(というか、通学時以外に本を読んだ記憶が無い)僕についたあだ名が、この人の名前でした。 今となって思えばとても光栄ですね。 
 
 もしかしたら、日本の学校に通った人にとっては一番なじみが深いかもしれない、二宮尊徳(金次郎)が、今日の主役です。

 1.略歴
 2.思想―自然の法に従う
 3.政治―誠意と自活
 4.行動原理―勤労、分度、推譲
 5.結びに



 
 1.略歴

 1787年、二宮金次郎(後の尊徳)は相模の地に生を享けます。 生まれた当時、家にはかなりの資産がありましたが天災により資産は無くなり、また、16歳のときに両親が亡くなります。 その後、尊徳は伯父の家で養われます。
 その間、尊徳は必死で働き、学び、成長します。 6尺有余(180cm以上)、20貫(75kg以上)の雄偉な身体を持った彼は、自らの力で家門を再建し、財を成します。 この事を通じ、彼の名声も広く知れ渡ることになりました。
 そんなある日、尊徳は、藩主より、どん底の状態にあった下野の三地方(物井、横田、東沼)の復興を託されます。 再三辞退しつつも尊徳はついにはそれを引き受け、復興を見事成功させます。
 天保の大飢饉の時にも、自ら先頭に立ち、数多くの人々を飢えから救います。 彼がいなければ数十万人が餓死したとさえ言われるほどです。
 その功が認められ、彼はついには幕臣となります(士農工商が厳然として存在していた江戸時代に、農民が幕臣になることは信じられないことです)。 各地をまわり、死ぬまでに、600の農村を復興させました。




 2.思想―自然の法に従う

 尊徳の思想も、基本はいたってシンプルです。 それは、天(自然といってもいいでしょう)に従うことでした。 尊徳の改革に対する考えはすべて、自然は、その法に従うものには豊かに報いるという理に基づいていました。 このことに対する、彼の言葉を引用してみましょう。
 
 「天地は絶えず活動していて、われわれを取り巻く万物の成長発展には止むときが無い。 この永遠の成長発展の法に従って休むことさえしなければ、貧困は求めても訪れない。」

 これまで人ノートを書いてきて感じる一つのことがあります。 それは、僕が尊敬する彼・彼女らは、自らの信条をはっきりと持っていて、それに忠実に従っていることです。 自然に従うこと、愛に従うこと、道に従うこと、みな、通底しているものがあるのではないのかな、と僕は思います。
 尊徳の例で言うと、彼の不撓不屈の精神は、自分が自然とともに歩いているという確信からきているように感じられます。 自然の法に従い、努力を怠らなければ、かならずそれは報いられる、という確信があったからこそ、彼はあのような事業を成し遂げられたのではないでしょうか。 
 

 また、自然に従うことに起因してか、彼のバランス感覚には共感することがとても多いです。 「徳なしに得た財は財とならない」と語っていた彼は、道徳を重視はしましたが、それのみで十分とは決して思いませんでした。 それはたとえば、次の言葉に表されています:
 
 「道徳を忘れた経済は罪悪である。 
  経済を忘れた道徳は寝言である。」


 各国や団体の指導者たちには、ぜひとも聞いてもらいたい一言ですね。

 
 また、常に自然とともにあろうとした彼の予測能力はとても優れていました。 天保の大飢饉時には、茄子を食べた時に「太陽が一年の光を使い尽くした」と悟り、飢饉の到来を予期し、食料の貯蔵に事前に取り掛かったそうです。




 3.政治―仁術

 多くの農村を復興させた彼の政治手法からは、とても参考になることが多いと思います。 彼にとっては政治も、自らの行いも、「自然の法に従い誠心誠意努力する」という点において、同一のものだったように思えます。 彼は、道徳を原動力とした自らの改革の手法を「仁術」と呼んでいました。

 政治において、彼が重視したのは2点のように感じられます。 一つは、誠意、もう一つは、自活。


 ・誠意

 彼の至誠から学ぶことはとても多いと思います。 ここでは、彼の人の評価と己の律し方を中心に見ていこうと思います。

 彼はどのようなときも、誠のある行いを心がけ、また、人を評価するのにその人の誠意を持ってしました。 人付き合いにおいても、誠実な人とのみ付き合いました。
 たとえば、彼が三地方の改革に当たっていたときです。 

 「木株老人」とあだ名される老人がいました。 彼は、周囲の人々が土地の開墾において目覚しい仕事をしている中、一人、今後の開拓に役立つよう、木株を誰にも見えないところで抜いていたのでした。 地味で、見栄えのいい仕事では決してありません。 しかし、老人は、それが地域の復興に役立つと考え、地道に作業を続けていたのでした。 
 周囲の人は、木株老人を半ばさげすんでいました。 しかし、尊徳はそうではありませんでした。
 論功行賞の時に、彼は、この老人に最高の賞与を与えます。 逆に、他人が見ている前でのみわざと大仰に仕事をする人間は、決して賞しませんでした。

 また彼は、誰よりもまず自分を一番厳しく律しました。 彼は、「指導者は天に託されているのであって、その地位を濫用することはあってはならない」と考えていました。 常に、先頭で困難を享受したのが尊徳その人でした。
 たとえば、上でも述べた、三農村の改革時には、自らをことのほか厳しく律しました。 睡眠は2時間、贅沢な食事はせず、服は常に木綿、食事は自宅でとり、誰よりも早く仕事場に出、誰よりも遅くまで働いたそうです。 そこまでしても、途中改革がうまくいかなかったときは、自信の誠意の至らなさを思い、断食までした彼でした。



 ・自活

 「荒地は、荒地自身の持つ資力によって開発されなければならず、貧困は自力で立ち直らせなければならない。」

 彼は、自然は、熱誠に対し必ず報いるものなので、人は必ず自活していけると信じていました。 
 尊徳は、改革において、自らも誠心誠意努めつつも、人々が自らの力で自らの糧を生み出していけるという自信をもてるようになることに一番注力したように見えます。 これは、日本の国土がもともと肥沃だという点を割り引いて考えないといけませんが、それでも開発の理念において重要なアイディアだと思います。 改革や発展が成し遂げられたとしても、それが自らの力によってなされたものでない場合、それらは長続きしない場合がどんなにも多いことか。 


 尊徳は、青年期からすべてのことを自力で成し遂げてきました。 その経験は、上のことに大きな影響を与えているのでしょう。 有名なエピソードを紹介します:


 両親をなくし、伯父に引き取られた金次郎少年は、学問をしようと思いました。 無学では何も出来ることはないと考えたからです。
 日中は働き、夜は灯をともして勉強しようとしました。 しかし、伯父は、「家の油を使って学問をするとはけしからん」と、金次郎の学問を反対します(多分、学問をしても農業には役に立たないという親心だったのでしょう)。
 金次郎は、それはその通りだ、と思い、まず、自分で菜種を植え始めます。 そして、一年かけてそれを育て、それから油をとり、自らが夜学ぶための灯として使ったのでした。
 しかし、伯父はそれでも金次郎の学問を許しませんでした、「お前の夜は、お前を養っている私の時間だから、それを学問に使うとはけしからん」というのです。
 金次郎は、それにも従いました。 だから、唯一の読書が許された時間、すなわち、山へ農作に行くまでの道すがら、柴を背負いながら読書をしたのでした。 NinomiyaKinjiro_KakegawaSta_2.jpg

 この姿が、日本全国の小学校に建てられている尊徳像のモデルなのです(僕は日本の学校に通っていないので、「おお、なるほど!」だったのですが、常識だったらごめんなさい)。


 これを知った後、僕は自らを省みて恥じ入りました。 皆さんはいかがでしょう。





 4.行動原理―勤労、分度、推譲
 
 尊徳の行動原理は、三つ、すなわち、勤労、分度(自分の天分を知り、限度をわきまえること)、推譲(譲り合うこと)でした。


 ・勤労

 彼が勤労の人であることについては疑いを挟む余地がありません。 彼は、小さな積み重ねをとても重視する人でした。 
 
 「大きな事をしたいと思えば、小さなことを怠らず勤めるがいい。およそ小人の常として、大きな事を望んで小さなことを怠り、出来にくいものに気をもんで、出来やすいことを怠る。」 
 
 そう語った彼は、積善の重要性を人々に説きました。



 ・分度

 そして、人々に、天分を知り、度を過ぎた利己心は捨て、譲り合うように説きました。 
 一つエピソードがあります。
 家が没落しつつある村の名主から、尊徳は相談を受けました。 「どうすれば家財を守っていく事が出来るのか」、と尋ねる名主に、尊徳はこう説きます。 
 
 「自分可愛さが強すぎるからである。 利己心は獣のものだ。 村人に感化を及ぼそうとするのなら、自分自身と自分のもの一切を村人に与えるしかない。」

 尊徳を信じて、名主はそれを実行します。 結果、その名主の情に打たれた村人の奉仕により、名主はさらに富むことになったそうです。

 このエピソードは、さすがに現代では眉唾物なのですが、それでも参考になる部分は多いと感じます。 
 僕は、人間は、パンによって生きるのではなく、もっと他のもののために生きるべきだと思うんですよね。 目的が無い人間は、手段のために生きることになってしまう、と語ったのは歴史家のリュシアン・フェーヴル(だったはず)ですが、まさにその通りで、大きな志を持っている人々は、皆共通して、生きるための手段にしか過ぎない物質的な富に対しては、過度の関心を示さなかったように感じます。 もしくは、物質的な欲はとどまることを知らないということをわかっていたので、自制していたのかもしれません。 
 もちろん、ある程度の豊かさは必要だと思います。 過度の禁欲主義は、かえってよくない(キリストも仏陀もそのような禁欲主義に反対しているようです)。 たとえば、尊徳の自宅は、かなり立派なつくりのものでした。 ある程度の豊かさを手に入れることと、物欲におぼれてしまうこととは、分けて考えるべきと思います。



 ・推譲

 推譲の誠心の最高の発現は、日本初の信用組合ともなった五常講でした。 五常とは、五つの心がけ、すなわち、仁・義・礼・智・信を指します。 尊徳は、地方の財政を解決するために、富んでいる者から資金を募り、それを貧しい人々に貸し与え、そして、それを元手として彼・彼女らを富ませ、預けた金に利子がついて返ってくる仕組みをつくりました。
 こういう融資の仕組みは以前からも数多くあったようですが、その動機において、他のものと一線を画するものだったようです。 こういうことを見ていると、僕の将来の展望についても、明るいものが見えるような気がしてきます。 社会正義(正義の定義はさておき)的な動機と、投資リターンを得ることは、両立させうるのだと。

 


 5.結びに
 
 彼の、現代にも通じるほどのバランス感覚はひとえに、彼が言うところの、自然の法に従った事の結実なのでしょう。 「自然の法に従う」というと、社会ダーウィニズム的な弱肉強食を思い浮かべてしまいがちですが、尊徳の語る自然の法は、それとは異なっていたように見受けられます。 

 彼の言う自然の法とは、「自然とともにあり、努力する者に対して、自然は報いてくれる」、というものでした。 そこには、自然にただ従属するのではなく、自然の中で克己する強くて誠実な人間がありました。 そのような考えに裏打ちされた彼の改革理念から、得るものや生かせるものはとても多いと思います。 

 改革は、何よりもまず、人の改革にあって、それはもっと言うと、一人一人の心の中に誠実と自立心を植えつけることにあると、僕は思います。 そして、その改革者はもちろん、その心の種を人々に植えるという最も困難な事を成し遂げられるだけの熱誠と周囲に対する信頼を持っていないといけないんですね。 そう考えてわが身を振り返ると、文字通り忸怩たる思いに駆られます。

 彼の言葉の中で、僕が一番好きなものを紹介して、人ノート第7回、二宮尊徳―自然の遵法者、を終えたいと思います。
   

 「魂のみ至誠を尽くせば、天地をも動かしうる。
 己に打ち勝てば、天下はその徳に従う。」




Comment
≪この記事へのコメント≫
亀コメントお許しください。
二宮尊徳についてはあまり詳しくなかった
のですが、

>「道徳を忘れた経済は罪悪である。 
>  経済を忘れた道徳は寝言である。」

この言葉、自分にとっても非常に
意味のある言葉でした。
自身がこの数年で身につけたい「視点」
を与えてくれる言葉です。
紹介に感謝。
2006/10/02(月) 02:29:59 | URL | taka #-[ 編集]
コメントありがとうございます。
僕自身も、この言葉にはがつんと来るものがありました。。 これからもよろしくお願いします。
2006/10/02(月) 12:46:30 | URL | Taejun #-[ 編集]
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