Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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中平卓馬の写真論。
 という本を読みました。
 写真の師匠の推薦図書。

 面白かったです。 別にこれを読んだら写真がうまくなるわけではないと思いますが、現代哲学や文学の問題意識と同じものが写真にも共通しているのだと、改めて知ることが出来ました。


 その問題意識は、一言で言うと、「私の見る世界が世界なのか」というものです。 昔から、人々は、色々なアイディアをもって、世の中を説明しようと試みてきました。 神様を唯一の原理として歴史を織り成したりもしたし、唯物弁証法で社会の発展を説明し尽くそうともした。


 だけど、本当に世の中は、そうなのか? もしかしたら、自分の見る世界と、世界の見る自分の織り成す磁場の様なものが、世の中の姿なのではないのか?

 と、考えたのが、脱構築を説いたデリダらでした。 彼らは、そのような構造的なものを一度解体し、換骨奪胎とでも言うのでしょうか、そのバラバラになったものから、新しい価値を見出そうとしました。 
 


 写真にも同様のことが言えるのですね。 写真は、その物理的な性格から、記録としての性質を持ちます。 ですが、それ以上に、作者の恣意により切り出されたものなのでした。 写真家は、ある意味、ある時期までにおいて、自分のイメージする世界をファインダーの中に閉じ込めて、世界を再構成して人々の前に見せていたのでした。

 そのやり方に疑問を持ち、新たな表現を考えたのが、この中平卓馬、「カメラになった男」。 


 写真の奥深さを改めて感じました。 その他多くの分野と同じく、一番重要な問題は、技術的なものよりも概念的なもの、思想的なものにあるようです。

 
 そんな、自分と世界の視点の飽和点のような写真って、どんなのなのでしょうかね。 撮れるのかなぁ。

Birds.jpg

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