Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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犬として育てられた少年
inu.jpg犬として育てられた少年 子どもの脳とトラウマ

精神科医の子供との邂逅を通じての学びを綴ったものです。1章から10章までは、著者が出会ってきた子どもたちのエピソードとそこからの学び、最終章である11章は、著者が児童虐待をめぐる社会の状況についての意見が述べられています。筆舌に尽くし難いひどい虐待の描写にも関わらず、全体的に温かみのある文になっているのは、著者の子どもたちへの眼差しが反映されているためなのかもしれません。

本書は、虐待を受けた青少年と活動する多くの人々に多くの貴重な洞察を与えてくれると思います。それらをまとめてみます。


1.脳は、その発達の殆どを3歳までに終える。この時期に愛情を受けずに育つと、脳は多くの障害をもつようになり、その障害の克服は年齢が高くなるほどに困難になる。

3歳になる頃には、こどもの脳の大きさは成人の85%にもなっているそうです。こどもの脳は急速に発達するため、様々なことを学んでいくことが出来ますが、同様にひどい経験の影響も受けやすくなります。こどもの頃に受けた恐ろしい経験は、一生離れないトラウマに結びつきやすくなります。トラウマとまでいかなくても、何かが苦手な人は、子供のころに何らかの関連した経験をしている場合が多いそうです。


本書は、死への直面、ネグレクト、暴力、レイプなどがこどもの心に及ぼす深刻な影響を様々な事例とともに記録しています。

人間にはストレス耐性がありますが、それは日々の積み重ねによって徐々に強くなるものです。ストレス耐性がほとんどない子どもが非常に強いストレスに直面すると、自己防衛本能から様々な防衛行動をとることになります。抽象的思考などの人間の最も高度な知能部分を司る大脳皮質の活動は抑えられ、生存に必要な脳の中枢部分のみ機能するようになることなどがその一例です。こういった防衛行動は事件の一度で終わるものではなく、その後も、事件を彷彿とさせる出来事に直面する度に繰り返されます。失神してしまう(それによりストレスをシャットアウトする)、人との関わりを絶つ、自傷行為を行う(脳内麻薬を分泌させ、つらい思いから一時的に逃れる作用をもたす場合がある)、薬物にはしる、など、様々なパターンがあります。

本書には、非常に利己的な犯罪者になってしまった少年が登場します。その他の子供のエピソードを見ていても、年を経るにつれ、状況を改善するのは難しいのだと痛感させられます。



2.愛情がこどもを立ち直らせる

こどもが立ち直るためには、ストレスに対して反応するための脳のシステムを鍛える必要があります。
なんてことを言うと非常に難しそうですが、やるべきことは非常にシンプルで、こどもに愛情を注ぐこと、の一つに尽きます。本書に登場する傷ついた子どもたちのうち、立ち直れた子どもたちの共通点は、親や親代わりの人々が深い愛情をもってその子どもに接していることにあると著者は指摘します。愛情とともに行われる抱擁などのスキンシップは、子どものこころを回復させるために大きな役割を果たしているそうです。

逆もまたしかりです。1940年代のある研究では、個別に注意を払って育てられたこどもの3分の1が二歳までに亡くなっていることを示しているそうです。また、幼少期に感情的な触れ合いや身体的なスキンシップを得られなかった人でない限り、極端な犯罪者になる場合は少ないと著者は指摘します。のみならず、問題のある子が、同様に問題のある人と過ごすことは、問題行動をエスカレートさせる傾向があると著者は指摘しています。

著者は、虐待された子どもたちに最も必要なのは、幼少期のトラウマに起因する痛み、つらさ、喪失感を和らげてくれるコミュニティの存在だと説きます。トラウマから回復した子どもたちの周りには必ず、気にかけてくれる教師や、近所の人や、おばさんや、バスの運転手など、支えてくれる大人の存在があったと著者は述懐します。コミュニティの存在は、愛情をもって接してくれる大人に出会う可能性を高めてくれます。難しいことは、児童虐待を受ける子供が、そのようなコミュニティの中に暮らす場合が少ないことです(それゆえに虐待が起こるという側面もある)。誰かから愛された経験がない人間には、誰かを愛することができないとのにもかかわらず。

経済発展とコミュニティの強さは反比例することがあるようです。ですが、人間が本来どのような生物なのかを考えるのであれば、よりコミュニティの力を強くするための政策が必要なのではないかと著者は説きます。



3.こどもの性格は様々な要素で決まる

脳は、気質(遺伝と子宮内環境に左右される)、幼児期の経験のみならず、偶然にも左右される様々な決断の積み重ねによって出来ています。ちょっとした時に「善いこと」をするかしないか、の僅かな決断が、異なったフィードバックをもたらし、異なった結果を積み重ねることになります。

知能も重要な要素となります。情報を素早く処理する能力を知能と呼ぶのであれば、これは遺伝の影響を受けるものです。頭のよいこどもは対処能力が高いため、愛情を受けられなかった場合においても絶望的な状況から逃れられる可能性が高まります。もちろん、知能さえあれば正しい道を進める、というわけではないのですが。



4.誤った知識に基づいた善意は、状況を悪化させる

本書の第七章では、子供に過去のトラウマを無理矢理に語らせることにより、症状がさらに悪化することがある事例が紹介されています。人それぞれ、トラウマに対するシステムを無意識のうちにつくりあげていて、そのあり方は人と場合によって異なり、同様に望ましい治療の仕方も人によって異なるのです。

無知な善意は時に害悪にも成り得ます。改めて、自己肯定感を失ってしまった子どもたちのために活動をするのであれば、相応の知識が必要なのだと痛感させられました。



高校中退と底辺校
Twitterでやりとりをしていたので、それと関連してのエントリー。

現在年間の高校中退者数は10万人を超えていると云われています。その多くは、いわゆる底辺校に集中しています。この底辺校にまつわるエピソードは、例えば以下のようなものです。
・入試にドラえもんの絵を書いたら合格した(もちろん、試験問題は「ドラえもんを描け」ではありません)
・九九が出来ない
・百までの数が数えられない
・小学三年生までの漢字が読めない
・入学式だけ来てその後学校に来ない生徒がいる
・教師も問題が出ないことだけに躍起になり、非常に厳しい校則を設ける
・問題生徒は辞めさせるように学校が仕向けている
・家庭はめちゃくちゃ。親が帰ってこない、男を作って出て行く、などはざら
・性生活もぶっ飛んでいる場合が少なくない
・入浴や洗顔などの習慣がない
・歯を磨いたことがない


学力で通う学校がある程度決まる状況においては、上記のような人々とすれ違ったことがない人もいるかもしれません。でもこのエピソードは全て事実に基づくものです。

子どもたちが抱える最大の問題は自己肯定感です。自分が世の中に存在してよい理由をこれまでの人生を通じて感じることが一度もなかった子どもたちは、頑張ろうとする気力を持ち合わせていません。この自己肯定感は、どうしても親や共同体に依存することになり、生まれによってかなり左右されてしまうのが現状です。


自己肯定感を持てない子どもたちはあっさりと高校を中退する場合が少なくありません。そして、その後は恐ろしい生活が待っています。

高校入学時にはアルバイトを出来るものの、高校中退をすると、それすら出来なくなります。なぜなら、高校中退者の労働力としての競争相手がアジアからの出稼ぎ労働者や主婦などになり競争が激しくなるのみならず、中退の事実が雇用者に非常にネガティブな影響を与えるためです。

中退後、子どもたちは非常に危険な仕事に着くか、風俗やその他の仕事に流れていきます。先が見えないので希望も持てない。こういった絶望が社会に蓄積されていくと、きっとどこかで爆発が起こると僕は思います。絶望を抱えた人々が子どもを産み、その子がまた絶望の中で育つという連鎖は想像するだけで恐ろしくなります。

少しでも多い人が、この現状をシェアしてくれることを祈ってやみません。問題解決のためのアクションは、すべて現状認識から。


(この分野でオススメの本は、「ドキュメント高校中退」です。)





日本では本当に機会の平等が担保されているか
堀さんのブログのご意見の一部に意見があるので記事にしました。

堀さんはこう説かれています。

”機会の平等は、僕は、基本的には、日本においてはかなり担保されている、と思っている。義務教育が行われており、奨学金が支給されているので、随分と平準化されていると思うからだ。
(中略)
努力をしていない弱者に、手を差し伸べる必要は無いと思う。また、努力をしない人々を優遇するような施策は、貧欲と怠け癖を引き起こし、日本を滅ぼす結果となろう。”




形式的な意味での機会の平等については、仰る通りだと思います。アルバイトと奨学金で高校、大学と卒業した友人は、僕の周りにも沢山います。そして、ある程度の大学を出れば、貧困家庭に生まれてもそれを脱することができるというのは事実です。僕自身、家は貧しかったけれど、学問のおかげで今の職業に就いている。

ただし、実質的な意味での機会の平等は、担保されていないと感じます。ここで「実質的」というのは、こどもの自立心や克己心など内面の問題を念頭においています。

自立心や困難に打ち克つ力は、自己肯定感に依存すると云われています。その自己肯定感は、決して自分自身で得られるものではなく、親や周囲の大人から認められることを通じて得ていく場合がほとんどです。特に都市部のようにコミュニティがほとんど機能していない状況で、かつ、親がろくでもないと、こどもは自分がなぜ世の中にいるのか、確認できる機会をほとんど持つことができません。

その最たる例が、児童養護施設にいる3万人の子どもたち。子どもたちが施設に入るまでの物語ひとつひとつを聞くと、身の毛のよだつ思いがします。親から大切にされることなく、コミュニティのたすけもなく育つ子どもたちは、自分の存在意義を見いだせない場合がほとんど。同じような問題は、日本のいわゆる底辺校でも起こっています。「ドキュメント高校中退」という本は、この恐ろしい実態を描いています。

この子どもたちが、他の普通の家庭に育った子どもたちと同じスタートラインに立たされ、同じレースをさせられるとしても、日本では機会の平等がある程度担保されているといえるのでしょうか。生まれた境遇ゆえに人生に意義を見出せず中退していく高校生に、「努力をしていない弱者に、手をさしのべる必要はないと思う」というのは、妥当なことなのでしょうか。僕は否と思います。


貧しさから抜け出すために必要なのはインセンティヴだということは正しい。インセンティヴを無視した援助は失敗するというのは、国際社会がこの半世紀で学んだ最大の教訓の一つだと思います。堀さんの挙げた生活保護の例は、インセンティヴの構造を考えずに行う政策がいかに多くの失敗を産むかを示す好例だと思います。


機会の平等を考える際にも、同じように自立心の観点から考える必要があると僕は考えます。日本における形式的な機会の平等は素晴らしいことだと思います。僕は、それに加え、こどもたちが等しく自分の存在意義や夢を与えてくれる大人に出会う場をつくることや、虐待を受けた子どもたちの心をケアするための制度(例えば、ヨーロッパでは里親のシステムがかなりよく出来ている)設計などが、実質的な意味での機会の平等の達成には必要だと思います。

「こどもたちが等しく自分の存在意義や夢を与えてくれる大人に出会う場」なんていうと大げさですが、これは、昔はコミュニティがその役割を果たしていたと思います。親が良くなくても、近所のおじさんおばさんや、面倒を見てくれる友達の親がいた(ちなみに僕は保育園の頃に誘拐されそうになったことがあったのですが、近所のおばちゃんのお蔭で助かりました)。人間がそもそも社会的な存在である以上、コミュニティを再生させるというのは多くの側面から非常に重要だと改めて思います。

自分自身、翻って考えてみるとここまでこれたのは、親、母方のおばさん(彼女のおかげで僕は緑星囲碁学園に9年間通えた)、学校で出会った恩師たちのお蔭でした。こういう出会いが、偶然に左右されず、誰にも等しく与えられるようになることを切に祈っています。

僕が理事長をしているNPO、Living in Peaceの教育プロジェクトの合言葉は「すべてのこどもに、夢をくれる大人との出会いを」です。出会いと成功体験をキーワードにした、こどもの自己肯定感を高めるためのプログラムを目下準備中です。一緒に平日の夜中と週末を使って活動してくれる仲間はいつでも大歓迎です。見学もOKなので、気軽にご連絡ください。


なぜ若者の失業率は高いのか
(謝辞:Twitterに書いた問題意識に対するレスを参考にさせて頂きました。
@fortuneport @shoshoshota @satoshimmyo @3keys_takae @nike1125 @shoko_y @eurodollari @yokanai @niyata2807 @moraimon
に御礼申し上げます。)


日本における15~24歳の失業率が9.9%に達したとして、OECDが去年の秋に日本に対して雇用対策が急務だと警告したそうですが、失業率の高まりと若者の失業率の高さは世界的な現象のようです。今日は、若者の失業率の高さを再確認し、その理由を考えてみようと思います。



1. 世界的に若者の失業率は高い

まず日本の状況から。
図1(出所:総務省統計局)

若者の失業率の高さは歴然としています。他の年齢層に比べ、約2倍の水準で推移しています。個人的に気になるのは、若者の失業率はもともと高かったものの、バブル崩壊以降他の年代と大きく引き離されるようになった、という点です。



世界の時系列データはとれていないのですが、2000年以降においては、若者の失業率の高さは世界的な現象のようです。

OECDのレポート(http://www.oecd.org/dataoecd/0/30/37805131.pdf)は世界的に若者の失業率が高いことを示唆しているように思います。図2もちろん、失業率については各国で算出方法が異なるので、国の間の比較には注意を要しますが、同じ国の異なる年代の比較においてはさほど気にしないでも大丈夫だと思います。



また、非正規雇用にある人の数も、世界的な高まりを見せています。

図3全体平均を見ると確かに非正規雇用従事者の数は上昇しています。これは、非正規雇用の増加の一部は経済のグローバル化によってもたらされているという主張と整合的です。日本、スロバキア、オーストリア、イタリア、オランダ、ポルトガル、ポーランドの非正規雇用はこの95年から2005年までの間に約2倍に増加しています。逆に減少しているのがトルコ、アイスランド、ノルウェイ、デンマーク、フィンランド、スペイン(とはいっても、スペインは現在も非常に高水準ですが)。



2. 若者の失業率が高いのはなぜか

単に若者が搾取されていると断じるのはとても楽なのですが、その理由を明確に出来ないのであれば打開策を提示することは困難です。若者の失業率の高さの理由として考えられるものには3つがあります。


新規採用を通じた人員調整

日本や大陸ヨーロッパの会社では、伝統的に従業員の終身雇用を保証している会社が少なくありません。こういう会社では、企業状況が悪化したときに、従業員をレイオフするのではなく新規採用を減らすことで対応する可能性が高まります。若者は企業状況悪化時の緩衝材として使われているとも云えるのかもしれません。

余談ですが、このように終身雇用を保証する企業が多い国では、転職市場が発達していないために、労働力市場がとても非流動的になります。このような国では、レイオフが大きな社会問題になるため、株主価値最大化に疑問を投げかける、ステークホルダー資本主義が跋扈する可能性が高まります(ステークホルダー資本主義が好ましくないことについては、前回の記事を参照)

この議論の説得力はかなり強いのですが、アメリカなど、企業が比較的よく従業員をレイオフする国の状況を説明することは難しいのかもしれません。



豊かさ故の就労インセンティヴの低下

豊かな国では、親がある程度の資産を持っている場合が多く、子供は最悪の場合でも親の「スネかじり」をして生きていけるのかもしれません。そういう状況にある時には、子供である若者たちは、あまり必死に就職活動を行わないのかもしれません。それが結果的に若者の失業率の高さに結びついている可能性があります。

ただし、この議論が開発途上国にどこまで通用するか、疑問はあります。

図4左の表から分かるように、開発途上国においても若者の失業率は高い水準になっています。

(Source – Hong Kong, Indonesia, PNG, Solomon Islands & Sri Lanka - Country Case studies; Australia & Japan - ADB (2001); Thailand - ILO (2001); Philippines – Digby (2002).)



年齢層における学歴構成の違い

学歴と就職状況には明確な相関があります。例えば日本で24歳以下の人々をとると、中卒・高卒・大卒の人々のうち働く意思を持っている人々が失業者数の母数になります。これに比べ、25歳以上の人々の場合、大学院の卒業生も失業者数の母数になります。すなわち、高い年齢層と24歳以下の層では、労働人口の学歴構成が異なっているのです。

もし大学院卒業生の失業率が他の学歴保有者よりも低いのであれば、25歳以上の人々の失業率は自然に低くなる可能性があります。また、高校中退率(その失業率はとても高い)が増加する場合にも、24歳以下の若者の失業率が高くなります。ちなみに、現在年間での高校中退者数は10万人を超えていると云われています。



3. 考えうる打開策

上の三つの理由に即していえば、やるべきことには3つ考えられます:
・労働市場の流動化をすすめ、企業の雇用慣習の変化を促す
 転職が簡単に行えない社会では、企業はなかなか従業員を解雇しにくくなります。労働市場が流動化すれば、この問題はある程度解消される可能性があります。

・就職へのインセンティヴが強まるための施策をとる
 とは書いたものの、なかなか理由2の対策は思いつきません。 豊かになれば必死さが下がるのは避けようがないのかもしれません。

・高校中退率を下げる
 学校選択制の導入(そうすればミスマッチに基づく中退率は下がる)やミクロレベルでの取り組みを行うことにより、改善する可能性があります。


最後の「高校中退率を下げるためのミクロレベルでの取り組み」は、Living in Peaceがまさに今年から本格的に開始する教育プロジェクトの内容です。学びに意義を見出し、中退率を下げることは、若年層の失業率を下げることにつながると思っています。

国内での教育プロジェクトは現在準備中で、春にはパイロットプログラムが始まります。

(仲間募集中です!興味のある人は、気軽にミーティングにお越しください。taejun.shin@gmail.comにご連絡いただければ幸いです。)



少子化はあまり進んでいない?
Isologueを読んでエントリー。


(訂正:よくよく考えてみると、トピックの趣旨が全然違うし、言及する必要も別にないことに気づきました。よって、引用箇所はすべて削除。指摘してくださったkaramoraさん、有難うございました。)


最近は、Living in Peaceの教育プロジェクトとも関係して子供のデータを集めているのですが、たとえば、総務省の統計局のデータから人口比率を作ると、こうなります。

少子化

少子化といわれるとき、その問題の主なものは、社会を運営していくための労働力人口の相対的低下にあると思うので、絶対数で見るよりは、比率で見た方が適切だと思います。

このグラフで言うと、未成年の人口に占める比率は
1990年:26.36%
1995年:22.78%
2000年:20.49%
2005年:18.93%

と推移してきていますし、絶対数では1990年の32,579千人から、2005年には24,089人まで落ち込んでいます(26%減少)


また、小学生に近い5歳から14歳までの子供についていうと、その推移は
1990年:12.97%
1995年:11.17%
2000年:9.92%
2005年:9.38%

であり、絶対数では1990年の16,034千人から、2005年には11,943人まで落ち込んでいます(これまた同じく26%ダウン)

かといって、ときどき書いているように、多子化が好ましいのかというと、よく分からないです。種として持続可能になるためには、緩やかに人類の数がある程度減っていった方がよいと思うんですよね。ドラスティックな変化を望まないのなら、少子化というのは唯一の選択肢なのかもしれません。





Living in Peace教育プロジェクトの活動開始
Living in Peace教育プロジェクトも、いよいよ実際に動き始めます。

これまで、勉強やディスカッションを色々としてきたのですが、案ずるより横山生むがやすし、ということで、三つのチームを作って、それぞれ試運転することにしました。チームの分離の仕方が完全なMECEではないので、かぶる部分については、お互い協力しながら進めていこうと思っています。


一つ目のチームは、児童養護施設に通う子供や、マイノリティ、障害を持った子供などを対象にした活動を考えていきます。施設と提携をして、子供たちのきっかけ作りを出来ることを目指したいです。個人的な問題意識は国内の子供の貧困にあり、一番大変な子供たちに出来ることをしたいと考えていたので、僕は全体を見ながらもこのチームに所属しています。

二つ目のチームは、もっと広い範囲の中高生を対象にして、彼・彼女らが学びに対してより意欲を高めていく仕組みを作るための活動を行います。Teach for America、カタリバ、Blast Beatといった団体と問題意識が近いので、これらの団体とも一緒に何かしていければと考えています。

三つ目のチームは、教育に携わっているNPOらとの提携していくための活動を考えていきます。現時点でも教育に関与しているNPOはたくさんあり、みんなが力を合わせたら、もっといろんなことができると思うんですよね。 ちょっとした意見の対立は、全体の方向感を合わせれば、克服できる気がしています。


平日はメールとスカイプでやりとりをして、毎週日曜日には全体会議をして、情報の共有と活動内容の修練を目指していこうと思います。

こちらはまだ始まったばかりですが、何人かの本気でやろうとしている仲間がいる限り、必ず形になっていくと思います。 これからが楽しみです。

今は自由に参加者を募っている状況なので、参加したい方はいつでも気軽にお声掛けください。
taejun.shin@gmail.comまで。

児童養護施設訪問録
Living in Peaceの教育プロジェクトは地道に進行中で、今日はある養護施設に行ってきました。そこで学んだこと、感じたことを書き留めておこうと思います。

1.児童養護施設の変遷
2.今回訪問した養護施設について
3.子供たちの生活
4.財政と人員不足
5.出所後の子供たちの生活の苦しさ
6.自分たちができること



1.児童養護施設の変遷

児童養護施設の役割は時代とともに変遷してきた。昭和中期までは戦災孤児を養うのが主要な目的だった。昭和後期において自立に対する取組がとくに強調されるようになり、高校進学などが主な課題となるように。

平成に入ると児童虐待防止法も導入され、児童養護施設の役割は家庭内で虐待を受けた子供の内面と付き合うことになってきた。心理療法担当職員が6年前から入るようになり、最近では、家庭支援専門相談員も入るようになった。 

施設に対する全国的なガイドラインは非常にベーシックなもの。施設ごとにレベル感はまちまち。注力している分野も異なる。

日本全国の施設(570)全体のキャパシティが3万人なのに対し、虐待につての報告は全体で8万件(報告ベースなので実数はさらに多いと思われる)。結果的に、虐待の中でも重度のケースの子供が入ってくることが多い。 



2.今回訪問した養護施設について

この施設には、東京都に住む子供たちが来ている。財政的にも東京都の管轄下にある。東京都の子供が東京都の外にある施設に来るようになった背景には、地方の施設に入る子供の数が相対的に少なくなったのに対し、都市部では逆のことが起こっていることがある。

この施設の目的と使命は三つ。
①個人の意志の尊重
②社会的自立に向けた発達の援助
③養護の継続と自立支援

②について、職業指導ボランティアを行っている。子供が自立するための職業訓練等を行う人たちが多い。

この養護施設の子供のうち7割が、何らかの虐待を受けて育っている。身体的暴力(50%)、ネグレクト(40%)、性的虐待などがその内容。 日本全体として今一番増えているのがネグレクト。 これらは連鎖する。 暴力を受けて育ったこどもの3割は、大人になって子供に暴力を振るうようになるといわれている。



3.子供たちの生活

スケジュールに従って子供たちは行動する。このスケジュールは生活日課とは呼ばず、生活時間と呼んでいる。自由時間には、遊びにいく子供が多い。高校生には、アルバイトをすることを積極的に呼び掛けている。アルバイトを通じて職場体験すると同時に、この養護施設を出る前の貯蓄を促すため。(18歳を超えると、この施設を出ていかないといかない) 

入ってくる子供ごとに色合いが違うので、事前に心理テストをして、子供別にどういうアドバイスをすればいいか考えるようにしている。全体的に子供のためを考えて、可能なかぎり細かい気配りを出来るようにしている。

より少人数で、家庭と似たような感じで育てることを考えている。 なので、部屋には普通の家にあるように冷蔵庫、調理器具を準備している。 でないと、家庭を作るときに、大変な苦労をする。 たとえば、大食堂でしか食事をした経験がないと、普通の家庭の食卓での食事がどういうものか分からない。 家庭を知らない人が、結婚して家庭を作る、というのは大変なこと。

子供の入所の経緯のために、学校でトラブルが起こりやすい。暴力や盗みなど。そういうことを事前に見越して、養護施設としても学校にあらかじめ連絡をするようにしてみる。




4.財政と人員不足

子供一人に対し、年間150万円の措置費があるが、これは先進国では相対的に低い。たとえばイギリスでは1000万円相当が充てられている。これは、養護施設に通う子供たちが引け目を感じたりせず、大切にされているという感を持てるように(これが人格形成には非常に重要)、との趣旨からである。

児童養護施設の財政状況は非常に厳しい。職員の人件費については、学童(小学生以上)に対しては6人に1人、小学生未満4歳以上なら4人に一人、3歳以下なら2人に1人分として計算された分しか出ない。その比率で職員を雇うと、職員一人の負担が非常に大きくなる。行政が進学保証をしてくれれば、より可能性が広がる可能性がある。習い事の支援もできない。

夢を語るのが職員の仕事だが、この負担状況の中ではそれも難しい(一緒に生活をしている親が、なかなか子供に頻繁に夢を語るのが難しいのと似ているのかもしれない)。 なので、夢を語る、何か新しい視点を開く、という点については、外部の人が来てくれるととても助かる。



5.出所後の子供たちの生活の苦しさ

退所する子供は、家庭に戻ったり、自分で仕事をしはじめる。子供たちも生きるのに精一杯。20万円が卒施設時にもらえるが、それじゃ足りない。中卒・高卒が多く、生活水準は非常に苦しい。

中学生以上の子供は、政府のお金で塾に通うことができるにもかかわらず、大学に通う子供は全体の2,3割。大学進学するケースのほとんどは、親が学費を出してくれる場合。

子供達には、自分自身を否定的にとらえてしまい、諦めがちになってしまう心理的傾向がある。それが高校中退をしてしまう大きな理由の一つ。強い内面を育てるのが施設の課題。成功体験の積み重ねが重要だと考え、子供が何かできたときに積極的に褒めるように心がけている。

多くの感情の土台となるものに愛着がある。それが土台となって、さびしい、悲しい、などの感情が発達していく。施設に来る子供たちの中には、愛着という感情が足りない場合が多い。感情がゆがんでしまったり、諦めがちになってしまう。

子供たちが変わるためには、最低その育った環境と同じくらいの年月が必要。最初入ってくるときは緊張しているので「いい子」でいる場合が多いが、少し経つと地が出てくる。なので、事前にアセスメントをしていくことにより、子供たちの間での問題を少し下げることができる。




6.自分たちができること

一度関わったからには、これからも継続的に活動をしていこうと思い、約束をして帰ってきました。ちょうど自分が書いた本があるので、それを用いて子供たちに生きるために必要なファイナンス理論的な知恵を伝えようと思っています。何回かのセッションに分けて伝えていこうと考えています。

園の職員の人たちが話していたのは、きっかけ作り。子供たちが興味を持って熱中できることを見つけ、同時に人と人とのつながりを実感することができ、何かを成し遂げる成功体験を勝ち取っていくことができるのなら、それは生きる力につながります。きっかけを作るためのマッチングのシステムを全国に作っていくのは、一つの方向性なのかもしれないと感じました。

ただ、こういうミクロの問題も重要ですが、全国に3万人の子供がいる児童養護施設の現状は、システマティックな問題という側面があり、制度的な解決が達成されるための土台作りが非常に重要だと感じました。僕たちが何を出来るのか、すればよいのか、まだ見極められていませんが、日本においてほとんど注目をされていないこの問題について、より多くの人に認知してもらう活動は非常に重要だと感じています。

教育プロジェクトも、少し前に進んできた気がします。 これから、自分たちが何をすれば一番価値のある仕事ができるのか、これから地道に児童養護施設に通いながら、勉強しながら、考えていこうと思います。

貴重なきっかけをくださった、後藤さん、堀さん、そして職員のみなさん、有難うございました。



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