Taejunomics

            政治、経済、社会、哲学、芸術、文学、スポーツ、マイクロファイナンス、教育などなど、徒然なるままに書き綴ります。 ※お初の方はカテゴリー欄の「Taejunomicsについて」、をご覧ください。
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動機の言語化
講演をすると、一番多く頂く質問は「なぜこれを始めようと思ったんですか?」というもの。これは、一番答えに窮する質問だ。

現状の僕にとっては、なにか新しいものを始めるときの一番正直な理由は、すごく単純に「全身がやりたいと感じていること」になっている。それじゃ答えになってないと思われそうだから、一生懸命に考えて、もっともらしい説明をしてみるんだけど、自分自身は完全には納得していないので、妙な違和感が残る。

なぜ動機の説明は難しいのだろう。それは、人が何か新しい一歩を踏み出すときの動機は、それまでの人生の色々な要因が複雑に絡まり合った結果だからかもしれない。個別の出来事一つ一つじゃなくて、それら個別事象が全体として調和したものがその人の思想になっているとしたら、それをうまく紐解いて説明するのは、なかなか骨の折れる作業だろう。

自分の動機を突き詰めるのが難しいからといって、それを放棄するのは勿体無いと思う。自分のアクションの理由をちゃんと言語に落とす努力を続けることで、もっと自分を深く理解し、意志は強固になっていくと思うから。

そのためにも、一番気をつけたいと思っているのは、自分を騙さないこと。ドストエフスキーは、人間は自分の嘘を信じてしまいがちであると喝破していたけど、自分の動機を分かりやすい物語に落としこむことにも、似たような陥穽がある気がする。分かりやすい説明に逃げてしまうと、自分の内なる広大な物語を見つけられないままに人生が終わってしまう。
努力と環境
僕は夏野さんや竹中さんが普段話していることについて同意すること・尊敬するところが多いと思っている。だけど、それは決して彼らの全ての言論に同意することを意味はしない。

先日のTwitterで夏野剛さんがこう書いていた。

「@tnatsu: 僕は富裕層でもないが、お金に困ってない人に共通することが一つだけある。自分の現状を人のせいにしない。この件で絡んでくるやつのほとんどが、社会のせい、政治のせい、人のせい。自分の力不足なんだよ。」



竹中平蔵さんは、東洋経済オンラインで次のように述べている(だいたい、こういう取材記事は時々脚色されるものだけど、ご本人がレビューしたと仮定する)。

「私が、若い人に1つだけ言いたいのは、「みなさんには貧しくなる自由がある」ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と。」



【追記@2012/12/09 14時03分:FBやTwitter、コメント欄で指摘頂いたように、確かに引用した文面だけで「自己責任論」と言い切るのは無理があると思いました。よって、以下は一般に流布している言説への反対意見としてお読みください】


こういう自己責任論っぽいものはいつの時代にも人気があるし、フェアに見えるかもしれない。でも、僕はこういった主張には同意できない。

というのも、この手の主張においては、(1)結果は環境でなく努力にある程度結びついている、(2)努力するしないの意思決定は個人の自由意志に委ねられている、といった前提があるように思えるが、その前提の正しさは疑わしいからだ。

特に僕が同意できないのは、努力できるかどうかは環境と切り離されているかのような考え方だ。努力できる強い心は親をはじめとした多くの人との出会い、環境が作る。たまたまそれに恵まれている人は、自分の今の地位は自分の努力で勝ち取ったものだと思っているけれど、多分、人が築きあげた地位のうち、自己決定の賜物による部分なんてあまりないんだろう。

子どもの貧困を目の当たりにしたり、「働きながら社会を変える」を書くために児童養護施設に関する調べ物をしているうちに、その確信は強くなっている。たぶん、努力できるかどうか、ということそのものが、かなりの程度、客観的要因に左右されている。そして、そういった強い心が育てられる環境に生まれるかは、(家が裕福であるか否かにかかわらず)残念ながら今のところは完全に運次第で、この意味における機会の不平等は多分解消されにくいのだろう。自分の苦境を環境のせいにしないのは難しいし、努力しないで貧しくなる自由なんて実際のところはあまりないと僕は思う。

自分の自由意志を完全に否定するわけではない。でも、それは相当に限定されたもので、僕たちは周りの環境によって左右される生き物であることを理解してはどうか。実際に、心理学の分野では随分前から主張されていることで(例えば、Albert Banduraの “Social Learning Theory”)、脳科学でも同様らしい(池谷裕二さんの本で論文が紹介されていた)。

そうすると、マザーテレサが「私は神の手の中にある鉛筆のように感じる」と言ったことや、西郷隆盛の「天道を為す」という言葉は、より心にストンと落ちてくるのだろう。
マイクロファイナンス・フォーラム2012
IMGP8086.jpg2008年以降、マイクロファイナンスの最新トピックを紹介するために毎年開催してきたマイクロファイナンス・フォーラムも、今回で5回目。毎年、このフォーラムの準備が始まると年の瀬を感じる。。

今回は、マイクロファイナンス・プロジェクトを行なってきLIPの自己否定にもなりかねないテーマに挑む。それは、「マイクロファイナンスには本当に貧困削減効果があるのか?グループレンディングには本当に効果があるのか」というもの。

「マイクロファイナンスの本質はグループレンディングにあり、この金融の仕組みには明確に貧困削減効果がある」とする主張を否定する研究は数多く存在している。ムハマド・ユヌス氏をはじめとする実務家や一部学者がこれら研究に対して反論を試みているものの、まだ決着はついていない(どちらかというと、否定論の方が優勢にみえる)。

今回は、実務家・研究者として類まれな実績を持つStuart Rutherford氏と、マイクロファイナンスの研究を行なっている澤田康幸教授をお招きするとともに、毎回行なっているLIPの独自調査結果を報告して、このテーマについて議論してみたい。特に前提知識がなくても十分に理解が深められる内容となっていますのでご安心を。

また、今回のフォーラムでは、マイクロファイナンスを通じてビジネスを大きく発展させた借手にも来日して頂くことになっている。借手目線での貴重な洞察も得られたらと思う。


皆様のご参加をお待ちしています!


イベント詳細
○日時:2012年12月16日(日)14:00~17:30(開場13:30~)
○場所:日本財団ビル(溜池山王、虎ノ門)
○参加費:3,000円

▼第一部(14:00~15:50)
①Living in Peace(LIP)理事長、慎泰俊による挨拶(5分)
②講演:Stuart Rutherford氏(Safesave創設者)(20分)
③講演:澤田康幸氏(東京大学経済学部教授)(20分)
④LIPプレゼン「貧困削減効果を巡る学説紹介」(15分)
⑤議論「グループレンディングと貧困削減効果」(50分)

(休憩 10分)

▼第二部(16:00~16:30)
①マイクロビジネスアワード概要
②受賞者のビジネスに関して
③受賞者登壇 質疑応答
④現地式典、受賞者のビジネストリップ報告


お申し込みは、こちらのフォームから。

http://ow.ly/fKptf

5年間
R0010087.jpg先日の10月27日、渋谷でLIPのOBOG会をやった。

LIPを始めたのは2007年10月28日で、この日はちょうど5年目になる日だった。

「経済開発勉強会」というタイトルで、大手町のビルの会議室で、男ばかりが集まって黙々と難しい本や論文を読んでいたあの頃には、今がこうなっているなんて想像もつかなかった。

最初の勉強会をしたときに、経済開発に関わっていた人が数人いた。その人たちを前にして、僕たちは何も分かっていないなーと愕然となったことをまだ覚えている。経験者がいたら心強いと思って、そういう人たちの予定を最優先して勉強会のスケジュールを組んだけど、結局その人たちは二回目からは来なかった。彼らにとって何も得るものはないのだから、当然といえば当然だけど。

この時から僕たちは、貧困問題や経済開発に関する知識よりも、一緒にやっていこうとしてくれる人を大切にするようになった。ちなみに、業界に詳しくて、かつ最初の時期からずっといてくれたのは、マイクロファイナンスプロジェクトのリーダーをしている杉山さん。CIPAで学びJBICで当時働いていた彼女から、僕たちは本当に多くのことを学んだ。

転機は8月の初合宿。村上さん(当時は加藤さん)がすごい腕前で企画してくれた合宿の場で、マイクロファイナンスをビジネスの視点から捉えるためのフォーラムをやろう、と決めた。「本当にできるの?」と思う人も多くて、それでも一緒にやろうといってくれた10人くらいの仲間で、世銀と共催で、第一回のマイクロファイナンス・フォーラムを開催した。2008年11月28日のこと。

このフォーラムで僕たちはマイクロファイナンス・ファンドを日本でもぜひ作ろうと呼びかけた。でも大手の金融機関は動いてくれなくて、唯一この話に前向きに乗ってくれたのは、小松さんのいるミュージック・セキュリティーズ。共同プロジェクトが12月に始まって、紆余曲折を経て、たくさんのメンバーの力を合わせて、2009年の9月に日本初のマイクロファイナンス・ファンドがつくられた。

ちょうど、このOB/OG会をする数日前に、僕たちが企画したマイクロファイナンス・ファンドへの投資額が1億円を超えた。そして、児童養護施設向けのチャンスメーカーもある程度成果が上がってきていて、これはもう少ししたらうれしい報告ができると思う。これまで僕が作ったPPTのプレゼンテーションファイルは100を超えた。今まで刷った名刺は2000枚以上、本当に色々な出会いがあった。手書きで出したお礼状やお手紙は300通以上。各種メディアにも、数え切れないほど出してもらった。


組織の運営方法も、この5年でだいぶ変わった。概ね良い方向に変わっていて、短い時間を使ってより大きなインパクトを出せるような仕組みになっていったと思う。最近は、何人かのメンバーが先頭を切って、細かい課題解決を積み上げるスピードが前よりも早くなってきた。(とはいえ、効率的過ぎるのもよくないので、微妙にゆるさが残っている)

いろんなピンチもあった。初のファンドが出来た後に目的を微妙に見失い宙ぶらりんになったり、メンバーの一人がとんでもないことをしてしまって組織の雰囲気が最悪になってしまったり。こういう状況のときでも、僕以外のメンバーがこの状況をなんとかしようと努力して、そして長い時間をかけて立て直すことができた。この大変な時期の学びが、今の組織運営にかなり活かされている。


僕は何かコンセプトを説明したり思い描くことと、習慣化したことを続けるのは得意なんだけれど、具体的な事務作業の能力がほとんどないので、ここまでできたのは、本当に関わってくれた仲間のおかげ。入れ替わり立ち代わりで、200人くらいの人が関わってくれたおかげで、僕たちはここまで来ることができた。ちなみに、今フル参加しているメンバーの数は60人弱。

10月を境に、副理事長の糀屋さんが一身上の都合でフルメンバーからサポートメンバーに移ることになった。これで、活動を始めた2007年の10月28日から今まで、ずっと休まず続けていたメンバーが僕一人になった。

言い出した人は、自分が辞めない限り、常にみんなを迎えて、常にみんなを見送る立場にある。みんなそれぞれ理由があるのは分かってはいるものの、去る人を見送るのは正直寂しいものだ。でも、彼ら・彼女らが去っていくのは、その去るまでの間に、何物にも代えがたい人生の一部を費やして関わってくれたことの裏返しなので、感謝以外にはなかなか思い浮かばない。(それでも、やっぱり人が去る度に、自分が何か悪いことをしたんだろうと自問自答する癖は直りそうにない)


正直、まだ理想には程遠いんだけれど、僕たちがこれまでやってきたことは、パートタイムのNPOでもこうやって事業を作っていけるんだということの一つのモデルにはなれるのだろうと思う。だけど、僕たちが関わっている課題は全く解決までは程遠い状態にある。これからも、コツコツと頑張っていこうと思う。


改めて、いつも有難うございます。

慎泰俊
すごいモンゴルの孤児院とのイベント
LIPの教育プロジェクト久々のイベント。最近、イベントは手間もかかるので、あまりしないようにしようとしているのだけれど、これは本当にいいイベントだと思うので開く次第。

モンゴルの孤児院(日本でいう児童養護施設)には、マンホールチルドレンと呼ばれる子どもたちが入るのだけど、子どもたちが施設対処後にまたマンホールに戻る率は98%といわれている。(日本でも施設退所者の生活保護率はとても高い)

そんななか、この児童養護施設の退所者は日本での東大にあたる大学に合格したり、芸大にトップ合格したりと、ものすごい成果をあげている。一番の理由は、子どものための充実した施設と、素晴らしい施設長の存在。

児童養護施設の一つのロールモデルを見たい人もそうだし、子どもの育ちに関心のある人全員に、この施設長の話を聞いて欲しい。(僕もちょっとしゃべるけど、僕の話は刺身のツマ)


http://www.living-in-peace.org/blog/community_news.php?ba=b10770a30693
伊南川100kmウルトラ遠足2012
今回走ったのは、伊南川100kmウルトラ遠足というレース。レース会場は、南会津町。光が少ない村なので、夜空の星がとても綺麗な場所だった。

inagawa0.jpg今回のレースは、ビブラムの5本指シューズで挑戦。裸足に近い感覚で走れるけれど、クッション性は全くない靴。上履きよりもクッションが弱い。5本指シューズには忍者の衣装が合うだろうということで、コスチュームは忍者。変わった服装をしていたのは、僕以外にも、殿様の格好をしている人、女子高生の格好をしている人、上半身裸にサンダルの人と結構いて、少し安心した。

inagawa1.jpg
レースは10月20日の午前5時にスタート。薄暗いなか265人が走りはじめる。

レースはとにかく寒かった。スタート地点で標高が550mあり、最初はずっと標高が高いところに上り続けるので、最初の3時間くらいはずっと気温が0度くらいだった。忍者衣装の上着と帽子が以外な防寒具として役立ってくれた。

最初の30kmを走り抜けるまでは快調に飛ばす。10キロを65分くらいのペース。緩やかな上り坂をこのペースだったら悪くない。

inagawa2.jpgその次の6kmは、走るのが禁止されている国立公園の中(登山道なので、そもそも走るのが無理)。景色はすごく美しいし、途中の土の道はすごく柔らかくて気持ちよかったのだけれど、進んでいるうちに、ゴツゴツした岩場も結構たくさんあり、足の裏を結構痛めてしまう。

inagawa3.jpg
登山を終えたところで、36.5km通過。標高は1700m。すでに足の裏が結構痛いのだけれど、どうしようもないので、走り続ける。紅葉がものすごく美しい道。空も快晴でため息が出るような風景だった。

inagawa4.jpg
下り坂はずっと車道でかなりキツかった。足の裏の痛みが収まることを祈りながら走っていたのだけれど、途中からさらに痛みは大きくなり、歩いても痛むように。下り坂で数十人に追いぬかれながらも、我慢して歩き続ける。一歩進む度に、指圧マッサージで急所を押されたみたいに痛くて(決して気持ちよくはない)、それを耐えながら、53kmのエイドステーションまで進む。

この53kmのエイドステーションには荷物を置いておくことができる。もともとは5本指で走りきる予定だったのだけれど、もしもの時のために用意していたランニング用のシューズに履き替える。悔しいけれど、また練習して出直そう。

ランニングシューズのクッションはさすがで、足の痛みは大分マシになった。それでも痛いけれど、残り時間は9時間で、距離は47km。これならいけそうだと思った。

ストライドを大きくすると足に負担がかかるので、小さいストライドでゆっくりと走り続ける。身体が冷えるとあっという間に足の痛みが増すので、エイドではほとんど休まないで、とにかく足を前にだす。

後半で結構きつかったのが60kmを通過してから。ここからまたずっと坂道で、標高1350mまで進む。アキレス腱のあたりも痛み出して、坂道を昇ると後ろの足首に負担が大きかったので、急な坂は歩いて、ゆるやかな坂は走るというふうに切り替える。

1時間以上をかけて坂を登り切ったあとは下り。ずっと急な下りが続いて、足の裏にはまたまた大きな負担。もうこのあたりで、また痛みは50km地点と同じくらいに戻っていた。一歩踏み出すだけで足が痛む。


inagawa6.jpg長距離レースで本当にいいなあと思えるのは、こういう苦しいあたりから。痛みを正面から受け止めて、一歩一歩無心になって足を前に出す。すごく世界は静かで、自分との対話を続けることができる。一回このモードに入ることができると、足の痛みも少し和らぐ。今回のレースの目標は、最後まで楽しむことだったので、一回も顔をしかめずにとにかく一歩一歩足を踏み出す。(エイドではボランティアの人が面白がってくれたので、常にポーズをとって写真撮影)

inagawa7.jpg残り13kmになったところで日没。ライトをつけて走りだす。走ると足の裏が痛むし、かといって歩き続けると足が固まって動かなくなるので、走るのと歩くのを交互に繰り返す。これは、佐渡の208kmを走ったときに学んだ技術。走る時に使う筋肉と歩く時に使う筋肉は微妙に違うので、両者を混ぜることで、身体の負担も小さくすることができる。

色々な人の応援に励まされて歩きと走りを続け、結局、ゴールしたのはスタートしてから14時間半が経ってからのこと。

ゴールした後はほとんど歩けず、翌日も50m進むのに5分かかるような状態だったけれど、今回も完走できて本当に良かった。苦しいレースを走りぬくと、自分の弱いところがすごく分かりやすくなり、人の有り難さが身にしみて、また少し謙虚で素直になれるんだと思う。

最近思うのだけれど、素直さとか謙虚さとか、そういった心のあり方というのは、とことん身体知なんだと思う。文字通り身をもって知らないと本当に学ぶことはできないし、だからこそ苦しいレースに出ることから得る学びは多い。多分、修行僧が山を歩き続けるのもそういうことなんだと思う。

今年は11月の佐渡に出られなくなったので、これが今年最後のレース。来年も自分と向き合うためにも、色んなレースに出てみようと思う。
貧乏人の経済学
今も、毎年900万人が5歳の誕生日を迎える前に死んでいる(The Millenium Development Goals Report (2010))。そういう状況を変えるために、多くの経済開発のための取り組みがなされてきた。その多くは、現在のところ、思ったより多くの成果を残せていないのかもしれない。

この分野での論争で一番話題を読んでいるのは、ジェフリー・サックスと、ウィリアム・イースタリーの間のものだろう。サックスは貧困の罠から人々が脱して豊かになるにはより多く援助が必要だと説き、イースタリーはインセンティブを阻害する援助には効果がないと切り捨てる。

こういう一般論レベルの議論の意味は限定的で、本当にするべきは個別具体的な事例を丹念に調べて、その時その時に必要なアクションを知り、そこから得られた知見を積み上げて得られる知識体系ではないかと、アビジット・V・バナジーとエスター・デュフロは「貧乏人の経済学(原題はPoor Economics)」で説く。

「開発政策の実務は、それにともなう論争と同じく、証拠に頼ることは出来ないというのが前提になっているかのようです。検証できる証拠なんて手に負えない化物で、せいぜいが実現不能な妄想か、最悪の場合には問題から目をそらしてしまうものだ、というのがその発想です。「きみたちはしょうことやらに耽溺し続けるがいいよ、その間にもこっちは仕事をこなさなきゃいけないんだから」。この道を進み始めたときには、頑固な政策立案者たちや、もっと頑固なアドバイザーたちにしばしばこう言われたものでした。今日ですら、いまだにこの見方をする人はいます。でもこうした理屈抜きの性急さに無力感を覚えてきた人々も多いのです。そうした人々は私たちと同様に、貧乏な人の具体的な問題を深く理解して、そこに介入する効果的な方法を見つけるのが最高の方法なのだと思っています。一部の例ではもちろん、何もしないのが最善です。でもすべてそれですむわけではありません。お金をつぎこめば万事解決ともいかないとの同じことです。いつの日か貧困を終わらせるために一番見込みがあるのは、個々の回答とその回答の背景にある理解から出てくる、知識体系なのです。」(P34)

「あらゆる問題を同じ一般原理に還元してしまう、怠惰で紋切り型の発想を拒絶しましょう。貧乏な人達自身に耳を傾けて、彼らの選択の論理を頑張って理解しましょう。まちがえる可能性を受け入れて、あらゆる発想、それも明らかに常識としか思えない発想も含めて厳密な実証実験にかけましょう。そうすれば、有効な制作のツールボックスが構築出来るだけではなく、なぜ貧乏な人が今のような暮らしをしているかも理解しやすくなるのです。こうした辛抱強い理解を武器に、本当の貧困の罠がどこにあるのかも見つけられるし、そこから貧乏人たちが抜け出すためにはどんな道具を与えるべきなのかも分かります。」(P354)



この本を一人でも多くの人が読むことを願う。途上国の現場で働いている人だけでなく(そういう人は、多分この本を必要としないかもしれない)、先進国の貧困問題や、その他未だに答えが出ていない様々な社会問題に取り組んでいる人々にとって、この本が示す立場は多くの示唆を与えてくれると思う。

僕が本書を読んでほしい最大の理由はその主張を知ることではなくて、著者がどういう思考プロセスを経て事実検証を行なっているかにある。知らず知らずに身についた偏見を取り払って、虚心坦懐に事実に目を向けようとする姿勢は、多くの課題解決の基点になるからだ。この様な態度をとることの大切さを知る人は多いが、実際にそれができている人はさほど多くない。それは多分、こういった態度をとれるかどうかは、その人の知能ではなく精神によるところが大きいからなんだと思う。

豊かな社会で幸せに暮す人々は、途上国や先進国に住む貧しい人々や、「虐げられた人々」を、ついつい映画の主人公のようにしてしまう。でも、それは正しくない。人間はどこにいっても、そんなに大差がない。現場に足を運べばわかるけれど、皆、与えられた情報とインセンティブの構造のなかで、同じような思考のトラップをかかえながら、最善の意思決定をしようとしている。本書は、「支援される人々」についつい着せられがちな偽りの仮面をきれいにはぎとってくれる。


以下、まとめ代わりに本書で説かれている主な内容をまとめておこう。でも、この主張の内容よりも、この主張に至った著者たちの思考プロセスにこそ学ぶべきことがあるので、是非手にとっていただければと思う。


食料について
貧困の罠では、貧乏な人々は手当たり次第に食べていると暗黙に想定されているが、実際に目にする光景はちがう。18カ国の貧乏な人々の暮らしに関するデータによれば、地方に住む極貧層は、全消費額のうちの36%から79%しか食べ物に使わない。都会でも53%から74%。 http://www.pooreconomics.com (P42) 食料不足は決して問題にはならないとか、問題になることが少ないというのはまちがっているが、今日の世界はおおむね豊かであって、食料不足そのものが貧困の永続に大きく貢献することは無い。

幼少期の栄養不良は成人後の社会的成功に直接影響するという一般的な見方を支持する証拠はたくさんある。ケニアでは、学校で2年間虫下しを与えられた子どもは、1年間した与えられなかった子どもに比べて、通学期間も長くなり、青年期には20%多く稼ぐことができる。(P54)

それでも、人々は追加のお金があっても栄養価の高いものではなく、美味しいものを選ぶ。それはなぜか。貧しい人々が栄養価でものを選ばずに味で選ぶ一つの理由は、情報の非対称によるものだと著者らは主張する。というのも、栄養素の多くの価値を個人的体験から学ぶのは容易ではないからだ。(P58) もう一つの理由は、貧乏な人々の生活では食べ物よりも他のもののほうが重視されていること。メンツなどの理由から、結婚式、持参金、洗礼式などに大金が費やされている。(P59)


健康について
死から免れるための技術の一部はとても安価なのに、買わない人が多い。水の消毒のための塩素剤や、蚊帳の値段を下げても、使う人は劇的に増えたりしない。人々が安価で住む予防技術を購入せず、公共の保健センターにいかないのは、予防サービスに興味がなく、呪術や藪医者などの健康サービスにお金を求めるからだ。でも、それはなぜなのか?

著者らはまた事実の検証から始める。補助金が人々のインセンティブを削いでいるという主張は、イースタリーらによってよくなされるものだ。しかし、その主張はデータにサポートされていない(P88)。一方で、全ての予防接種を受けたらステンレス皿を、一つでも受けたら豆をプレゼントするという手法をとったところ、予防接種率が一気に7倍になった。(P94)

こういった事実の積み重ねから著者らはこう主張する。途上国の貧しい人が予防接種に行かないのは、人間には現在のことと未来のことでは全く違う考え方をする傾向があるからだ。この性質は時間不整合性とよばれる。(P97)これは、先進国に住む人々が、ダイエットを「明日からは」と言いながら始められないことを説明してくれるコンセプトでもある。

時間不整合性の存在は、人々が「正しい」ことをするのを支援・強制する根拠を与えてくれる。インセンティブによって、やってみたいと思ってもずっと先送りにし続けてきた行動を実際にとるように人を後押しできる。(P98) そして、こういった時間不整合を乗り越えるための制度が先進国では充実している。先進国に済む人々は、自分たちの限られた自制心と決断力をあてにする必要はない。予防接種は強制的な制度になっているし、人間ドックを強制する会社も多い。でも、貧困層は、その自制心と決断力を自分で使わないといけない状況におかれている。(P102)貧しい人々は一見すると全くの不合理な行動をとっているように見えるが、先進国に住む人々がそうでないのは、個々人の知恵や決断力の賜物ではなくて、制度の賜物なのだ。


学習について
学校進学率については延べられているが、学習の水準はほとんど問題にはならない。学校に通っていても授業が成立していないことも多いので、注視すべきは進学率よりも学習の水準だ。(109)

貧しい国の学校で教育が成立していないことの一つの理由は、親の誤解にある。教育は本来どのような水準であっても役立つ。しかし、教育の利益はS字曲線を描くと親が信じ込んでいると(すなわち、教育投資は一定程度行わないとリターンはマイナスになると信じていると)、親は特定の子どもに一切の教育を与えないことになり、結果として貧困の罠ができてしまう。(P128) 教師にも同様に低カーストの子どもは勉強ができないという思い込みがある。(P132)このような教師と親のS字曲線への盲信があると、教育がしっかり行われない可能性がある。

貧しい人々への教育においては、インドの教育NGOであるプラサムの学びが有用だろう。それは次の3つから構成される。(P140)
・基礎能力に焦点を絞ること。子どもと教師が十分に努力すれば、全ての子どもがその基礎能力を習得できるという考えを貫くこと
・能力ある補習教師になるために、低学年教育についての訓練はあまり必要ないこと
・カリキュラムとクラスを再編成して子どもたちに自分自身のペースで学ばせ、特に遅れている子どもたちが重点的に基本に取り組めるようにすること


出生率について
もっとも有効な人口政策は、子だくさんを不要にすることかもしれない。効果的なセーフティネットや老後に備えた収益性の高い貯蓄を実現する金融商品の開発で、出生率の十分な減少と女児に対する差別の緩和も実現できる。(P178)そういったものが無い状況では、子どもが親にとっての金融資産的な役割を果たすことになる。

家族という制度のなかにある暴力を本書は提示している。データが示すのは、親には自分のために子育てをする側面があるということだ。だから、貧しい国の多くや、例えば中国では女の子の数が極端に少ない。女児殺しが起こっているからだ。(P171)


マイクロファイナンスについて
マイクロファイナンスは確かによい結果を人々にもたらした。人々はより将来に対して自覚的に消費活動を行うようになった。ただし、女性のエンパワメントをサポートする強固な証拠は見つかっていない。マイクロファイナンスには十分な意義があるが、それは言うほどに万能ではないということだ。(P228)

マイクロファイナンスの借手は本当に優秀な起業家なのか?実際のところ、マイクロファイナンスを通じて行われている多くの事業は、大してもうかっていない。「貧乏人の事業はしばしば、特定の起業衝動の反映というよりは、もっと通常の雇用機会がない時に、仕事を買うための手段でしかないように見える」(P296)ちなみに、貧乏人のいちばんありがちな夢は、子どもが公務員になることだったりする。(P297)

だから著者らは主張する(これには、マイクロファイナンス・セクターで働く人々から多くの非難が浴びせられた)。「で、結局のところ、マイクロファイナンス機関や社会意識の高いビジネスリーダーたちが信じているとおぼしき、10億人もの裸足の起業家は実在するのでしょうか?それともそれは単なる幻想で、何をもって「起業家」と呼ぶかという混乱から生じただけのものなのでしょうか?自分の農地や事業を運営する人は10億人以上いますが、ほとんどの人は、単に他に選択肢がないから奏しているだけです。ほとんどの人は、食っていくくらいには上手にこなしますが、その事業を本当に成功した企業に変えるだけの才能も技能もリスク意欲もありません。・・・マイクロファイナンスなど、ちっちゃな事業を助ける手法は、それでも貧困者の生活において重要な役割を果たせます。というのも、そうしたちっちゃn事業は、おそらくこの先当分の間は貧乏な人たちが生き延びるための唯一の方法であり続けるからです。でも、それが貧困からの大量脱出の道になると思うのは、自己欺瞞でしかありません。」(P306)


マイクロファイナンスにおける返済の規律へのこだわりは重要だが、これはマイクロファイナンスがマイクロ企業を超えて成長したい起業家への資金源としては自然でも最高でもない。マイクロファイナンスのモデルは、破綻しかねない人の手に多額のお金を渡すにはあまり向いていない。著者らは「これは偶然ではないし、またマイクロファイナンスのビジョンに欠陥があるせいでもありません。マイクロファイナンスが多くの貧乏な人に低金利で融資できるようにしたルールの、必然的な副産物なのです」と語る。(P236)だから、途上国において、次の大きな挑戦は中規模企業への資金提供手法を見つけることだろう。(P241)

預金口座は高くつくので貧しい人には提供しにくい。しかし、預金口座が提供されたとしても、それを使う人は多くないのが現実だ。その一因として、またまた時間不整合性が現れる。(P237) すなわち、問題の根源は、先進国に住むお金が貯められない人と全く同じわけだ。貯蓄を向上させるためには、希望と励ましや落ち着きが強力なインセンティブになる。欲しい物が手に届く場所にあることがわかれば、人は貯蓄することができる。(P269)


政策について
著者らが展開しているのは、全て地に足のついた、事実に根付いた、現場レベルでの課題解決だ。だから、制度は地元の環境にあわせて調整が必要なので、それをトップダウンで変えようとしてもうまくいかないと、著者らは主張する。(P335)ダメな制度はとてもしつこく、それを排除する自然のプロセスなどないかもしれない。しかしながら、外圧や革命的な変革がなくても、周縁部・草の根から重要な変化を起こすことができる。(P347)


結語
貧困を削減する万能薬はない。しかし、現状を改善するための方法は色々わかってきている。著者らは、重要な教訓の5つを提示する。(P338~)
・貧乏な人は重要な情報を持っていない事が多く、間違ったことを信じている
・貧乏な人は自分の人生のあまりに多くの側面について責任を背負い込んでいる
・一部の市場が貧乏人に提供されていなかったり、そこで貧乏人がかなり不利な価格に直面したりするのには、やむを得ない理由がある
・貧乏な国は貧乏だからといって失敗が運命づけられているわけではない。不幸な過去を持つから失敗確実などということもない
・人々に何ができて何ができないかという期待は、あまりにしばしば自己成就的な予言に早変わりしてしまう(教育など)

これからやってくるもの
R0010015.jpgすっかりと「書く書く詐欺」になってしまっていた、サマーダボスの報告を。たくさんの豪華なセッションがあったのだけれど、今回意識的に選んだのは「これからの新しいトレンド」に関するセッション。前にも書いたけれど、ここに書いてある内容は、業界の人にとっては新しくない内容なんだと思う(実際のところ、金融のセッションは特に新しいことはなかった)。だけど、業界の外の人にとってはこれからやってくる流れについて知るいいキッカケではある。


金融のこれから:
・インターネット(モバイル)バンキングが、いよいよ拡大していく。アフリカの送金の3分の1はすでにモバイルバンキング。いくつかの金融はSNSと融合して成長するだろう。こういった金融が、既存のリテールバンキングのビジネスを大きく奪っていく。一方で、投資銀行ビジネスは引き続き人間によって運営されるようになるだろう。半年くらい前に、元UBSのCEOであるオズワルド・グリューベルを囲む会があったのだけれど、彼も全く同じ事を言っていた。リテールバンキングは、このままの姿でありつづけるのなら、30年後には恐竜となっているだろう。
・アジアの金融機関が台頭している。この5年間で、Top15の金融機関のうち、アメリカの4つが姿を消し、代わりにアジアの金融機関がこのリストに入ってきた(ちなみにそのうちの一社は野村であとは中国系)。この傾向はこれからも続くだろう。


教育のこれから:
・コンピューターに、子どもたちのミスのパターンを学ばせて、より効率のよい教育を施せるような機能をつけていったら、全ての子どもたちに、テーラーメイドの教育指導をできるプログラムができる。プログラムのコピーコストは低く、情報端末さえあれば、全ての子どもたちによりよい教育機会が提供される可能性がある。今も6000万人の学齢期の子どもが学校に通えていないが、このような技術進歩が課題を大きく解決する可能性がある。
・ただし、技術があれば問題が解決するというわけではなく、課題解決のためにはリーダーシップが必要であろう。それと、教育において重要なのは意欲でもあり、教師の質の重要性は変わることはない。


大学のこれから:
・現実の世界には多くの課題があり、大学の中にはその課題に対する解がたくさん存在している。不幸なことは両者をマッチングできる人材が極端に不足していることで、そのギャップを埋めるための努力が重要性を増していくだろう。MITでは、”Industrial Liason Program"を設置し、民学協働での研究を実施している。
・また、最近の大学研究の多くが応用研究に充てられている。確かに応用研究はすぐにマネタイズできそうに見えるが、本当に重要で国の競争力の基盤になっているのは基礎研究。この分野により多くのファンディングをするべきだ。(MITを世界トップの大学に変えたSusan Hockfieldが言っていたのですごい説得力だった)


成長について:
・2025年には世界人口の半分以上が1日10ドル以上で生活するようになる。この爆発的な中産階級の増加は、新しい産業革命と呼べるほどの構造変化をもたらすだろう。その過程には、かなりの混乱が待っているが、早く現状をよりよいものにしたいのであれば、保護主義にならず市場の力をうまく解放することだ。
・インド/中国が若干停滞するなか、今後大きく伸長するだろう国はアフリカ。地下資源と広い国土は、世界全体が直面しているエネルギー問題の解決にも役立つだろう。例えば、サハラ砂漠の広大な土地にソーラーパネルを設置する”Desert Tech"プロジェクトなどがすでに始まっている。
・途上国発のFrugal Innovation (Low cost innovation)も大きな成長ドライバーとなる。スラムの状況は世界中のどこでも似通っており、一国において達成されたFrugal Innovationは他国でも適用可能な可能性が高い。


ビジネスの役割について:
・グローバル企業が海外、特に途上国で事業を行う際には大きな外部性の問題に直面する。成功しているグローバル企業の多くは、地元の人々のために、道路・電気・学校・病院など様々なインフラを提供している。企業の事業成長のためにも、企業が公的な役割を果たす必要は大きくなっている。
・いくつかのグローバル企業は、その規模や影響力において国と同等になっている。国境にとらわれず活動できる企業は、ある意味においては国家以上に、世界の課題解決のプレーヤーになる可能性がある。
・このような状況において、企業はより長期的な視野にたって事業を行う必要が生じている。ユニリーバでは、このような観点から従来のようなカタチでの四半期報告を廃止している。http://www.dailyfinance.com/2012/04/26/why-the-market-loves-unilevers-119-sales-growth/


ちなみに、個人的に一番インスパイアされたのは同年代の参加者たち。世界中のいろんな場所で同じ世代の人間がとびきりクールなこと、まだカタチにはなっていないけれど、世界をよりよい場所に変えるアイディアを実践に移していることが、一番大きな収穫だった。
30にして立つ
「15にして志し、30にして立つ」という言葉は、なぜか肩にずっしりとのしかかっていて、30歳のうちに人生の方向性を明確に決めようと思っていた。

去年の10月に30歳になってからの1年間、これから人生をかけてやることについて色々と考えていて、4つくらいの選択肢を検討していたのだけど、時間の制約の中でいざ何を選ぶかということを考えている間に、色々なものが雨上がりの空と同じくらいにクリアになった。


僕が人生をかけられるのは、世の中の結構大きな不条理を正すことなのだと思う。虐げられている人、代弁されることがない人、貧困の中に死にゆこうとしている人がいる世界の状態を、少しでも良いものに変えられるのであれば、僕は死ぬ時に多少は満足できる。

それと、もう一つ情熱を注げるのは、必要な場所に必要なお金や人・モノが届く世界をつくること。全ての人には自分の力で自分の運命を切り開いていく力があるし、必要なものは平等なチャンスなのだと思う。そのチャンスは必要な場所に必要なお金やモノ・ヒトに提供されることによって、より多くの人にきちんと提供されるはずだ。

世の中を便利な場所にするとか、カッコいいものを作るとか、そういうことは僕の人生のテーマではないみたいだ。テクノロジーの話は好きでワクワクするし、Appleの製品は好きだけど、それを作ることそのものに 情熱をかけられるかというとそうではない。別に便利でなくても人は生きてきたし、かっこいい製品が手元になくても、楽しくやっていけるから。一方で、自分の人生のテーマを達成するためのテクノロジーやイノベーションには興味があるし、それは引き続き探していけたらいいなと思う。


こんな内容のことを、仲のいい友だちに話してみたら、「はあ?何をいまさら・・・」と言われた。周りから見ると明らかなことが、自分にとってはそうでないものというのは、よくあることだ。傍目八目。

なんにせよ、30歳のギリギリのタイミングで何をやるのかが明確に見えたので、30代はどんどん突っ走ろうと思う。
経済成長における4つのドライバー
メモ代わりに、サマーダボスで参加したセッションと関連して3つの興味深いトピックに関することを書き留めておきたい。

今日は経済成長に関して。

世界経済は一つのターニングポイントを迎えようとしている。2025年には、世界人口の半数が一日10ドル以上で生活をするようになる。この変化に相俟って生じる中間層の増大は、「新しい産業革命」ともよばれる。そこに至るまでの過程には、かなりの変化と混乱が待っているだろう。

では、このポイントまでの成長がどのようにもたらされるのか。いくつかの主要なドライバーがある。


労働力人口の増大
日本にいると感じにくいが、世界人口の半数は27歳以下で、その多くがまだ労働力となっていない。これから10年の間に、若い世代が労働市場に流れ込むことになる。それだけではなく、定年年齢の引上げと女性の社会進出と相俟って、労働力人口はさらに増大するだろう。

労働力人口が増大しても、産業が拡大しなければ失業が増えるだけなのではないか、という懸念はある。実際のところ、今後とも雇用は不安定になるだろう。ただし、労働力の供給増加が、新しいメガ産業の到来を惹起する可能性もあり、労働力人口の増加は経済成長のドライバーとなりうるだろう。この点と関連して、教育は非常に重要なテーマとなるが、それは別の記事で書くことにする。


資源・エネルギー
これから、過去にない成長が望まれるのがアフリカ。アフリカ諸国にとっては、地下資源や広大な国土が強力な成長のドライバーになりうる。広大な国土の使い途としては、例えば太陽光エネルギー発電所の設置等が考えられる。実際に、Desert Techという、サハラ砂漠での太陽光発電のプロジェクトが進行中。新興国全体が先進国と同水準のエネルギー構成で生活するのは持続可能でなく、こういったGreen Techの取り組みが大きなトレンドとなりうる。


南南協力
南南協力は、新興国の台頭と相俟ってこれまで以上の意義を有するようになっている。これまでのところ、とくに多いのは中国とブラジルとの間の資源取引だが、こういった資源をめぐる新興国間の大規模取引に参加するプレーヤーは増大していくだろう。


Frugal Innovation
Frugal Innovationとは、新興国でやってきている低コスト化(ただし品質は満足できる水準)におけるイノベーションのこと。ここ2,3年で注目されているコンセプトで、少し前にThe Economistでも特集が組まれていた。BOP (Base of the Pyramid)層とよばれる人々のニーズにあった商品を、驚くほどの低コストで生産することの意義は日に日に高まっている。特に注目されている分野は、エネルギー、水、携帯電話関連サービス、その他日用品など。

世界中のスラムの風景は似たようなものだという。だとすれば、一国で生じるFrugal Innovationは、世界中に拡大させることができる可能性がある。このイノベーションは、途上国の貧困層が中間層へと変わっていくスピードをさらに上げることだろう。
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