Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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安部公房、他人の顔。
 付き合う人を選ぶ基準、色々とありますよね。

 「結局顔なんでしょ」という人がいます。 これは、多くの場合、単なるメンクイという言葉以上の意味で、事実だと思います。 もちろん、人によって個人差はあります。 ですが、全体としては。

 もうちょっと掘り下げて言うと、人間の社会関係と言うのは、「顔」を通じて成立していて、その顔の美醜(これも単にモデルのようにきれいとかそうでないとかいう以上の意味での美醜)は、時に社会関係を変化させうるもの、という事ができるかもしれません。 

 その、顔に依存している人間の社会関係のあり方を抉り出した(、そして、時にはそれに依存しない人もいるのだという事も表現した)のが、安部公房の小説「他人の顔」です。

 顔がただれてしまった主人公が、自分の社会関係を取り戻すために、この上なくリアルな仮面をつくるという筋なのですが、その過程に主人公がたどる、自分に対する弁護・憐憫・嘲笑の入り混じった情念の渦巻きには、ハッとさせられます。 
 
 安部公房の人間描写の精緻さには、ビックリさせられました。 こういう、人間描写がキている小説、結構好きなんですよね。 ただ、読むとへこむので、元気なときに読むのがいいですね^^; もう一冊買っている箱男も、おそらくこういうへこむ作品なので、読むのを躊躇しています。

 以下、思わずうなってしまった部分を引用します。


 「僧服が僧侶をつくり、制服が兵士をつくると、カーライルは言っているそうだが、怪物の心も、多分怪物の顔によって作られるのだ。 怪物の顔が、孤独を呼び、その孤独が、怪物の心を作り出す。 もしも、あのこごえるような孤独が、あともうちょっぴりでも、温度を下げるようなことがあったとしたら、ぼくを世間につなぎとめていた、あらゆるきずなが音を立てて砕け、僕はなりふり構わぬ怪物になりきっていたことであろう。」
 
 「光の意味を一番よく知っているのは、電気屋でも、画家でも、写真家でもなく、成人してから失明した盲人なのだそうである。豊饒には豊饒の智慧があるように、欠如にも欠如の智慧があるはずだ。」
 
 「覆面というのは、顔の約束を逆手にとった、嫌がらせのゲームであり、顔を消すことによって、ついでに心も消してしまう、いわば忍法の一種だと考えてもいいだろう。 昔の死刑執行人や、虚無僧や、宗教裁判官や、未開地のまじない師や、秘密結社の祭司や、さらには空巣強盗のたぐいにとって、覆面が欠かすことのできない必需品だった理由も、それで納得がいく。単に人相を隠すという消極的な狙いだけでなく、表情を隠すことで、顔と心との関連を断ち切り、自分を世間的な心から解放するという、より積極的な目的があったに違いあるまい。もっと卑近な例をとれば、まぶしくもないのにサングラスをかけたがる、あの伊達者の心理に通ずるものだ。 心の羈絆から解放されて、限りなく自由に、したがってまた、限りなく残酷にもなれるというわけである。」
 
 「仮面はもっぱら被害者によって求められ、覆面は逆に加害者によって求められるのではあるまいか。」

 「完璧な匿名とは、完璧な集団に、自分の名前をいけにえとして捧げてしまうことである。 それは、自己防衛のための、知能的なからくりと言うよりは、むしろ死に直面した個体がしめす本能的な傾向なのではあるまいか。 ちょうど、敵の侵略に際して、民族、国家、同業組合、階級、人種、宗教等等の集団が、まず真っ先に忠誠という名の祭壇を築こうとするように、個人は、死に対して、常に被害者だが、完璧な集団にとっては、死は単なる属性にしか過ぎないのだ。完璧な集団とは、本来的に、加害者的な性格を帯びるものなのである。」

 「あなたは、私が拒んだように書いていますが、それは嘘です。 あなたは、自分で自分を拒んでいたのではありませんか。 その、自分を拒みたい気持ちは、私にも分かるような気がしました。 こうなった以上は、苦しみを共にするしかないのだと、私も半ば以上は諦めてしまっていたのです。 だからこそ、あなたの仮面が、私にはとても嬉しく思われたのでした。 私は、幸福な気持ちで、こんなことさえ考えていたものです。 愛というものは、互いに仮面を派が疾呼することで、そのためにも、愛するもののために、仮面をかぶる努力をしなければならないのだと。仮面がなければ、それを剥がす楽しみもないわけですからね。お分かりでしょうか、この意味が。」
Comment
≪この記事へのコメント≫
はじめまして
はじめてコメントを書かせていただきます。このblogの存在は数日前に偶然知り、それから過去の記述も含めて拝見させていただいております。僕も在日コリアン三世で、大阪に住んでいます。年は24歳なので多分貴方と同じぐらいだと思うんですが、このblogを見て世の中にはすごい人がいるなあと感銘を受けました。いや、マジで。またたまにコメントするのでどうぞヨロシク。
2007/01/24(水) 01:55:58 | URL | シド #-[ 編集]
アンニョンハセヨ。
シドさん、コメント有難うございます。 恐縮です… まだまだ分からないことがいっぱいでツッコミどころ満載のブログですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。
2007/01/24(水) 22:43:40 | URL | Taejun #-[ 編集]
阿部公房
抜け出せない蟻地獄。大学自分に「砂の女」を呼んで、とてつもない喉の渇きを覚えたのを想いだしました。「他人の顔」は、元気なときに挑戦したいなー。
2007/03/01(木) 13:57:10 | URL | ジョナサン #-[ 編集]
お久しぶり。
砂の女、あれもキテルよね。。  箱男、まだ机のとなりにうずくまってます。 どうしたものか。。
2007/03/03(土) 00:35:09 | URL | Taejun #-[ 編集]
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他人の顔『他人の顔』(たにんのかお)は、安部公房の長編小説及びそれを原作とした映画作品。.wikilis{font-size:10px;color:#666666;}Quotation:Wikipedia- Article- History License:GFDL
2007/02/07(水) 06:01:06 | 日本の文学・小説集め
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