Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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赤ひげ診療譚とコーポレートガバナンス。
 昨日・今日で、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を読みました。

 これが、すごくよかった。 医療関係者の方がお読みになっていたら、ぜひ、感想をお伺いしたいところです。 

 特に気に入った個所を抜粋していると、最近読んでいる、TiroleのThe Theory of Corporate Fiannceとオーバーラップしている部分があることに気付きました。

 

 まず、赤ひげ診療譚。
 いくつか抜粋すると:

 


 「罪を知らぬものだけが人を裁く。
  罪を知ったものは決して人を裁かない。」 

 「この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。 しかし、それらの大部分が貧困と無知から来ているとすれば、少なくとも貧困と無知を克服するような努力がはらわれなければならないはずだ。」

 「見た目に効果のあらわれることより、徒労と見られることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。おれは徒労とみえることに自分を賭ける。
 ―温床でならどんな芽も育つ、氷の中ででも、芽を育てる情熱があってこそ、しんじつ生きがいがあるのではないか。」
  
 「人間の欲望を満たすための、好ましからぬ条件は多くなるばかりだろう。したがって、たとえそれがいま悪徳であるとしても、非難し譴責し、そして打毀そうとするのは無駄なことだ。むしろその存在をいさましく認めて、それらの条件がよりよく、健康に改善されるように努力しなければならない。」


 
 と、あるのですが、語られている内容の原理が、このコーポレートガバナンスの根本的な考え方と似ているんです。 特に、上で引用した、人間の欲望の部分。

 企業は、世の中すべての人のものだ、ということは正しいと思うし、美しいです。 だけど、そのような考えに基づいて行われるコーポレートガバナンスは、本来の目的を達成しにくい可能性があります。  理由は、ざっくり言うと、二つです:


 ①測定の難しさ
 そのような、社会全体の利益は、会計的に測定できないし、株式市場で評価されるものではないから。 となると、人々は、目に見えないものを、インセンティヴの源泉とせざるをえなくなる。

 ②意思決定プロセスの煩雑さ
 さまざまな利害関係をもった人々が集まるため、意志決定に時間がかかり、非効率など、さまざまな問題が惹起されうる。



 みんなが、「善い考え」を持って、自分の利益のみならず他人の利益も考えるということを信じるという、性善説的な考え方は、美しいかもしれない。 だけど、それは、ナイーブです。 人は、決して、そんな人ばかりではできていないから。

 理想は性善説に置くとしても、この世の中で生きていく以上、徹底的にリアリストになり、いろいろな人がいることを、ちゃんと想定する。 それでもなお、世の中の動きが、人々全体の幸せに少しでも近づくような仕組み作りを考える必要があるのですね。 これはまさに、医師赤ひげが考えていた事と通底しているのではないだろうかと思うのです。


 ちなみに、現状でベストと考えられるのは、株主価値向上を第一義に考え、そのほかの問題は、契約というしばりを持って解決するという方法です。
  
 契約で権力をしばる、という考え方は、近代立憲主義の根本的な考え方の一つです。 だけど、もう少し進んだ枠組みを考えはじめる時期に来ているのではないのかな、と思ったりします。 それを考えられたら、僕の将来の仕事は、より明確になるのかもしれないですね。


 それではみなさん、今週も暑いですが(しかも僕の部屋にはクーラーがない)よい一週間を!


  
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