Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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欲望という前提。
 素人ながら、経済学の勉強をしている。 大学で数学を習っていないので、金融工学などに四苦八苦。 
 勉強をしていて、数式を立てたりするときに、いつも気に食わないことがある。 それは、ほとんどの式が、経済主体の間の利益相反を前提にしているという点である。 

 多くの場合、経済学で解を得るときには、均衡状態を導き出し、解を出す。 この状態は、利益が相反する人々の取引によって達成される。

 商品の価格について考えてみよう。 たとえば、商品Xを買いたい人と売りたい人がいる場合を想定する。 買い手は、できるだけ安く買いたいし、売り手は、できるだけ高く売りたい。 この欲望がぶつかり合いながら、ついに、両者が妥協する価格にいたる。 これが、均衡価格である。 市場(いちば)でのセリが、イメージとして適しているかもしれない。  

 仕組みとして、利益相反がないと、式を非常に立てにくいのが、現在の経済学である。 今日も、エージェンシーコストなるものの算定を計算していたのだが、やはり、株主、経営者と、債権者の間の利益相反が、解を求めるのに重要な鍵となっている。

 利益相反、ちょっとうがった言い方をすれば、欲望の対立というこの前提が気に食わないのである。 

 確かに、欲は、人間の本質の一つだと思う。 しかし、「欲」をキーワードにして解を求めていく経済学の現状は、物悲しいと、自分は思う。 
 代替案を出せればいいのだが、難しそうである。 出せたら、ノーベル経済学賞と平和賞をいっぺんに取れるかもしれない。 たとえば、「おもいやり」をキーワードにして、理論を構成するとか。 いやあ、これは、「欲」の場合より1万倍くらい難しそうである。
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