Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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30にして立つ
「15にして志し、30にして立つ」という言葉は、なぜか肩にずっしりとのしかかっていて、30歳のうちに人生の方向性を明確に決めようと思っていた。

去年の10月に30歳になってからの1年間、これから人生をかけてやることについて色々と考えていて、4つくらいの選択肢を検討していたのだけど、時間の制約の中でいざ何を選ぶかということを考えている間に、色々なものが雨上がりの空と同じくらいにクリアになった。


僕が人生をかけられるのは、世の中の結構大きな不条理を正すことなのだと思う。虐げられている人、代弁されることがない人、貧困の中に死にゆこうとしている人がいる世界の状態を、少しでも良いものに変えられるのであれば、僕は死ぬ時に多少は満足できる。

それと、もう一つ情熱を注げるのは、必要な場所に必要なお金や人・モノが届く世界をつくること。全ての人には自分の力で自分の運命を切り開いていく力があるし、必要なものは平等なチャンスなのだと思う。そのチャンスは必要な場所に必要なお金やモノ・ヒトに提供されることによって、より多くの人にきちんと提供されるはずだ。

世の中を便利な場所にするとか、カッコいいものを作るとか、そういうことは僕の人生のテーマではないみたいだ。テクノロジーの話は好きでワクワクするし、Appleの製品は好きだけど、それを作ることそのものに 情熱をかけられるかというとそうではない。別に便利でなくても人は生きてきたし、かっこいい製品が手元になくても、楽しくやっていけるから。一方で、自分の人生のテーマを達成するためのテクノロジーやイノベーションには興味があるし、それは引き続き探していけたらいいなと思う。


こんな内容のことを、仲のいい友だちに話してみたら、「はあ?何をいまさら・・・」と言われた。周りから見ると明らかなことが、自分にとってはそうでないものというのは、よくあることだ。傍目八目。

なんにせよ、30歳のギリギリのタイミングで何をやるのかが明確に見えたので、30代はどんどん突っ走ろうと思う。
国際会議のセッション
World Economic Forum in Tianjinに来ている。国際会議はこれで3つ目。

こういった会議の一つの価値って、世界で今起ころうとしていることに関する情報を知ることができることだと思う。それは、イノベーション浸透の段階でいうと、アーリーアダプターが知り始める段階にある情報。業界内の人にとっては常識でしかないけれど、外の業界にいる人にとってはとても新しい情報。

なので、こういったフォーラムで語られていることが、専門家にとって何一つ新しい内容を含んでいないという批判は、あまり本質的でないような気がする。そもそも、そういう新しい情報を共有しようとするインセンティブがないから。

例えば、金融関連のセッションでよく語られているテーマは、「これからのリテールバンキング」だ。コンピューター(携帯電話含む)に業務の大半が代替されることにより、今後、銀行のリアル支店はどんどん無くなっていくだろうという話題は、多分金融業界にいる人にとっては大して新しい話題ではない。でも、外部の人からすれば、結構珍しい情報なのだろうと思う。

ということを考えると、国際会議に出て、セッションに参加するときには、選ぶ基準は、「自分がどうしても何か発言したい分野」か「自分にあまり馴染みのない分野」にすると良いように思う。たった数十分で、自分が門外漢である業界の潮流が分かるのは、結構お得なことだ。


(いくつか気づいたことがあるので、この期間に幾つか連投していこうと思います。)


10年連用日記
もう四年前の話。

「あと8年後に起業するんです」とある人に話したら、こう返ってきた。

「8年じゃなくて、5年にしなさい。」

良くも悪くも、僕はこういう類のアドバイスは素直に受け止めてしまう性質で、その時に、5年連用日記を買った。(ちなみに、Economistを読む会も、「Economistを10年読んだら人生変わる」と言われたことから始まったもの)

書き始めたのは、2008年の8月15日。

死ぬまであまり人に見られたくないこの日記、他人に見られるというハプニングがあり、それがトラウマになって半年以上書かずにいた。このときの日記は、自分にしか見つからない場所に封印した。

사진 (1)一念発起して今年の元旦に再開して、今使っているのは10年連用日記。10年というのは結構気が遠くなるものなんだけど、もう4年続けているので大丈夫だろう。唯一の難点は段数が短いので、結構字を細かく書かなければいけない日があること。

この連用日記の良い所は、数年前の同じ日の自分の生活が分かること。ああ、3年前のこの日にあの人と初めて会ったんだな、とか、こういう出来事があったんだな、ということを思い出したり、そのタイミングでメールを打ったり。

時間が薬となって忘れられるものや、笑い話になる経験もあれば、未だに夢にまで出るような苦い思い出もある、というかその方が多い。日記を読み返していると、嬉しかったことの5倍くらい、悩みとか自責とかばかりが書かれていて、読めば読むほど自分は地獄に落ちるんだろうなと思えてくる。とはいえ、こういったものがかけがえのない人生の一部であることに疑いはないので、数多くの思い出を引きずりながら、ちゃんと直視して生きていくのが、人生に対する誠実な態度なのだろうと思う。
周囲の評価という躓きの石
西郷隆盛の西郷南洲遺訓はそれこそ500回くらい目を通している。というのも、僕の仕事PCのデスクトップの背景は西郷南洲遺訓だから。

そこに、こういう記述がある。

「総じて人は己れに克つを以って成り、自ら愛するを以って敗るるぞ。能く古今の人物を見よ。事業を創起する人その事大抵十に七八までは能く成し得れども、残り二つを終わりまで成し得る人の稀なるは、始めは能く己れを慎み事をも敬するゆえ、功も立ち名も顕(あらわ)るるなり。
 功立ち名顕るるに随(したが)い、いつしか自ら愛する心起こり、恐懼(きょうく)戒慎(かいしん)の意緩(ゆる)み、驕矜(きょうきん)の気漸く長じ、その成し得たる事業を負(たの)み、いやしくも我が事を仕遂げんとてまづき仕事に陥り、終に敗るるものにて、皆自ら招くなり。故に己れに克ちて、賭(み)ず聞かざるところに戒慎するものなり。」(西郷南洲遺訓の20番)

これは本当にそうだと思う。人間の成長は努力しても階段登りみたいに一日一日少しずつしか実現されない一方で、他人の評価とか稼ぐお金とかは、もっと突発的に変化する。そこに、勘違いや躓きのもとがある。特に、最初の時期には用心深く自分を律していられても、周囲からの評価が変わったりしていくと勘違いしやすくなる。そして、そのうち転げ落ちる。残念なことだけど、そうやって大切な物を失ってしまった人は少なくないと思う。

そのような勘違いが生じる一番の理由は自意識の存在なのだと思う。西郷隆盛や二宮尊徳はこれを「自分かわいさ」と称して徹底的に排した。前にも書いたけど、自意識の存在は、適切な判断力を失わせ、発見から目を閉ざさせ、心の平静を崩し、友人を失わせるものだ。

では、どうしたら自意識から離れられるのか。多分、自分の内なる声に忠実に従って、高い目標を立てて日々ひたむきに生活すること。というのも、そうしていたら、回りの評価とかに気を配っている暇はなくなるから。一生懸命に働いた人や修行をした人が、自意識から開放された透明な境地に至れるのは、そういうことなんだと思う。

まだ道は長いのだけど、コツコツとやるべきことを続けようと思う。
必要なお金が、必要としている人の手元にある世界
SFR.jpgソーシャルファイナンス革命
-世界を変えるお金の集め方-



すっかりブログでのお知らせが遅れてしまったのだけど、三冊目の本「ソーシャルファイナンス革命」が出版された。編集の安藤さん、ゲラにコメントくださった皆さん、帯を書いてくれた岩瀬さん、しつこいリクエストに応えてカバーデザインを書いてくださった佐藤さんに心から感謝したい。

詳しくは「はじめに」を読んで欲しいのだけれど、このブログでは、この本が書かれることになった遠因の一つについて、書いておこうと思う。


今から7年前、僕と母は途方に暮れていた。アメリカの大学院留学を諦め、2年間のニート生活を終わらせるべく国内の大学院を受けて無事に合格したのだけど、大学院に入るためのお金がなかったからだ。

入学金と授業料で、必要なお金は120万円だった。うちは裕福ではなかったし、僕には全く蓄えがなかった。この現状を周囲に伝えても、ほとんどの人は残念そうな顔をするだけ。

残り時間はあと1週間くらいで、入学金が準備できなかったら、ニート生活3年目が始まろうとしていた。僕は最後には吹っ切れていて、「しょうがない、1年間バイトするか」と考えていたくらいだった。

そんなときに、母は父に相談した。どこかでお金を工面できないかと。

僕の父は、自分や自分の身内のために他人にお願いごとをしない。西郷隆盛が言っていた「児孫に美田を買わず」を地で行っていた。お金にも全く興味を示さない。狭い家に、妻と平均体重80キロの息子たちと6人で住んでいても、まったく平然としている。

彼の思想の全てを理解できているわけではないけれど、彼は僕が出会ってきた人物のなかで一番立派な人間であることに間違いはない。40年間朝鮮学校の教師をし続けてきた父を慕う人は多い。母は、よくこう言っていた。「あなたのアボジ(お父さん)が頭を下げたら、何億円でも一瞬で集まるのよ。でもあの人は絶対にそれをしないの。」

入金締め切りの3日前のある日の夜、父は家に帰ってきて、分厚い封筒をポケットから出した。中には100万円が入っていた。そのお金を持って、僕は入学金を振込にいった。あの時のお金の重さは忘れられない。

こうして僕は大学院に入ることができた。で、大学院に行きながらのバイト先として選んだモルガン・スタンレーに半年後に就職して、途中からNPOも始めて、それらを両立させつつ働いて、昇進したのを期に退職、今の会社に転職した。ずっと昔からやりたいと言い続けてきた、バイアウトの仕事。日本で一番いい(と思う)バイアウトファンドの一つに入ることができた。

今も時々考える。あの時に父が持ってきた100万円が無かったら、僕は今頃どうしていたのだろうかと。

裕福な人はさておき、そうでない大多数の人にとっては、決定的な瞬間に手元にお金があるかないかは、人の運命に決定的な影響を与える。お金は機会と密接につながっていて、その機会さえあれば、それを活かして自分の人生を形作っていける人はたくさんいる。

とても残念なことだけど、少なくない人は、お金がないという理由だけで、色々な機会から閉ざされてしまう。それも人生と考える人もいるかもしれないが、ぼくはこんな機会の不平等の存在は絶対に間違っていると思うし、そんなものが存在する世の中は変えたいと思う。だから、僕たちのNPO Living in Peaceは、日本で初めてのマイクロファイナンス機関に投資できるファンドを作り、児童養護施設の子どもたちのための資金調達をしている。それ以外にも、個人的にできることはしている。

でも、そういった活動を通じて出来ることには限りがあるから、仕組みを作る必要がある。どうやったら、より多くのお金が、本当に必要とされているところに届くようになるのだろう。それを考えるためのフレームワークと事例をまとめたのがこの本だ。


これは、人間のつながりが金融に与える影響について取り上げた本だ。この本の主張を一言でいうと、それは次のようになる。

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お金を集めようとするときに支払わなければいけない対価(利子や配当など)は、待つことの対価、リスクの対価、情報取得の対価から成っている。

人と人とのつながりはこのコストを下げて、資金調達を効率化する。途上国で拡がるマイクロファイナンスは深くて狭い人間関係を用いて、先進国で浸透しつつあるP2Pファイナンスやクラウドファンディングは浅くて広い人間関係を用いて資本コストを下げ、より多くの人々に資金調達の機会をもたらした。

技術進歩とともに僕たちの社会関係のあり方は変わり続け、将来にはその変化に合わせてさらに新しい金融の仕組みが生まれてくるだろう。そして、お金はこれまで以上に必要とされている人々のところに届くようになる。

投資家の顔ぶれも変わる。今まで、投資はある程度のお金を持っている限られた人だけのものだった。それが変わる。誰もが好きなアーティストのパトロンや、応援したい会社の株主になれる日が近づいている。これはある意味において革命的な変化で、長期的には世の中全体の風景を変えていくだろう
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ファンドの投資プロフェッショナルとして、マイクロファイナンス機関への投資のための現地調査・契約交渉をしているNPOの代表として、また、自分の人生のテーマとして書いた本。至らないところもあると思うけど、読んでみて欲しい。


この本と関連して、いろいろなセッションが7月と8月に予定されているのだけれど、第一弾は7月8日の15時から。スピーカーはCAMPFIRE創業者の家入一真さん、トーキョーよるヒルズの高木新平さん、糀屋箱機構の糀屋総一朗さん。

詳細はこちら。空席が少し残っているので、興味のある方はぜひに。
http://ow.ly/c3fMd

"これまで”が崩壊する時代
先日、「よるヒル超会議」で、「"これまで"が崩壊する時代」というタイトルでトークセッションをした。

http://www.ustream.tv/recorded/23211485

グローバル化が進む中で、個人がどうやって生きるべきか、ということがテーマ。トマス・フリードマンが2005年に「フラット化する世界」で語ったことは、当時はまだ萌芽に過ぎなかったが、今は現実味を持っている。誤解を恐れずに概括すると、 (1)第二次世界大戦・冷戦の終結によって世界各国を隔てる政治的な障壁が下がったことと、(2)情報技術の進歩が、(1)世界レベルでの競争・協働と、(2)個人の台頭をもたらしている。


人類の歴史で時々訪れる飛躍的な技術の進歩は、雇用の不安定や格差の拡大と、ゲームのルールの変化をもたらすことがある。

先進国のリーダーたちが最も頭を悩ませているのが、雇用不安だ。特に若年層の失業率は先進国各国でどんどん高まっており、これは社会不安をもたらす可能性が高い。雇用の問題は決して不況によるものだけでなく、技術進歩とグルーバル化に伴い先進国で今まで通りの水準で賃金が支払われる仕事が減少している、という構造的な現象だから、先進国経済が不況から脱しても状況はあまり変わらないだろう。長期的には、新しい雇用が創出され問題は解決へと向かうが、歴史的にもこういった雇用の調整には少なくとも20~30年はかかるのではないかと思う。そうだとすると、雇用の調整が行われるまでの間に、仕事があって今まで通りの生活を送れる人と、そうでない人々の間に断絶が生じることになる。この断絶は社会不安を拡大するだろう。戦争が起こらなければ良いのだけれど。

そんな中で個人的に一番関心があるのが、子どもにどういう教育をするべきなのかという点と、どのような産業が新しく雇用を創出していくようになるのかという点だ。前者については、読み書き算盤と英語を土台にした創造性と課題解決能力の育成だろうと思うし、4冊目の本で書こうと考えていることだ。後者について一番興味を持っているのは、ピープルビジネスの可能性。ピープルビジネスというのは一般従業員の人間性が競争優位の源泉となっている事業だ。マクドナルド、スターバックス、スシローなど、成功している外食産業の多くは、自らの事業をピープルビジネスと規定し、従業員教育にかなりのコストを割いている。もちろん、飲食業が雇用創造の救世主であるというのはちょっと飛躍があるが、こういったピープルビジネスのあり方の中に、新しいメガ産業のタネがあるのではないかとぼんやりと考えている。こちらは本業で追いかけているテーマの一つ。


もう一つ、これから先にやってくることは、ゲームのルールの変化だ。

既存の枠組みが変化するとき、ゲームのルールもともに変化することがある。僕たちは多くの場合、「強さ」というと何らかの相手との勝ち負けを念頭に置くことが多いが、一番本質的な強さというのは、環境への順応能力だろう。個体の生命が周辺環境を超越することは基本的にありえないからだ。たとえば、地球が寒冷化したとき、恐竜と哺乳類の「強さ」は逆転した。人間社会においても、どこかのタイミングで人間の強さの要因が、腕っ節の強さから、知的な強さ・お金を稼ぐ能力・その他諸々の能力にシフトしてきた(ちなみに猿でもこれは同じことで、群が成長するほどにリーダーになる猿は腕っ節以外の能力を備えるようになるらしい)。

技術進歩やグローバル化程度で人間の強みの本質的な源泉が変わることは無いだろうけれど、より重視されるスキルセットは変わる可能性がある。たとえば、人間性やコミュニケーション能力が、今まで以上に人間の強みの大きな要因となるかもしれない。というのも、今後の社会においては様々な価値が創造されるネットワークへのアクセスがあることが、何らかの競争優位の源泉となる可能性があるが、そういったネットワークへのアクセスを得るために必要なのはお金でも検索能力でもなく、他人とのつながりをつくる能力だからだ。その能力は人間性やコミュニケーション能力といえるのかもしれない。
隣る人
9157ffdb9133d8add7f0285edcbda7f1.jpg光の子どもの家という児童養護施設の日常を綴ったドキュメンタリー。ナレーション等は全くなく、淡々と施設内の子どもと児童指導員たちの生活風景が流れる。編集が一切ないからこそ、その映像は心にしみる。

この映画は、本当に貴重な作品だ。それには二つの理由がある。

第一に、そもそも児童養護施設の様子が映画化されたことだ。映画のような媒体を通じて、不特定多数に子どもの顔が出ることを施設側から許容されることは、非常に稀なことだ。多くの児童養護施設では、子どものプライバシー保護のために、子どもの映像はもちろんのこと、子どもの写真を撮ることも禁じられていることが多い。どのような経緯でこの映画が誕生したのかは知らないが、相当の信頼関係がないと成立することがなかったのではないかと思う。それと、この「光の子どもの家」が、映画になるに堪えるほどにとても良い施設であることも、映画化される一因となったのだろうと思う。小規模のグループで、多くの児童指導員・保育士に囲まれて子どもが育つことができる「恵まれた」施設は、全国で10%にもならない。(「恵まれた」としたのは、どんなに良い社会的養護環境が提供されていたとしても、親とともに育つことが出来ない子どもが恵まれた環境にあると言うのは憚られるからだ)


この映画が貴重であることの第二点は、子どもや児童指導員・保育士たちの表情だ。映像の中の子どもたちの表情や言葉遣いからは、カメラを向けられている人から出てくる「撮られている」という自意識がほとんど感じられない。徹底したリアリティを子どもたちや児童指導員・保育士たちの姿に見いだせるからこそ、私たちはこの映画の世界に入り、そこにいる子どもと大人に心を重ね合わせることができる。このような絵が撮れるようになるまで、監督は児童養護施設に8年間通い続けたという。8年間、カメラを回し続け、施設にいる人々にとって空気のような存在となれたからこそ、このような作品になれたのだろう。この映像からは、監督の執念や強い想いが感じられる。決して表面に現れずに、川の底の流れのような淡々とした強い想い。


リアリティの暖かさと力強さを感じることができる映画。ぜひ見てほしい。

http://www.tonaru-hito.com/
あなたの中のリーダーへ
「国をつくるという仕事」は本当に好きな一冊。あまりにも好きだったので、音読して録音してずっと聞いていた。著者である西水美恵子さんの真似をして、マイクロファイナンス機関の調査にいくときは、いつもマイクロファイナンスの借手のお宅にホームステイさせて頂くようになった。

あなたの中のリーダーへ」は、西水さんの新刊。『電気新聞』のコラム欄「時評ウエーブ」での連載をまとめたもの。献本頂いて、読んで1ページでその世界に入り込むことができる、不思議な力のある一冊。

「国をつくるという仕事」では、書いている内容の多くは西水さんが仕事を通じて知ることになったリーダーたちに割かれていた。西水さん自身が当時取り組んでいた世銀改革の話は、雷龍王四世との会話の中でほんの少しとりあげられただけだった。本書は一転して、主に西水さん自身が取り組んできたことに焦点があてられている。

いくつか特に興味深いエピソードがあるので紹介したい。一つは世銀の人員削減における議論に関するものだった。「これから人の一生を変える決断に入る。その前に、案じることを率直に話しあおう」といって、3ヶ月以内に人員の2割を削減するためにどのような原則を作ったのか、というくだりは、自分の本業と関連してもたくさん考えさせられるものだった(創業者ほどでなくても、人員削減関連の話はかなり胃が痛くなるものだ)。

もう一つは、現在お住まいの英国領バージン諸島でのお話。本書では、この小さな島国の数字以上の豊かさとたくましさ、美しさが豊かな筆致で鮮やかに描かれている。前に一週間ほど滞在した壱岐島を思い出した。う

最後の一つは、アイデンティティに関するもの。言葉と国籍に関する思いが綴られている。スーパーシチズンと本書で呼ばれている、様々な生活上の便宜から住まう場所を変える人々の話があった。日本国籍を持っていないにもかかわらず、育った土地を離れることに強い抵抗を感じる僕からすると、何かしっくりしないところが胸に残った。僕はまだアースノイドで、スペースノイド
になるのは大変そうだ。


一つだけ贅沢を言うと、次の本は、書き下ろしで書いていただけたらと思う。本書は連載をまとめたもので、いくらテーマごとにうまくまとめたとしても、どうしても内容に重複があり、ところどころ既視感が出てきてしまう。一日一テーマずつ読むのなら良いが、多くの人は通しで本を読むのであり、読み進めているうちに「あれ、これ30ページくらい前に書いてなかったっけ」といったことが多くあると、本書の素晴らしい世界に入り込みにくくなる。

とはいえ、本書は前作と変わらず素晴らしい一冊。特に女性のリーダーたちには一読してほしい。
正しい文章の書き方
正しい文章について考えていることを書いてみたので、こちらにも転載。
とはいえ、大した新規性はない。

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I.なぜ正しい文章を書く必要があるのか
これにはいくつかの理由があります。
 第一に、正しく物事を伝えるためです。特に、仕事上の重要な文章では、正しく物事を伝えることの重要性は高いです。ラブレターとかでも多分同様です。
 第二に、自分の思考能力を高めるためです。人間は言語化できる程度においてしか物事を理解することができないといいます。また、人間の言語能力と思考能力の相関は多くの人が説くところです。
 第三に、第二点とも関係しますが文章能力を磨くことによって、人は、世界と自分自身をよりよく理解できるようになります。そして、人間の精神も成長します。


II.どうやったら正しい文章を書けるようになるのか
僕もまだ完全に正しい文章を書ける人間ではないですが、少なくとも文章を書くのが得意な部類に属していると思います。その立場から、経験上感じているいくつかのTipsをお伝えします。

・記者ハンドブックを熟読する
読んだことがない人は、この本のP503〜P521を5回読んでください。普段から手元において、自信がないときはこれを見てください。

・てにをは
基本ではありますが、「てにをは」は何度も見なおして直すようにしましょう。

・単語選びは慎重に
単語は世の中のモノや現象・概念と一対になっています。何かを説明する際に、どのような単語をあてるのかによって、文章の意味は大きく異なってきます。ひとつひとつの単語を用心深く選択しましょう。

・可能な限り短く、かつ曖昧さを避ける
曖昧さが無いのであれば、字数が短いことを優先させます(例外もありますが、これを基本とします)。能動態で動詞が多い文章ほど短く明確になります。また、指示語全般は曖昧さを避けるために必要である場合が多いです。

・主語と述語は一致させる
主語と述語は一致させましょう。分からないときには、全ての修飾語を取っ払い一番短い文にして、その意味が通じるかを見てください。
 悪い例:「A社は1.44%と競合他社の中で最も高い水準となっており」→全ての修飾語を外すと、「A社は高い水準となっており」で意味が通じません。

・接続表現を大切にする
接続表現を丁寧にしましょう。文章のひとつひとつはレゴのブロックのようなもの。それぞれのブロックを、接続表現を通じて論理的につなげることで、初めて文章は意味のあるものになります。文の論理的なつなげ方を読者に任せるのは、そのつなげ方に疑いがない場合に限られるべきです。特に文章の流れを転換する場合には接続表現を外してはならない。また、よく見かけるのが「しかし」と「ただし」の誤用です。接続表現がよく分からない人には「論理トレーニング101題」を強く推薦します。

・So whatに答える
文を書くときには、「だから何?」という質問に答えられるようにしてください。良い文章には読者との対話の精神があります。常に「だから何?」に明示的に答える必要があるとは思いませんが、読者が「だから何?」と思いやすそうな文については、予め答えを書いておきましょう。

・Why soに答える
いわゆる「ロジカルに書く」というものです。いくつかの文章の組み合わせによってもたらされる結論に説得性を持たせて、「なんでそうなの?」という問への答えを見出してください。
 なお、完全にロジカルな文章であっても、場合によっては「Why so?」の疑問は出てきます。それも踏まえて、もし結論が少々難しいものであれば、いくつか補足的な説明を加えてあげたほうが親切です。
「So what?」と「Why so?」に答えられる文章を書きたい人には、バーバラ・ミント「考える技術・書く技術」、照屋華子の「ロジカル・シンキング」をオススメします。

・複雑な文を避ける
よい文章においては、一文が長すぎず、その一文の主張が明確です。複文で分かりにくい場合には、文章を二つ以上に分解しましょう。

・知識をつける
場合によっては、背景知識が希薄だと、良い文章を書けないことがあります。必要に応じて学ぶことにしましょう。
 また、良い文章を書く人は、ほとんどが読書家です。本をたくさん読んで、それらの文章を盗むようにしましょう。

・誰でもできる、日々の練習のみ
結局のところ、これを読んでも、私たちの文章能力は向上しないでしょう。というのも、文章を書くのはトレーニングで、日々の研鑽の賜物だからです。
 ブログを書いたり、仕事で文章を書いたり、私たちは常にモノを書く機会に恵まれています。これら機会を活かし、いつも幾つかのポイントに気をつけながら文章を書くことで、誰でもいつか良い書き手になれる日が来るのだと思います。
 殆ど全てのものについて共通ですが、通常、上達に平坦な大道はありません。そして、その険しい小道をよじ登る労苦を恐れない人々だけが、その輝く頂上にたどりつく幸運にめぐまれるのです。(カール・マルクスのもじり)


以上です。
起業します
今回カンボジアに行ってきて、啓示らしきものを感じていて、「起業をしない理由」とかブログで書いた舌の根の乾かぬうちに、投資ファンドの起業のアイディアを考え中。

3つほど投資テーマがあるのだけれど、そのうちの一つは、村ごと会社化してバリューアップするというもの。新興国の大企業が途上国に入ってきて、現地の人々の生活を激変させているなか、成長の果実がその村人に残るような仕組みがあれば良いと思う。1000人の労働力がいる村であれば、例えば農業なら最新の設備と技法があれば、一人あたり300万円分の価値創造ができるはず。だったら、1000人の労働力がいる村なら、売上30億円の企業になるんじゃないかと考えている。最新鋭の設備は、全てこちらで調達。株主総会は村人総出のお祭り。

これができたら、今度は国内の村でも同じ事ができたらいい。元々の構想にあったNBF(日本買収ファンド)の地に足ついたバージョンになりそうだ。





(時間の都合がつかず、毎年の4月1日ブログのようなものを書けずに非常に残念だ)
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