Taejunomics

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ドストエフスキー、『悪霊』。
 読書の秋、ということで、先日小説を一つ読みきりました。 忘れないうちに、感想を。 

 ドストエフスキー、「悪霊」。

1.主な内容
2.悪霊はなんだったか
3.社会主義批判
4.ニコライ・スタヴローギン


20061105012755.jpg



1.主な内容

 悪霊に取り付かれた豚が湖に入っておぼれてしてしまう聖書のエピソードと、プーシキンの詩がタイトルの元です。 また、作品は、ロシアで起こった、組織の結束をより強くするため構成員を殺害した実在の事件が元になっています。 社会主義思想が入ってきた混乱期のロシアにおける、「新しい」人々と、「旧世代」の人々の姿、またそのどちらにも属さないニヒリスト、ニコライ・スタヴローギンが描かれています。


 大まかなあらすじはこんな感じです:

 事物に全くの価値を見出せなくなったニヒリストであるニコライ・スタヴローギン。 ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーは、彼に全くその気が無いのに、ニコライを革命組織、「五人組(といってもメンバーはもっといっぱいいます)」の指導者に仕立て上げようとします。 組織は、社会の秩序を壊すため、放火や殺人事件をおこします。
 しかし、ニコライが失踪するや否や、ピョートルも高飛びする事を胸に決め、しかし一方で、五人組の結束を固めるため、組織を抜けたシャートフが「密告しようとしている」とでっちあげ、組織を挙げ彼を殺害します。 殺害後、ピョートルも高飛び。
 事件はすぐに露呈し、ピョートル以外のメンバーは皆捕まりますが、張本人は行方知れず。
 その一方で、ニコライ・スタヴローギンは、全てのものに価値を見出せていない自分の精神状態を表す書置きを残し、自殺します。
  

 めちゃくちゃですよね^^; でも、この支離滅裂なまとめの理由は、僕の頭の中がめちゃくちゃなだけではないと思います。。  読み終わった瞬間の感想は、「はぁぁぁ?」でした。 最後の結末があまりにあっけなかった(分量が相対的にすごく少なかった)ので、重厚な物語が、あっさりとぷっつりと切れてしまったような感じです。
 ドストエフスキーの大作は、全部、まとめが困難です。 それは、世の中で起こっている全てのことを纏め上げるのが困難であることと同値なのかもしれません。 全ての人には一人一人の物語があるのですから、その舞台である世の中についてとめることなんて。
 

 


2.悪霊はなんだったか 

 ドストエフスキーの手紙によると、当時ロシアに入ってきた社会主義思想に取り付かれた人々を、この悪霊に取り付かれた豚になぞらえた作品になっているそうです。 その思想は、下巻の598ページにおける、作中の主要人物の一人、インテリのステパン氏の言葉に表されていると思います。 以下引用(カタカナの部分は、フランス語の部分です)。 

 
「(豚のエピソードについて) このすばらしい・・・異常な箇所はぼくにとって生涯のつまずきの石だったのです。 ・・・ ところがいま、僕には一つのアイデアが、アル・ヒカクが浮かんだのです。 いま、僕の頭には恐ろしくいろんな考えが浮かんでくるのですがね。 どうです、これはわがロシアそのままじゃありませんか。 病人から出て豚に入った悪霊ども-これは、何百年、何世紀もの間に、わが偉大な、愛すべき病人、つまりわがロシアに積もりたまったあらゆる疾病、あらゆる病毒、あらゆる不浄、あらゆる悪霊、小鬼どもです! ソウ、コレコソ・ボクガ・ツネニアイシタ・ろしあデス。 しかし偉大な思想と偉大な意志は、かの悪霊に疲れて狂った男と同様、わがロシアをも覆い包むことでしょう。 するとそれらの悪霊や、不浄や、上つらの膿みただれた汚らわしいものは・・・自分から豚の中に入れてくれと懇願するようになるのです。 いや、もう入ってしまったのかもしれません!」


 このステパン氏の息子であるピョートルが、当の社会主義組織のリーダーであることからも、何らかのメッセージがあるように感じられます。 
 


3.社会主義批判

 ドストエフスキーは、当時のロシアにおける社会主義思想を厳しく批判しました。 その理由は、その革命思想に、神がいなかったから、と言われています。 社会主義という単一の思想のみを持った他者に対し不寛容な人々が、特に深い考えを持たず、既存の価値観をことごとく破壊していく姿に、彼は大きな憎悪を持っていたのでしょう。 彼の、「社会主義者」たちに対する皮肉は痛烈です。

 僕が一番痛烈と感じたものを、一つ引用しましょう。

 「エルケリ(登場人物名、革命組織のリーダーに一番忠実な部下)のような小者の狂信者連は、思想への奉仕といっても、彼らの考えでこの思想を体現していると思われる特定の人物にそれを結び付けないことには、どうにもそれが理解できないからである。 感受性ゆたかで、やさしく、善良なエルケリは、ひょっとしたら、シャートフ(密告の疑いを一方的にかけられこそされた元組織メンバー)を襲った殺人者たちの中でも最も冷酷な男でありえたかもしれない。 そして個人的には何の憎悪も無いくせに、まばたき一つせず、殺人現場に立ち会うことができたかもしれない。」


 
 同様の感覚を僕ももっていたりします。 根底に思慮と思いやりがない人間にとっての社会主義は、破滅への道しるべに他ならないのだと思います。 この思慮と思いやりの欠如が社会主義の看板を借りたとき、世の中にはどんなことが起こるか。 思慮と良心のない人々は、その粗暴な欲求を満足させるために、革命の錦の御旗を利用します。 ドストエフスキーがここで記していることは、20世紀、「社会主義」国家でよく聞かれるエピソードでした。 「」をつけたのは、僕はこんな社会主義は社会主義じゃないと思うからです。 (ガンディーやゲバラの人ノート参照)
 
 
 
 
4.ニコライ・スタヴローギン 

 そして、この人。 あまり多く登場しないにもかかわらず、圧倒的な存在感を放ちながら、全くの虚無に支配された存在。 少女を陵辱して自殺に追い込み、しかし罪の意識は感じず、ただ時折目の前に現れる少女の生前の姿を見るのが忌まわしいために、自分を侮辱することを考え、その侮辱の結果が、「気の狂った女」との結婚、さらには他の女性との重婚だったニコライ。 カフカの異邦人の原型を思い出させるような、異様な人格です。
 この人間をどのようにしてとらえるか、考えあぐねてしまいます。 背表紙にあるように、彼の人格を「現代が生み出した最も深刻な人間像」だなんていえば、楽なのですけれどね。
 
 信心に、一つの答えがありそうです。
 ピョートルら組織のメンバーは、神を信じませんでした。 そしてもちろん、神を信じていない自分たちを信じていました。 自分たちの組織への信心が、それでも彼らを行動へと駆り立てていたのでしょう。 
 しかし、ニコライ・スタヴローギンは、神を信じていない自分自身すら信じていないのです。 

 信心が全く欠如した人格がどのようなものになるのか、垣間見た気をしました。
 
 
 、、、と書いてみても、やはり、この人格については、「これこそ人間実存の一側面なのだ」、と考えるのが一番楽なのかもしれませんね。


 
 それにしても、この作品、対立軸がものすごく多い作品でした。 美と醜、死を選ぶものとしつこく生を追求するもの、神を信じる人と信じない人、己を信じる人と信じない人、新しい世代の人と古い世代の人、父と子、母と子、狂ってしまう人と狂わせる人、などなど。 読み応えはありますが、最初約1000ページの読みづらさといったら、相当なものなので、時間があるときにでもお読みになることをお勧めします。


 次は、もう少し、あたたかいものにしようかなぁ。 三島由紀夫か(って、あたたかくない)。 もしくは、レ・ミゼラブルでしょうか。
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