Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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思いやりと寛容。
 ダライ・ラマ法王が、毎日新聞で語った言葉にとても共感したので、ちょっと長いのですが引用を。

 思いやり(慈悲)が、大切な役割を果たすと感じています。 イデオロギーの相違や利害関係、地政学的権力に直面したとき、思いやりの気持ちがあれば、他者の利益や権利を尊重することになります。 



 …思いやりそのものが平和をもたらすかどうかは分かりませんが、宗教の違いや経済体制の違い、あるいは利権における相違などで生じる暴力的な衝動に立ち向かうとき、思いやりは精神力やパワーの根源になると思います。
 思いやりとは温かな心なのです。 それがおなかをいっぱいにしてくれたり、身体を温めてくれたりはしません。 しかし、思いやりがあれば、紛争やネガティヴな感情が起きたとき、うまく作動してくれると思います。
 …しかし、宗教によって思いやりを育てたり、高めたりしようとすると、大きな隔たりが生じます。 無宗教の方も多くいますよね。 宗教色の濃い思いやりは無宗教の人たちにはそぐわないものです。 
 例えば神の概念に基づいた思いやりの普及は無神論者の心には響かない。 したがって、私はいつも非宗教や無宗教にも普遍的な思いやりを求めます。ここでいう非宗教とは、宗教を否定するという意味ではありません。 全ての宗教を尊敬しながらも特定な信仰を持たないということです。

 …生きる・生き残ることへの動きに関して、温かい心、思いやりが一つの重要な要因になっているのではないか、全ての異なった感情を結びつけ、組織的に作動させているのではないかと感じます。

 …私は仏教徒です。 他の宗教の闘争を見ると非常に残念で実に悲しい思いをします。 本来、宗教は人々を助けるか、または少なくとも望みと安心をもたらすべきものなのです。 



 第一に共感したのは、思いやり(「慈悲」と言う言葉を毎日新聞はおもいやりと翻訳している模様です)の大切さ。 人が生きているのは、お互いに思いやってこそであって、いくら豊かになってもそのことは決して忘れてはいけないと思います。 それに、思いやる事をやめたら、もう人類の歴史は終わるのだと思います。

 そして第二は、他宗への寛容。 彼の言葉から、僕が宗教に対してこのブログで書いてきた考えが方向的には誤っていないことを確認することができて、すごく嬉しいです。 人を幸せにするために、この上ない思いやりを持った人々が宗教をつくった(そうでない人が作ったものはすぐに消えうせるでしょう)のだから、それらの根本的な考え方は同じはずなのですよね。 仲良くできないことはないと思います。


 思いやりや寛容の重要性については、何千年前からも話されてきたと思います。 その頃から現代にかけて世の中は技術的にものすごい発展を遂げたのに、人にとって重要なものは、まだあまり変わっていない感じがします。 だからこそ人は歴史や古典から学ぶべきだし、学ばないといけないのでしょうね。 
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