Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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21世紀の怪物? ①
 今、僕は、21世紀で特に人類が対峙するべき怪物の中の一つを認識しているのかもしれません。 考えに多少まとまりが欠けていて、相変わらずの勘違いかもしれませんが、お付き合いいただけると幸いです。

 要旨:
 自分だけを基準にしてものを考える、マスターベーション的価値判断は、認識の誤謬、人間関係の破壊、虚無感など、さまざまな問題を引き起こす。 物質的基盤が成熟する21世紀において、この問題は顕在化する。


 少し前に、自分でもとても許せない卑怯なことをしてしまいました。 その後落ち着いてから、つらつらとその理由を考えていました。 この年になっても失敗をするということは、その根は相当に深いものであると考えられ、その改善のためには、問題の所在をしっかりとつきとめる必要があると考えられるからです。

 考えているうちに、僕は、これは自分だけの問題ではなくて、現代の人々の思考様式における病理の一つだと考えるようになってきました。 だから、ブログという場所にこのことを書くことにしたわけです。

 人間の性情はもともと猛獣のようなもので、それにあたるために理性があるのだという内容のことを、中島敦が話していました。
僕はその猛獣の一匹は、過度の利己心、自意識、個人英雄主義だと思います。 自分だけが良ければそれで良いという考えや、自分の内実よりも、自分が周囲にとってどのように見られるかが重要だという考え。 自分の欲求の満足や、他者からの敬意の眼差しや羨望がその人を満足させます。
 
 僕は、これらのものを、「自己の価値判断基準化」と定義したいと思います。 俗っぽく言うと、「マスターベーション的価値判断」、と言えるのでしょうか。 この価値判断をもつ人々にとって、ある物事の価値は、それが「私にとってどのような便益をもたらすのか(その便益が物質的であれ精神的であれ)」、によって決まります。  

 
 この価値判断のありようは、以下の問題を生ずるものだと僕は思います。 3つとも、僕自身が思い当たることです:

1)認識における誤謬
2)人間関係の破壊
3)虚無感


1)認識における誤謬

 自己の基準のみを用いて、判断を行っていくと、たとえその人が相当程度の知識と論理力を持ち合わせていたとしても、誤りを生じさせる場合が相対的に多くなると思います。 それは、心のどこかに自分が正しいのだという結論じみたものが存在しているため、自分の考えに対する批判的意識の欠如が生じてくるためです。 他人の意見の批判については厳しいのにもかかわらず、自分のそれに対してはそれと同様の批判意識を持つことを忘れてしまう、そんなことが起こりえるわけです。 実際、世の中にそのような人は少なくないですよね。 


 2)人間関係の破壊
 
 これは、特に言うこともないのかもしれませんが、マスターベーション的思考様式をしてしまう人は、たびたび独善的な行動に走ったり、他者の信頼を裏切るようなことをしたり、他人に対して思いやりを欠く行動をとってしまい、周囲との人間関係をうまく運ぶことができなくなってしまいます。 
 将来何か大きな仕事をしようとしても、一人で大きな仕事なんてできない以上、このような性情は致命的なものだと考えられます。


 3)虚無感

 価値の基準が自分だけになってしまうという人にとって、長い先のことを考えるのは、とても恐ろしいものになりえます。 なぜなら、価値判断の基準が自分だけという人にとって、自分の死とは、そのまま、すべての終わり、完全なる絶望を意味するからです。
 
 生き物である以上、死を避けることはできません。 知性を持っている以上、未来における自分の死を考えずにはいられません。 自分だけを価値判断の基準としてしまう人にとっては、常に、先には完全なる喪失が待ち受けているわけです。 先に完全なる喪失しか見えなくなると、虚無感がその人を包み込むことになりえます。  
 
 「がんばって知識をつけても、お金を稼いでも、名声を高めても、いつか自分は死んで世界はなくなってしまうんだ。 だったら、生きることに何の意味があるのだろう。 人生は所詮、死までのモラトリアムにすぎないのではないか。」 僕は、特に豊かな先進国において見受けられる虚無感の一つは、これから来ているのだと思います。 僕自身、このように考えたため虚無感に陥ることがます。


 この自己の価値判断化が生み出す虚無感を考えるに至り、重大なことに気付かされます。 
 それは、自分のことしか考えなという思考様式は、内在的に矛盾を抱えているという点です。
 自分の満足のためだけに生きるという人にとって、上にあげた1)と2)は、重大な問題とはならないことでしょう。 ですがこの虚無感の問題は、自分の満足のためだけに生きるということが、終局的には自分だけの満足や快楽すらも破壊するのだということを示してくれているのだと僕は思います。 


 真実を求める人にとっても、事業に燃える人にとっても、また、自分の幸せのために生きたいという人にとっても、自分だけを価値判断の基準に据えてしまうことは好ましくないということがわかると思います。 十人十色、人の価値判断の基準はそれぞれであっても、その基準を自分だけにすることは、どのような場合においても誤りである可能性が高いと僕は感じています。


 勘違いしてもらいたくはないのですが、僕は、完全に自分を勘定の外にして価値判断をするべきだと言っているつもりはありません。 問題はバランスにあって、自分の便益に価値判断のウェイトがかかりすぎてしまうと、好ましくないということを主張したいのです。


 このマスターベーション的思考様式は、21世紀において、人々が対峙する怪物になるのかもしれません。 僕はその可能性が高いと考えています。
 なぜ21世紀なのかというと、今世紀において、この問題がより顕在化する物質的土台が築き上げられると考え得るからです。
今世紀の先進国における物質的豊かさは、人が、自分一人で生きていけるような物質的土台を作り上げるでしょう。 今ほど豊かでない昔においては、人は一人では生きていけず、そのために、自分の価値判断も独りよがりになることが少なかったのですが、現代においてはそうでなくなってきています。 
 
 僕の思いすごしなのでしょうか? 思いすごしではないと考えています。 
 では、どうすればよいのでしょう。 それは次の記事で考えてみたいと思います。

 

Comment
≪この記事へのコメント≫
こんばんは。はじめまして。
僕も似たような経験を、つい最近身をもって経験しました。
マスターベーション的思考様式、まさにその通りだと感じます。

>自分の満足のためだけに生きるということが、終局的には自分だけの満足や快楽すらも破壊する

実にその通りだと思います。
一番悲しいのは、いくらそのことを相手に諭そうとしても、言葉がなかなか届かないということです。わかってもらえない。言葉ではだめなのか、ではどうすれば良いのか?途方もないことです。難しい…

いつも拝見しています。
これからも、楽しみにしています。
2007/06/18(月) 00:40:44 | URL | 読者 #-[ 編集]
金融関係は全くわからんが、時々こういう記事があるからいいな。

>マスターベーション的価値判断

ちょっと矛盾してるかもしれないけど、これって他人との(意見の)衝突を回避してきた「つけ」のような気がする。
個人の価値観は他人のそれと衝突、融和(この表現はいいのか?ww)を繰り返して、研磨あるいは変形していくものなのに、意見の衝突を極端に(しかも利己的に)嫌がるばかりに、粗研ぎのまま世間に放り出されるケースって実際多いだろ。
あ、これ俺とかもね。
そもそもこの米自体がマスタb(ry

融通がきかないわけでもないけど、妙なプライドを持っているというか、ただ単にわがままな人間は他人と「衝突」するけど、この手の人間は「轢き逃げ」が多い気がする。俺も自分が知らない間に「轢き逃げ」してないか心配になることがしょっちゅう。

そもそも自分の意見が真っ向から否定されるという経験が少ないから<心のどこかに自分が正しいのだという結論じみたものが存在>してしまうのかな。

Taejunは社会問題として捉えているっぽいけど、俺は教育の問題だと思うんだ。

日本では親が子に過度の期待をかける傾向があると思う。あれ、これここの記事だっけww
・自分の子は優秀(であって欲しい)
・自分の子は間違っていない(同上)

あと
>1)認識における誤謬
>2)人間関係の破壊
>3)虚無感
って分けてるけど、俺はこれに
>4)公共の利益の軽視
ってのを加えたいね。


奇麗事じゃないけど、他の誰かのために何かをすることに価値を見出せるかっていうのは、人間の価値観が成長していく上で必ず通るところで、これがひとつのメモリなんだと思う。現代の日本は形ばかりはあっても風潮としてこれを路線においてないんだろうな。韓国や中国も、いずれそうなるだろうな。欧米は行ったことないからわからんけど。



いや、最近考え込んでたことがそのまま記事にあったんで、ちと興奮してしまった。①ってことは続きがあるのか。
楽しみにしてるよ(・ω・)ノシ
2007/06/18(月) 23:57:16 | URL | 唐紙 #-[ 編集]
読者さん、
 同感してくだってうれしいです。 僕一人が感じていることではないみたいですね。 もう少し掘り下げて考えてみるので、少々お待ちくださいね。


唐紙、コメントありがとう。
さて、一つ一つにコメントを返していくと、とんでもない長さになってしまうので、また飲むときにするとして。
君の言うとおり、教育の問題や倫理の問題などからも書こうとは考えたんだ。 だけど、これらの問題には、かなりの価値観の対立があり得るので、なるべく表に出すのは避けたかったわけなんだ。 個人的には君の言っていることにとても同意するわけだけど、ある人々にとってはそうでもないのかもしれない。 なんてことを考えると、ついつい、易き表現に流れてしまうわけだよね。

②は、よくよく考えてから書くので、少々お待ちを! 


2007/06/19(火) 01:00:30 | URL | Taejun #-[ 編集]
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