Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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選ぶ基準
時流に乗って、運が味方すれば、時代の寵児になるかもしれない。でも、全くそういったものに憧れないし、いつか自分がそういう状態になったとしてもただただ当惑するばかりだろう。というのも、歴史に残る業績は、そういった時流とは全く関係のないものだからだ。ガリレオ、コペルニクスなど、そういった例は枚挙に暇がない。僕も、できることであれば、歴史に残る何かができないかと思う。ニートだった6年前 から 同じ事を言っていて、あの時と同じように大崎ゲートシティのスターバックスでいまこのブログを書いている。


あの時から今まで、学びの全ては、それらが時代の試練に耐えられるかどうかが基準だった。本を読むときには、新刊本にはほとんど目もくれず、数十年以上生き延びている本を手にとった。聴く音楽も、レッスンを受けているドラムも、だいたいの楽曲は60年代、70年代のR&B。自分の「ものを見る目」が鍛えられない間はそうやって読むもの、聴くもの、見るものを選別してきた。自分の師と勝手に仰ぐ人々のほとんどは還暦以上の人々だ。


自分の活動についても、その活動の結果が目の前の問題解決とともに、社会の構造的な変化をもたらすものになるかどうかで、始めるかどうかを決めることが多い。バイアウトファンドにいるのも、複数企業の成長に同時に貢献することで、産業の構造的な変化をもたらすことが出来るかもしれないからだ(ちなみに、このことは今の勤め先のGuiding Principleだ)。


Living in Peaceの活動は、機会の平等を通じた貧困削減は当然のことながら、これまでは誰もできなかったパートタイム事業のあり方を革新することが 目的になっている。

多分、昔も本業を持ちながら、副業で色々なことをしている人は多かったと思う。バリバリのビジネスパーソンでありながらミュージシャンである人は友人にたくさんいる。

けれど、パートタイムで組織を作って事業をするというモデルはまだ日本にはあまりなかった。多分それは、情報伝達の効率が一因になっている。手紙と有料電話しかなかった時代には、同じ場所に集まらないと仕事にならなかった。手紙や電話でのコミュニケーションと、面と向かってのコミュニケーションには情報の伝達量に格段の差があったからだ。

でも、今は違う。インターネットを通じて無料でテレビ電話ができて、会議通話もできる。文書や写真も簡単に共有できるし、グーグルドキュメントを使えば、みんなが同時にひとつの文書を修正することもできる。インターネットが発達すればするほど、ある組織のメンバーの全員が同じ場所にいる必要性は下がっていく。

今はみんなの持っている細切れの時間をうまく集めたら、パートタイムのメンバーだけでも立派な事業を作ることができる。今でさえそうなのだから、将来にはもっといろんなことができるようになるはずだ。
今度9月25日にはプロボノフェアがある。LIPの活動は普通のフルタイム組織と変わらない事業なので、近年「プロボノ」という言葉が持つイメージ「ちょっと専門性を使ってお手伝い」といったものとはかけ離れている。さりとて、「パートタイム事業」と言ってもどうもイメージがピンと来ないのでこのようなタイトルとした。7つの団体が参加し、酒井穣さんを基調講演者として迎え入れてイベントを行う。イベント詳細はこちらに記載されている。
http://www.living-in-peace.org/_common/img/pdf/20110925_probono.pdf


ここまで少し意気込んで書いてみたものの、LIPが理想状態からはまだまだ遠いことは間違いない。 活動開始からそろそろ4年なのだけど、いま3回目の試練を迎えている感じがするように思われる。これを抜けると、いよいよ新しいステージに立てる気がする。正念場だ。


ランニングの直前準備
本業がいい感じに盛り上がってきていて、ちょっとバタバタしているなか、佐渡206kmマラソンの最終準備中。

直前になって色々と新事実が発覚し、ショックなことがいくつか判明。

一つ目は荷物。基本的に持参しないといけない。仮眠所に先に荷物を届けておけるものだと思っていたので、精神的に結構きつかった。それと、基本的にみなリュックサックを背負って走るらしい。

ということで焦ってランニング用のリュックサックを購入し、これにパソコンと飲み物を詰めて走ることに。初日はかなり膝への負担が大きくて大変かなと思ったけど、今日は平均4キロくらいの荷物(飲み物を飲むと軽くなる)を背負って、48キロ走ることができたので、何とかなりそうな気がしている。

最近はこのリュックのおかげでラン通勤。会社まで走って着替えて仕事して、着替えてトレーニングして、走って帰る。電車賃がかからない生活。


二つ目は大会参加者層。大会参加者の中で42kmしか走ったことがないのは僕だけであること(ちなみに、この42kmはトライアスロンで190キロ自転車漕いだあとの42kmではある)。同年代は二人しかいないのだが、二人とも異常にタイムが早いので、一緒にのらりくらり走ってはくれないだろう。


三つ目はエイドステーションの少なさ。なんと、休憩所は30~40kmに一つしかない。だから、食料や飲み物を色々と詰める必要があって、荷物もかなり重くなりそう。


有り難いこともいくつか。

足が太いので、長距離を走るとももが擦れていたかったのだが、ワコールのランニング用下着を買ったらこれが見事に解決したこと。日本の下着メーカー、すごい。

このレース、色々あって応援なしで一人で走ることになり、正直かなり心細かったんだけど、友人が応援にきてくれることに。すごく心強い。


もう最終調整の時期で、あとトレーニングできるのも10日のみ(最後の一週間は休養)。悔いがないように最後まで頑張ります。
走る理由
9月17~19日にかけて開催される佐渡のエコ・ジャーニーに向けて、最近は走りこんでいる。名前はかわいいけれど、48時間かけて206キロを走るという、結構過酷なレース。

24時間連続耐久レースのチャンピオンによると1週間かけてその距離を走れたら完走できるらしいので、8月の下旬と9月の第一週は6日で210キロずつ走る(一日は休息)。今はバングラデシュにいてトレーニングを中断しているのだけれど、ここでは体幹関係の筋トレをして、戻ってから最後のスパートをかける予定。


なぜ走るのか、という質問をよく受ける。約束したから、というのが大きな理由の一つでもあるのだけれど、もう一つは自分と向き合う期間をつくりたかったからだ。

「自分と向き合う」という意味が分かりにくいかもしれないので、実例を。

この前、仕事を早めに切り上げて42km走った。会社から皇居まで1キロ強で、あとは皇居を8周。前日までの走りこみで足は疲れ気味だし、気温は夕方になっても32度。

3周目、ちょうど桜田門を通ったあたりで右膝の外側が痛くなってきた。そうすると、途中でトレーニングを切り上げることを正当化する理由がどんどん思い浮かぶ。

「長い間悩まされてきたランナー膝が、無理したらまた再発するんじゃないか。そうしたら元も子もない。」、「今日は休んで、明日またたくさん走ればよいじゃないか。」、「オーバートレーニングはよくない。こんなに暑いし、無理すると脱水症状になる。」、「『今日は42km走る』って言っちゃったけど、膝が痛いって言い訳すれば、優しいことばの一つでも誰かがかけてくれるかもしれない。」、などなど。


これが、僕が向き合わないといけない弱い自分だ。普通に生活をしていると、なかなか顔を出してくれないけど、土壇場になって顔を出して、色々なものをだめにしてしまう弱い自分。

平常時に強そうに振舞ったりするのは誰でもできる。盛り上がっているときに英雄ぶるのも、すごく簡単だ。でも、本当に鉄の意志を持っていられる人間は相当に稀で、たいていの人は苦しい状況に立たされたらすぐに崩れてしまう。ヘーゲルが一目みたときに「絶対精神が歩いている」と評したナポレオン(彼は、最後の最後まで王者としての誇りを失うことはなかったという)のような人間は、ひとつの時代に一人いるかいないかだ。


自分を偽らず自然体でいたい、もし可能ならより強い意志の力を身につけたいのなら、弱い自分を定期的に直視せざるを得ない機会を設けて、可能であればそれを乗り越えていく必要があると僕は思う。それを続けたら、自分かわいさを少しは乗り越えられるのではないか。

長時間走ることは、自分と向き合ういい訓練だ。なぜなら、僕みたいにもともとマラソンを走ったこともない人間にとっては、このトレーニングは結構きつい状況まで自分を追い込む機会になるからだ。このトレーニングがランニングである必要はないけど、何らかの長い時間を必要とする訓練のほうが良い気がしている。仕事その他の場面で直面する困難の多くは、長い時間をかけて人を苦しめるものだからだ。瞬間的にやせ我慢をして強がるのは比較的簡単だ。


「そのような訓練は仕事を通じて行えるのではないか」、という人もいるかもしれない。稲盛和夫さんは、仕事を一生懸命に行うことが何よりの修行であると話している。それも正しい気がする一方で、意志の強さを鍛えるのに肉体的にきついことをすることには、やはり意味があるのかもしれない。一つは、肉体的につらい状況というのは、精神的に相当なストレスがかかるものであるということ。もう一つは、歩く・走るなどの訓練は、サボりようがないこと(仕事用の資料であれば、サボったことがばれにくいかもしれないが、ある距離を移動する、という課題であれば結果は一目瞭然となるかもしれない)。修行僧たちが、肉体的に負荷のかかる行をしているのには、なんらかの理由がある気がする。

東京に戻ってからの最後の三週間はラストスパート。頑張ります。

過ちを認めること
Twitterでもブログでも、僕は自分の意見に同調する人の発言より、反対する人の発言に対するレスポンス率のほうが高くなるように努めている。誰かが自分に賛同してくれるのはうれしいことだけど、賛同よりも批判のほうに学ぶべきところは多い可能性が高いからだ。

批判のうち、的外れといわれるものもあるのは事実だと思う。「こんな人相手にするだけ無駄」と周りから言われることもある。でも、批判のうち0.1%でも相手から学ぶべきことがあるのであれば、それに耳を傾けて自分を磨くほうが良いのだと思う。人間が成長するには自己否定が必要で、ある程度まで自分の意見にちゃんと固執しつつ、自らに誤りがあると気づいたらそれは素直に謝って直すべきだ。自省と自己否定しない精神は成長しない。だからニーチェはこう言った。

「脱皮できない蛇は滅びる。意見を脱皮していくことを妨げられた精神も同じことである。それは精神であることをやめる。」

影響力のある人になればなるほどこれは難しくなる構造があると思う。ある時までは批判に耳を傾けているだけでよいけれど、そのうちに批判すらも人々が控えるようになるからだ。その状況になると、沈黙にすら耳を傾けて自省する力が必要になる。目に見えて耳に聞こえる批判にすら向き合えない人には決して辿りつけない境地だろうと思う。


批判に耳を傾けて省察することは自己の成長にとっても重要だが、他にもこれが重要な理由はある。それは、客観的に状況を見ることができる周囲の人々からは、僕が間違えているにもかかわらず自説に拘ろうとするのが見え見えだからだ。そんな状況で過ちを認めないで自分の殻に閉じこもっていると、大切な人々を失っていくことになる。過ちを指摘されてもそれを認めない人間の友達になりたい人は多くないと思う。また、個人的には、そういう人々がリーダーと目されることには違和感を覚える。


信念というのは、自説を曲げないことに根ざすものではないと思う。しっかりと自分の頭で考えぬいた上で、それでも自説が誤っていたと思ったらそれを認め、自説を改め、よりよい方法で所期の目的実現を目指す。断固として目的を実現しようとするのが信念であって、自説を守りぬくのが信念ではなく単なるわがままにすぎない。「ごめんなさい、私が間違っていました」というのは誰でも苦手だ。だけどそれを乗り越えてでも、達成したいゴールがあるのであれば、自分の過ちを認めて修正することはできるのだと思う。


普段から必要なことは、肩の力を抜くことだ。僕はまだまだ出来なくて苦労しているけれど、自分に打ち克つことの修行は次の孔子の「意なし,必なし、固なし、我なし」に収斂すると西郷隆盛は言った。すなわち、当て推量をしない、無理押ししない、固執しない、我を通さないことだ。なるべくとらわれのない心で、自我から少しばかり離れていることは、すごく大切な訓練だ。普段から心がけていても、不意に誰かに否定的な意見を言われると、「自分かわいさ」がむくむくと出てくるのを、普段から細心の注意を払いながら排除して、なるべく裸のままの自分でいられるようにする。そうすることによって、人間の精神は成長を続けることができる。目標の実現にも、少しばかり近づくことができる。


生来の性分なのか、僕はどうも自分にとらわれてしまいがちなのだけれど、努力し続けたいと思う。そのうち少しはマシになれたらよいのだけれど。
マイクロファイナンス貧困削減投資ファンド
LIP Microfinance Fund for MDGsもすでに3件の投資が行われ、その後のファンドも企画しています。今年中にファンドの投資残高は1億円を超えることになりそうです。現在モニタリングを行っているMFIのパフォーマンスも概ね好調です。

僕達が企画しているマイクロファイナンス貧困削減投資ファンドの最大の特徴は、投資家のお金が直接現地のマイクロファイナンス機関に届けられることです。どこかの外国のファンドを経由したり、国際機関を経由したり、投資金額の一部がマイクロファイナンス以外の用途に使われたりすることなく、手数料を除いたお金のすべてがマイクロファイナンス機関に届けらるファンドは、日本では他にありません。(手数料等については、ミュージックセキュリティーズ社のウェブサイトをご覧ください)スタディーツアーの実施など、直接にマイクロファイナンス機関との信頼関係を構築したうえで投資されるファンドならではの様々な特典もLIPが企画しています。

去年から仕込んでいたベトナムのマイクロファイナンス機関の報告会を今週土曜日に渋谷で14時から行われます。すでに満席近くなってしまっているのですが、空きが3席くらいあるので興味のある方はぜひ。
http://www.living-in-peace.org/Study/

それと、このマイクロファイナンス貧困削減投資ファンドのFacebookページもあります。マイクロファイナンス関連情報をかなりたくさんフィードしているので、もし良かったら「いいね!」をよろしくおねがいします!
http://www.facebook.com/microfinance.fund





((Disclaimer:特定非営利活動法人LIVING IN PEACE(LIP)は特定のファンドの勧誘、募集・売出しの取扱い行為は一切行いません。本ウェブサイトは、第2種金融商品取引業者(関東財務局長(金商)第1791号)であるミュージックセキュリティーズ株式会社(MS社)が提供する『セキュリテ』上で、MS社により運営されています。また、このブログについてのDisclaimerは「Taejunomicsについて」にある通りです)
裁く代わりに声をあげる
ビジネスやその他の場面で、悪どいことをしている人に対して憤慨している人はたくさんいる。そして、その人たちは、自分の手でその人なり会社に制裁を加えたがる。

でも、大抵の場合は自分の手で他人を裁く必要はないと思う。それには2つ理由がある。

第一に、人間が誰かを裁くときに誤謬を犯さないのは結構難しいからだ。他人が間違えていて、自分が正しいということを証明するのは意外と難しいし、特に感情的になっているときに人は間違いを犯しやすい。自分が誤っているのに、自分を正として他人を裁いてしまうと、なかなかバツがわるい。また、個人的には自分がいままでやってきたことを考えると、どうも僕には人を裁く資格が無いように思われる。

第二に、その相手が本当にフェアでないことをしているのであれば、自分自身が手をくださなくても、社会は適切な制裁を与えるからだ。すごく当たり前のことだけど、たいていの場合、世の中ではやったことと見返りの帳尻はあうようになっている。いいことをしていたらいいことが返ってくるし、逆は逆。自分の独占的なポジションを利用してやりたい放題をしていれば、必ず恨みを持つ人や、アンフェアだと感じる人がでてくる。そして、いつか正当な制裁は誰かが下す。僕がやる必要はない。

そして、こういった仕組みがうまく回るためにも、判断に必要な情報がより多くの人に適切に共有されることが必要なのだと思う。裁く必要はないけれど、届けられていない声を届けるため、隠されている事実を明らかにするため、自分の信じることを伝えるために、なるべく誠実なやり方でかつオープンに声をあげ続けることは必要なのだろう。
IT進歩の次の10年
IT関連の最前線で事業をしている方の連続講演に参加してきた。その内容が非常に興味深かったので、ここでまとめてみる。

インターネットの進歩を支えてきたものは、ムーアの法則だった。これは、「集積回路上のトランジスタ数は18ヶ月ごとに倍になる」という経験則である。1997年から2010年までの間に同じ価格のPCの計算能力は175倍になった。このスピードは一定程度までは維持されると考えられており、次の10年の間に更なるマシンパワーの増大が見込まれている。

人間の様々なアイディアとマシンパワーのギャップが、ここまでのIT業界のトレンドを作ってきた。ITバブルは、人間がITを用いて行おうとしていたことにマシンパワーがついてこられなかったので崩壊した。次のWeb2.0においては、Googleに代表される企業が進化したコンピューターの計算能力を背景に世界中の情報を整理するというアイディアを実現した。近年で一番耳目を集めているトピックはソーシャルネットワークであるが、社会関係のようにデジタル化されていない情報の全てをデータ化するには、マシンパワーが不足するという事態が生じつつあるという。


そのような過程を経て、次の10年に何が訪れるか。一番アツい分野と目されているのが、コンピューターのセマンティック化である。

セマンティック化、とはコンピューターが情報の意味を理解できるようになることだ(Semanticとは「意味論の」という意味の英語)。例えば、室内の温度が急激に上がっている、二酸化炭素濃度が上がっているという情報から、「火事が起こっている」という意味をコンピューターが汲み取れるようになることを、セマンティック化という。

コンピューターが受信するデジタル情報を総合的に勘案して、その意味を理解できるようになるためには、僕たちが想像するよりもはるかに多くの情報が必要となる。たとえば、今テーブルの上にアイスコーヒーがあということを理解するためにも、コンピューターは、位置の情報、色の情報、においの情報、温度の情報、などなど様々な情報を必要とする。

こういった様々な物理量、化学量を測定するシステムのことをセンサーシステムというが、これは今から10年の間に飛躍的な発展を実現すると考えられている。ムーアの法則を背景に、情報処理・流通にかかるコストがどんどん廉価になるにつれ、様々なものに情報端子がつけられ、それら端子が物理量・化学量を測定してデジタル信号をインターネット経由でコンピューターに入力できるようになるからだ。端子が高価で、大量データ送信を支えるインフラが十分で時代にはできなかったことが可能となる。
 
センサーシステムの発達に支えられるコンピューターのセマンティック化は、様々なイノベーションをもたらす。すでに将来が見えているものでいえば、Googleが開発をしている自動車自動運転システムや、震災後の日本で話題になっているスマートシティなどがある。また、センサーシステムがより高度化していけば、それは予防分野にも役立っていくだろう。人間が分泌する化学物質や熱などの情報からその人が現状維持をすると罹りやすい疾患を言い当てるシステムや、テロを未然に防ぐことができるシステムなどが作られていく可能性がある。

すでに生活で役立っている家電の代表格はルンバだろう。MITの人工知能研究者らが創立したアイロボット社は、ルンバ以外にも地雷探査ロボットや爆弾処理ロボットなどを開発している。ルンバにも様々なセンサーがついており、それに基づき、部屋の形を認知して、掃除をかければかけるほどより効率的に掃除を遂行するように学習をしていく。ルンバはどちらかというとセンサーの多くをその機械内に備えているが、今後開発されるロボットにおいては、通信センサーが増えていくだろう。

ここから10年先には、今は人間が行っている仕事の多くをコンピューターが代替する時代がやってくる。それは人間により多くの余暇をもたらすことになる。増大した余暇で人は何をするべきか、人間が今後伸ばしていくべき能力は何か、改めて考え直すことになる時代に僕たちは生きているのだと思う。

震災復興イベント
ちょっと宣伝させてください。7月23日の午後8時から丸の内でイベントをします。そして、今回はすごく素敵なプレゼンターが二人いらっしゃいます。ぜひいらして下さい!
申し込みはこちらから。 https://ss1.coressl.jp/kokucheese.com/event/entry/13738/

被災地に行って多くを感じた人がいると思います。私も同様で、本業その他を通じて何が出来るのか教育PJの倉中さんやEco会で知り合ったメンバーらと一緒にぼんやりと考えていたのですが、まず出来る第一歩として、(1)すでにアクションを起こしている人から話を聞く、(2)同じような興味・関心を持っている人が集まる場があればいいと思い、イベントを開催することにしました。今回のイベントは第二回です。

プレゼンターの一人は、このブログでよく紹介しているEconomist会の参加者でもある首藤繭子さん。
とても素敵な方です。経歴は華々しいですが、とても物腰が柔らかくスマートな方です。

プレゼンターのもう一人は、萩原ヨシトキさんです。この第二四半期に出会った人の中で、一番強烈だった人です。激務の戦略コンサルをしながらUCバークレーでPhDを取得し、その後日本に戻って数々の農村復興を成功させてきた人です。農業、漁業その他、異常に詳しいです。

全体のコーディネートは僕も含め、合計9人のチームで行っています。
当日は、プレゼンターの話を聞くだけでなく、参加者のみなさんが人とのつながりを広げられるような仕組みもたくさん盛りこんでいます。


【プレゼンター】
(1)企業としてできること、個人としてできること
首藤 繭子(しゅとう・まゆこ)氏
日産自動車株式会社 組織開発部

経歴
大学卒業後、外資系投資銀行に入社し、証券アナリストとして活躍。
その後、スタンフォード大学MBAを卒業し、米系コンサルティング会社に転職。
2010年、日系自動車メーカーに移り現在は社内コンサルティングを行う。

当日は震災後に行った企業間の取り組みについてお話いただきます。
大企業ならではの取り組み、それをきっかけとした個人の取り組みについて、
ご一緒に活動をされた方とこれまでの取り組みと今後の活動等についてお話をいただきます。

(2)日本の課題を解決する
萩原 ヨシトキ(はぎわら・よしとき)氏
財団法人未来工学研究所経営戦略室長
カリフォルニア大学バークレー校卒業、2004年同校にて経営学博士号取得。
専門分野は、ベンチャー・中小企業におけるブランド戦略論。
2001年から戦略コンサルティングファームにて、複数の企業再生、
新規事業開発プロジェクトに関わる。2005年、地方の中小・
ベンチャー企業専門コンサルティングファームを設立。2010年11月より現職。


【概要】
 第ニ回 被災地の今を知る夜
 7/23(土) 20:00開場 20:30開始 22:30 終了
 会場 ガープカフェ@丸の内
 費用 5,000円(一般)、3,000円(学生) (当日会場にて)

申し込みはこちらから。
https://ss1.coressl.jp/kokucheese.com/event/entry/13738/

みちのくの私立学校にて
友人Jを訪ねて、彼の職場である岩手の私立学校にいってきた。被災地の学校の多くで同様のことが起こっているかもしれないと思い、あったこと、感じたことを書いておく。予め断っておくけれど、決してこのエントリーは誰かを断罪しようとするような内容のものではない。(また、特定されにくいように、固有名詞等は少し変えてある)

Jが教師として働いている学校は山奥にある。元々は最寄りの駅から車で15分くらい山道を走ると着くのだが、震災で道が寸断されてしまい遠回りをすることになったため、所要時間は30分になった。鹿や猪は当然のこと、時には熊まで出没する山深い場所。学生数は非常に少なく30人程度。

建物の被害は甚大で、校舎は使えなくなった。他に方法はないので、遠方に家がある学生用に使っていた寮(今は学生数減少により空室が増えた)を教室がわりにして授業を行なっている。クーラーもなく狭い部屋なのでとても暑いが、最近は近くにスズメバチがたくさん出るため、窓は開けられない。こういった状態だから、教師も学生もTシャツにハーフパンツという服装で授業をしている。


そんな様子を語ってくれた後、Jは「ちょっと話したいことがある」という。彼が寝泊りしている寮の一室で話し合う。

Jが思い悩んでいるのは、学校への寄付に関することだった。この学校は、復旧のためにお金が必要な状況にある。

震災後、真っ先にやってきたのは、この学校を陰で支えてきた無名の人々だった。
「震災があった直後にやってきて、10万、20万という家にあったお金をそっと置いていってくれた人たちがいた。街中大混乱で、銀行は当然動いていない、ガソリンもものすごく貴重だったあのときに、わざわざこんな山奥まで。自分がいたら迷惑だし、その分食べ物の気を遣ったらいけないと、その人達はお金だけを渡したらすぐに帰っていった。そのお金のお蔭で、俺達は街に買出しにいって、長い列に並びながら食べ物を買ってくることができた。」

その次から、状況が少しずついびつになっていく。
「もう少ししたら、色々な組織や団体の人々がやってきた。物をもってきてそれを撮影して、自分たちの広報誌に載せていった。」

僕はその「贈り物」の山をみた。いったい、一年で何食カップラーメンを食べろというのだろうか、というほどに同じようなレトルト食品ばかり。この時期になっても同じようにカップラーメンが届くという。

「カップ麺だけには全く困らないよ」と冗談をいいながら、Jは話を続ける。

J「その次には大金を持ってきた宗教団体が、我が物顔で授業参観を要求してきた。テジュン、さっき見たろ。いま、子どもたちがどんな環境で勉強しているかを。あんな暑い部屋で、多感な時期をいつもと全く違う環境で勉強している子どもたちは、いきなりやってくる授業参観をどう思うんだろう。」

僕「でも、授業参観は年に数回はあるものだし、少しくらいならうまく説明をすればよいのじゃないかな。」

J「でもな、その「授業参観」は、もう4月に入ってから今まで10回以上やってるんだ。同じような事情で。」

僕「子どもの心のことを考えると、それは本当に避けたほうがいいと思う。『自分はかわいそうな子どもなんだ』と思うことほど、子どもの心の成長に悪影響を及ぼすことはないから。」

J「テジュン、俺は教育者だ。それくらいはわかってるよ。」

なけなしの10万円、20万円を出してくれた人々は、自分たちが前面に出ようなどとは全く思わず、さっとお金だけ渡して去っていった。でも、その次にやってきた人々は、現地の事情を全く理解しないままの贈り物を届け、それを自分たちの団体・組織の「成果」としてPRに使っていった。そして、多額の寄付を出した宗教団体の「授業参観」の日のために、学生は制服、教員はクールビズを着用する決まりになったという。あんなに暑い部屋の中で。

J「俺がお前にどう思うか聞きたいのは、30万円しか持っていない中で10万円を出してくれた人に対してはさっと挨拶をする程度なのに、何十億円も持っている中で1000万円を寄付してくれた人には丁重に対応するのはおかしくないかというところだ。俺は分からなくなってきた。」

僕「俺は変だと思うよ。バランスは難しいところだけれど。寄付を受ける側としては、お金の大きさももちろん重要だけど、その人の気持ちのほうも同じくらい大切に考える必要があるんじゃないかな。これって、一回きりの問題じゃなくて、継続的なことだから。
それに、寄付をする側についていうと、相手のことを慮るのは本当に重要なことだと思う。あと、寄付者たちは、できれば継続的にくるべきだと思うよ。」

J「問題は、これはもう学校として決まってしまっているということだ。その宗教団体はやってきて、授業参観と学校視察をする。これはもう決定事項だ。で、彼らは多分もう来ない。『ああ、良いことをした』で終わりだ。さて、俺はどうすればいいと思う?」

僕「そういう『大人の事情』にはうんざりするし、子どもに長く隠し通すのは無理だと思う。中高生はすぐに気づくと思うし、小学生だって年をとったらあのときの事を思い出して、状況を理解すると思うよ。
そんな状況で、今お前がするべきことは、自分の信じることを子どもに話すことなんじゃないかな。『最後の授業』ってドーデの書いた作品があったろ?『あのときは他に方法を見出すのが難しかったのかもな』ということを、子どもも大人になったら理解してくれると思うよ。でも、そういう事情のもとで、教師がどういう態度でいたのかは、印象にのこるんじゃないかな。ほら、俺らが覚えている先生、影響を受けた先生って、だいたいこういう状況で組織の都合とは離れたところで、自分の信じることを語ってくれただろ?」


こういった話は、寄付を受けている多くの学校や、児童養護施設の内部で話されていることなのだと思う。

お金は本当に必要とされている。でも、僕の友人のように「俺らは物乞いじゃない」と思っている人がほとんどだし、過度の学校・施設見学は、子どもの心を傷つける可能性があることを、教師や職員はとても気にかけている。

では、お金だけを出したら終わりでいいかというと、それはそれで問題がある。深刻な問題であればあるほど、その問題はひろく人々に知られる必要がある。人々は知らないことには動きようがないからだ。


子どもの心と、問題解決のための情報公開のバランスは非常に難しいところだ。正しい答えはないのだろうけれど、二つだけ思うところがある。

ひとつ、寄付をする側は、相手の事情に対して配慮する必要があるということだ。いくらなんでも、一学期に10回の「授業参観」は異常だといわざるをえない。もうひとつ、相手の顔が見えるような関係を始めるのであれば、それは決して一回で終わらせず、継続したほうがよいということだ。無理をする必要はないので、半年に一回程度来るだけでもいい。こういったバランスが大切なのだと思う。




半期報告
今年もあっという間に半年が経過。本当に言葉にできないほどに色々なことがあったのですが、日頃お会いできない方との業務連絡(生存報告)も兼ねて、去年の暮れに約束していたことの半期報告をします。


■本業について
ちょうど今日で2年目に突入なのですが、この1年間に大分知識と経験が増えた気がします。今の会社では、権限を頂いて仕事できることが前の会社以上に多く、権限委譲による成長ということがよく理解できる1年でした。仕事での手応えもちゃんと感じられていて、いい感じです。(当然ながら本業に割いている時間が最も多いのですが、こっちは書ける内容が限られていて何とも味気ないのですがご容赦ください)


■Living in Peaceの活動について
ベトナムでのマイクロファイナンスファンドの募集がもう少しで始まりそうです。僕たちの担当する企画の仕事は大分落ち着きました。

今年の秋に向けて、マイクロファイナンス投資のトレーニングプログラムを作成中です。日本で、マイクロファイナンス投資に関連したMFIの調査、交渉、契約締結、モニタリングを行っているのは、Living in Peaceのみです。これまでの私たちの知見をフルに活かした、マイクロファイナンス投資のプロフェッショナル向けのプログラムを準備しています。

児童養護施設での活動は、地道なキャリアセッションと資金調達支援活動を行っています。キャリアセッションでは進路のこともお話するのですが、現在の主な目的は子どもたちと仲良くなることで、子どもたちが将来ちょっとしたときに相談ができる身近な存在になれたらと思っています。資金調達支援については、本格的にプロモーション活動を考え始めてからもう4ヶ月くらいになりますが、やっと毎月の寄付額が10万円を超えました。毎月の寄付額が50万円を超えてくると、一つの施設の現場を劇的に変えられます。今年の末までの目標は月間100万円なので、ちょっと戦略を他にも考えていこうと思っています。

児童養護施設の本は第二稿が昨日書き上がりました。この本を施設の子どもたちが将来読むかも知れないと思えば思うほど筆が進まない日々でした。ニッケル・アンド・ダイムドの著者はどんなことを感じていたのかなあ、と考えることしきりです。秋には本がでます。

ソーシャルファイナンスの本は第一稿が書きあがりました。世の中で「ソーシャルファイナンス」と呼ばれているもの(いわゆる社会貢献投資は除く)を機能させている原理原則は何で、今後この業界はどうなっていくのかということを書こうとしている本です。もうちょっと揉む必要がありそうなのですが、こちらも年内刊行を目指します。ちなみに、この本は下記の「生きる技術 叢書(下記リンク)」の中の一冊になる予定です。
http://artofliving34.blogspot.com/2011/06/blog-post_24.html



■勉強や運動
英語の本は毎週1冊以上読んでいます。(毎週二冊読むと宣言したものの、Economistを読むことに加え、仕事やら執筆やらその他もろもろかぶっていて、さすがに二冊読むとインプットとアウトプットのバランスがよくないと思い、今は平均して1.5冊くらい読んでいます。) 

9月17日から佐渡ヶ島で206kmマラソンに挑戦してきます。
これを完走するためには、毎週一回は40~50kmくらい走らないといけないらしく、時間調整に苦労しながらやっています。7月と8月が最終調整期間なので、毎週一度は皇居を10週くらいしています。一昨日も42km走りました。

ドラムレッスンは続けています。ライブは、多分できそう。


何か書き忘れている気もするけれど、とりあえず以上。

今日は、三つ同時進行で進んでいる案件が偶然に一段落ついたので、有給で仙台まで来ています。今日が誕生日の小学校からの幼なじみのお祝いをする他、いろいろなところを見るつもり。


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