Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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分けることによって分かること。
池田信夫ブログで、環境問題の議論がかなりの反響(もつれ?)を読んでいます。 
この議論のもつれの原因は、より一般化できるのかもしれません。


・事実と(事実に基づいた予測)の混同
たとえば、こと温暖化に関して言えば、2006頃までは地球の平均気温がかなり高かったこと(これは、太平洋上だけを場所にとってもそうらしい)は事実です。 ですが、この状態が続いたら将来がどうなるか、というのはあくまで推測にすぎません。



・相関と因果関係の混同
相関と因果関係の違いは非常にクリティカルです。 CO2の大気中濃度と地球の温暖化の程度が相関を示していることは事実だとしても、両者の因果関係を立証するのは非常に困難です。 統計学というものについて、人々は過度の幻想を抱きがちですが、統計学によってできることの多くは、「何がありえないか」という消極的なものであって、「何がありうるか」という事を忘れてはいけないと思います。



・人間のネガティヴバイアス
人間はどうも、不確定な事象に関しては、ネガティヴな方向にバイアスがかかる傾向があるのかもしれません。今まで人々の間で出回るデマの性質をよく見ると、そう思えてきます。ユダヤ陰謀論、地球滅亡論、などなど、多くのデマは、その終着点として自己に降りかかる不利益を内包しているようです。また、このネガティヴバイアスを持つと、自己と反対の意見について、かなり攻撃的になるのも特徴的な感じがしています。

地球温暖化による深刻な影響についても同様のことが言えるのかもしれません。
ただし、これは人類が不確実性に満ちた世界をサバイバルしてくるために必要だった知恵の派生物という見方もできそうです。



・広すぎる「問題」の定義
環境問題とはそもそも何の問題でしょうか。 この言葉から人々が想像するものは、資源の浪費、CO2、温暖化、公害、種の絶滅などなど、人によってさまざまなものになると思われます。 生態系というシステムの複雑さも問題をややこしくしている要因ではあるのですが、これらさまざまな問題が環境問題として一緒くたに議論されている感があります。

この概念の混乱は、深刻な結果を及ぼす可能性があると思います。
それは、問題一つ一つの重大さが、必要以上に薄められてしまう可能性があることです。

たとえば、CO2について言えば、それが地球の温暖化と因果関係がないとしても、その排出量の増加は限りある資源の乱用の可能性を示唆し、また、酸性雨などの深刻な公害を引き起こすものであることには変わりはないわけです。 しかし、概念の混乱は、CO2と温暖化の関連性のみをクローズアップさせて、他のCO2問題を有耶無耶にしようとする言論を生む可能性があります。



物事を分けて考えることは本当に大切で、それによって分かることは、本当に多いと思います。

最後に、相互の意見の違いによる論争と、お互いの人格を尊重することを分けることも大切ですよね。



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