Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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論理さえあれば。
 土曜日なのにやけにアクセス高いなぁ、と思ったら、47thさんのブログで紹介されていたのですね。

 勝手に引用で恐縮なのですが、議論のきっかけとなったコメントを。


 中途半端な知識しかないやつは、経済学の概念使うなって言うのは偏狭すぎる
 それとも専門家になんか言われたら恐れ入って平伏しなきゃいけないのか?




 
 僕の意見はこうです。 

 素人・専門家関係無しに同じトピックについて語ることは出来るしすべきなのですが、生産的な議論をするためには論理を共有していないといけないはずです。 あるトピックにおいて論理的思考の結果体系付けられたものが、○○学、なので、その学問のフレームワークを用いるのが、多くの場合最善の方法になると思います。
専門側から考える
 大学時代、何回も読み返した本の一つに、エドワード・サイードの「知識人とは何か」というものがあります。 ここで彼は、「知識人はアマチュアであるべきである」、と語っています。 このエッセンスの一つは、専門家教育を受けたプロフェッショナルは常識から逸脱する危険性をはらんでいることに対する警鐘にあると思います。

 ファイナンス理論においても、多くの偉大な発見をした人たちは、専門的知識のみならず、常識においても秀でていたと思います。 彼・彼女らは、実務の中に入り、そこから、常識をつかみだし、それを学問的に体系付けたようです。 たとえば、ブラック博士は、研究室の中からは何も生まれてこない(研究室にこもって実社会から離れていたらアイディアは生まれてこないという意味でしょう)、と、日本に来たときの公演で語ったそうです。 ちなみに、これは日本の学者から大顰蹙を買ったそうですね。




素人側から考える
 このブログは、カテゴリーの雑多さを見ても分かるとおり、思いついたことは、トピック関係無しにガチャガチャと書き捨ています。 唯一の専門(候補)はファイナンス理論ですが、それもまだまだ専門と呼べる水準ではありません。
 でもなぜ書くか。
 このブログの説明「Taejunomicsについて」にも書いているのですが、自分の思考(インプット)の言語化をすることが一つの理由です。 人間は、アウトプットをすることにより知識を定着させられるので、その特性をうまく利用しようと思っての帰結です。
 さらに、ブログを見てくれているその分野の専門家の方にアドバイスを受けられることも期待して記事を書いています。 いつもありがたいことに、特定のカテゴリーには特定の人々からすばらしいコメントを得られています。 47thさんからは、日ごろからとても貴重なコメントを頂いています。
 専門家からコメントを頂くと、もちろんドキドキすることがあります。(笑) 特に、僕が書いていることの、反対意見であるコメントの場合には。 ですが、印篭を前にした町人さながらに、平伏しようとは思いません。 自分でよく分からないところは、引き続きよく分からないと思いますし、納得した場合には感謝するわけです。



 さて、こんな風に考えると、専門家としても、素人としても、同じ専門性が高いトピックについて語ることには大きな実りがあるように感じます。




論理―対話の精神
 この実りがある理由、落ち着いて考えてみると、そこに筋が通っている、言い換えると、論理が通っているからなんですよね。 力強い論理が存在しているから、僕は、47thさんから頂くコメントに納得して感謝するのだと思います。
 感情は温かいもので、論理というと冷たいもののように思われる向きが少なくありませんが、意見を異にする人々が議論を発展させるためには、論理は無くてはならないものなのだと思います。 特に、僕のブログでは、政治的に結構センシティヴな話題も扱っているので、論理をないがしろにして感情ベースで議論をしていたら、大変なことになっていたと思います。 野矢茂樹さんの、論理トレーニング101題(おすすめです)の巻末には、だったものの考え方の基本は対話の精神にあると書いてあるのですが、全くの同感です。

 ある分野における○○学は、多くの場合この論理的思考の結実なのだと思います。 だから、生産的な議論をするためには、多くの場合、その学問のフレームワークを用いるのが、一番合理的なのだと思います。 論者の一方がその学問のフレームワークに詳しくない場合であっても、論理的なものの考え方をしようという志向さえ持っていれば、その場合にも。 そういったときにこそ、新しい議論が生まれうるのではないかと、感じたりもしています。

 


 だから(?)、このブログでは引き続き雑多なアマチュア思考を書き綴っていきますが、今後とも、どうぞ宜しくお願いします。



 最後に:僕自身が完全に論理的にものを考えられているとは決して思いません(このブログを読んでいたらばれますよね)。 が、論理的に考えようという志向はあるので、上のように書いたわけです。
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