Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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国民投票法案通過について考える。
 最近バタバタしていて(二時半ごろ帰宅)、ものすごく眠いのですが、書かないと忘れてしまうので、備忘録代りにエントリーを。

 結論から言うと、僕は、国民投票による意思決定が、本当に妥当な決定を生むことができるのかという点について、甚だ疑問を持っています。 日本に限った話ではなくて。 
  

 1.重要な前提、強い個人

 2.強い個人なんているの?

 3.リスクを考えるべき
 
 4.結び
 
 
 1.重要な前提、強い個人

 まず、これはすごく重要なことだと思うのですが、近代の人権の理論や立憲主義を支えるとっても重要な前提って、個々人が自律して・自立していることなのですよね。 現在においてどう考えられているかは別として、議会を通じて憲法をつくり、それをもとに国家をしばり、人権を保障するということを達成するには、何よりもまず、個々人がいわゆる、「強い個人」であることが、要請されていたのです。
 ルソーやら、ミルやら、ゲーテやら、イェーリングやら、近代立憲主義が成立していった時期、社会に大きな影響を与えた思想家たちは皆、強い個人を想定していたようです

 (以下、うろ覚えですが、内容はあっているはず):

 ・ルソー:「私は奴隷の平和よりも自由な死を選ぶ(たしかどこかでルソーが引用したもの)」

 ・ミル:「自由論」において、その著述された自由が享受されるためには、人々が理性をもっていることが要請されると主張。 (同様に、「未開」社会の人々に対しては専制が最良の手段であると主張し、これが、植民地支配の論理ともなった)
 
 ・ゲーテ:「ファウスト」の最後らへんで、自由と権利は、日毎このために闘うもののみが、それを享受するにふさわしいと話している。

 ・イェーリング:主著、「権利のための闘争」は、もうそのまま。 Recht(権利=法)は、個々人の闘争によってのみ達成されると主張。



 
 2.強い個人なんているの?

 ですが、現状を見る限り、こういう、自律して自立する個人なんてあんまりいないような気がします。

 むしろ、メディアによって、簡単にその「意思決定」をコントロールされてしまうのが、多くの人々なのではないのでしょうか。 

 自律して自立していて、誰にも左右されず、自己の信条に基づき意思決定をできる人々が国民であるのなら、国民投票は、文字通り、民意の反映として、大きな意義を持つことでしょう。 ですが、「民意」が、ある特定の人々によって操作される様な状況下で、国民投票がどれだけの意味を持つのか、僕には甚だ疑問なわけです。

 もし、日本国憲法の9条を変えるのなら、簡単そうです。 メディアを通じて、隣国や世界の自国に対する脅威をガンガンにながせば、9条改正案はすぐに国民投票で通るのではないでしょうか。

 

 3.リスクを考えるべき


 現状において、国民投票という手段が、とりうる方法の中で最善なのかを考える必要があります。 
 
 上までで書いたように、僕は、「国民意思」なんてものは、かなり移ろいやすいものだと思っています。 根本的な価値観(お互いを尊重する、だとか)は変わりにくいとしても、それ以外は、情報操作一つでころころと変えられそうな気がしています。

 さらに、国民投票は、それが一度なされ、ある結果が出ると、それはまさしく民主主義制のもとでは「錦の御旗」となると思われます。 それを覆すことは容易ではなさそうです。
 
 国民投票とは、現状においては、移ろいやすく、不可逆なものなのです。 しかも、その投票により決定される内容は、相当に重大なものが多い。

 ファイナンス的に考えると、こういう制度というのは、リスクファクター以外の何物でもないのですよね。


  
 4.結び
 
 このように、現状においては、国民投票という制度は、かなりのリスクを伴うものであることを、理解する必要があるとおもいます。 制度運用をするにせよ、これを踏まえるべきでしょう。

 リスクを負うことによって、国民の自覚が高まるという可能性はなきにしもありません。 もちろん、低いとは思いますが。。

 さらに、ある道を、それが破滅への道にせよ、選択することによって意思決定に責任を持たせるというのは、政治哲学的(ってぼくは詳しくないのですが)ありなのかもしれません。 国民投票制度は、国民皆の自己責任制度とも考えられそうですから。

  
 ただ、それらを踏まえても、現状において、僕が国民投票なる、一見耳に心地よい制度についてかなりの疑問を持っていることに、変わりはなさそうです。 
 
 
 
 
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