Taejunomics

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数学と法律はかなり近い?
入門!論理学 入門!論理学
野矢 茂樹 (2006/09)
中央公論新社

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 一分野に集中することも大事なのですが、関心もある程度拡げておくのが発見の秘訣だと思うので、コツコツと本を読んでノートにまとめています。 今回は、この本。

 かなりまったりとした書き口で語られているのですが、いきなり厳しいところは厳しくなったりと、緩急のある本でした。


 とても興味深かったのは、論理学で主に扱う論理(述語論理)の公理系と、いわゆる数学の論理(自然数論)の公理系がものすごく近いらしいと言うこと。 公理系とは、ある公理(出発点となる決まり事)から、様々な論理法則を証明していく体系の事です。
 

 述語論理の公理系に、等号の公理と数の公理が加わっただけで、その体系は数学の公理系になります。 ちなみに、この二つを加えることによって、完全な述語論理の体系が、不完全になってしまうらしく、これをゲーデルの不完全性定理というそうですね。 (完全とは、その公理系が妥当な論理法則の全てを証明することが出来る事を指します)
  
 そんな事を考えると、述語論理をフルに活用する法学を学ぶことと、数的理論をフルに活用する数学を学ぶことの間には、論理的思考能力という観点からするとあまり差が無いように僕は感じるのですよね。 法学と数学は、かなり親和的な学問と言えるかもしれない。 しかし現実には、法律に強い数学者や、数学がめちゃできる法学者はかなり少ない。 (ちなみに、哲学者は両方にまたがる事がかなり多い感じがします。)

 この理由は、もしかしたら、二つの学問における記述形式の違いそれだけに帰着してしまうのでしょうか(もちろんそれも大きな問題ではあるのですが)。

 だとしたら、なんかいろんな意味で勿体無い気がします。 二つの学問を行き来する人が少ないということは、両者を行き来するのに必要な記述形式の習得が困難であると推測することが出来る。 なら、僕たちは、記述形式のために膨大な時間を使っていることになるわけで。。 って考えすぎたら、数学を放り出しそうd
Comment
≪この記事へのコメント≫
あ、法学の論理学的側面(というより言語学的側面は)は確かにそうなんですけど、法学と数学はちょっと違う面がある。

法律の記述形式は非常に特殊ですけど、それでも我々の使っている自然言語(つまり今書いているこのような言語)を使っています。

自然言語というのは、論理学を使うには少々厄介なんです。「意味論」と言って単語や文の記述でどういう解釈が妥当かというのが数学と違って曖昧なんです。
しかも、法律の記述が特殊なのは、いかなる状況下においてもその法律が適用できるよう、解釈(意味)に幅を持たせるような記述がなされているため、数学のように解が一つだけと言うわけにはいかないんです。
従って、解釈論が法学の大半を占めますし、しかもその答えが正解であることも時代状況によって変わってきます。
2007/03/11(日) 21:46:25 | URL | F.Nakajima #-[ 編集]
はじめまして。

「等号の公理と数の公理を加えることによって、完全な述語論理の体系が不完全になってしまう」というのは誤りです。不完全性定理で言っている完全性は「どんな論理式φでもφか¬φが証明出来る」という意味での完全性であり、「全ての妥当な論理式が証明できる」という意味での完全性とは異なります。

この本にそのように書いてあったのなら、この本の論理学に関する記述は信用しないほうが良いかも知れません。
2007/03/15(木) 01:09:21 | URL | さかい #v0W2OX1k[ 編集]
おふた方、コメント有難うございます。
浅学菲才なので、えー、良く分かりません^^;

F.Nakajimaさん、ご指摘有難うございます。 ただ、ここでのポイントは、それでも論理の学問として両者は類似していて、どちらにおいてもロジカルな考え方を要求するのだから、数論を扱う人と法論を扱う人には親和性があるのじゃないかな、ということです。


さかいさん、指摘有難うございます。 ちょっと教えていただきたいのですが、普通の学問体系の定義は2元性を許さないものなのに、完全性に関しては、「~という意味としての」という表現の使い方が許されるのでしょうか? 
2007/03/17(土) 01:50:08 | URL | Taejun #-[ 編集]
遅いコメントですが。
>述語論理をフルに活用する法学を学ぶこと

様々な学説が並立している個別の法律(民法とか)が有るので
>記述形式の違いそれだけに帰着してしまうのでしょうか
これは、成り立たないのでは無いでしょうか。
2007/04/08(日) 09:15:26 | URL | タナカコウイチロウ #-[ 編集]
初めまして。 コメント有難うございます。

確かに学説の存在は仰るとおり法学の特色とは思いますが、どの学説にも論理の力強さはあると思うので、その意味では、この学問は論理の学問だなと思った次第です。

これからもよろしくお願いします。


2007/04/08(日) 21:46:47 | URL | Taejun #-[ 編集]
はじめまして。maruと申します。
横レスかつ遅レスごめんなさい。

>普通の学問体系の定義は2元性を許さないものなのに、完全性に関しては、「~という意味としての」という表現の使い方が許されるのでしょうか?

数学(論理学)では基本的には論理式や数式で記述し、
言葉で表現するというのが特殊な状況だと思います。
そのため、別の論理式で記述する文でも、言葉で表すときには同じ言葉を使ってしまうという場合があります。

しかし、普通は、論理式や数式などで記述するので、言葉で表現した場合は同じであっても、式で書いた場合は異なるので、決して混同することはありません。

もし参考にした本が「言葉」だけで書かれていて、論理式や数式が書かれていないのだとしたら問題だと思います。
2007/05/04(金) 00:41:10 | URL |  maru #-[ 編集]
はじめまして。 コメントありがとうございます。

なんというか、他の上のすれと同じく、いろいろと行き違いがあるようですが、、たぶん僕の勉強不足が一因なので、勉強してみます・・・ また関連記事を書く時があると思うので、そのときにまた突っ込みよろしくお願いします!

もしお時間があれば、取り上げた本を読んでみてください。 多少記号らしきものが入っているのですが、どう評価すべきか、僕には見当がつきかねます。
2007/05/04(金) 22:37:57 | URL | Taejun #-[ 編集]
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